根城からバイクで2時間、盛岡城にやってきました。
現在の盛岡城址は、近代公園の先駆者である長岡安平の設計により、1906(明治39)年に岩手公園(盛岡城跡公園)として整備されました。
岩手公園地下駐車場はバイクNGですが、もりおか歴史文化館の警備員さんの指示で、駐車場出入り口脇の駐輪場に駐めることができました。
もりおか歴史文化館
所在地: 岩手県盛岡市内丸1番50号
開館時間: 9:00~19:00(11月~3月は ~18:00)
休館日: 毎月第3火曜日(祝・休日の場合は翌日),年末年始(12/31~1/1)
入館料: 一般 300円,高校生 200円,小中学生 100円
日本百名城スタンプは1F 町なか情報センターのカウンターで押すことができました。
盛岡城は1615(元和元)年、関ヶ原の合戦で東軍に参戦したことから本領安堵された南部利直によって築城され、南部(盛岡)藩の藩庁がおかれました。
三ノ丸,二ノ丸,本丸の順に見て回ることにしました。
三の丸入り口である瓦門跡
三の丸
二の丸門跡を通って二の丸へ移動します。
石川啄木歌碑
「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」
不来方城(こずかたじょう)は盛岡城の別名です。
啄木はこの近くの岩手県盛岡中学に通っていたが、よくサボって、ここで文学書や哲学書を読み、白日の夢をむすんでいたらしいです。
さらに新渡戸稲造の碑
赤い橋を渡って本丸に進みます。
本丸石垣(右)と二の丸石垣(左)の間は、空堀跡で、本来、赤い橋は屋根のある「御廊下橋」でした。
本丸に残された南部中尉銅像台座
かつては、南部家42代南部利祥公の騎馬像が凛(りん)として建っていましたが、1944(昭和19)年、金属供出のため撤去されてしまいました。
南部中尉は日露戦争に従軍し1905(明治38)年満州井口嶺において戦死したのですが、台座から見ても相当立派な像であったことが推察されます。
これは、明治維新において朝敵の立場に甘んじた南部藩の再興の熱い思いがあったとされています。
本丸南西隅櫓跡
盛岡の街を見下ろすことができます。
腰曲輪
宮野小提灯(みやのこ ちょうちん)句碑
榊山稲荷曲輪
腰曲輪の更に西側にある三角形に突出した一段低い曲輪
石組の井戸跡
淡路丸
四の丸跡
かつては御台所がありましたが、現在は多目的広場になっています。
彦御藏
盛岡城に残る藩政時代の唯一の建物です。
参勤交代用の道具の保管蔵だったと伝えられています。
花崗岩の石垣はなかなか立派で美しいです。
桜山神社
社殿は盛岡城三の丸跡にあり、南部藩の総鎮守として信仰されてきました。
神社裏手に祀られているお守り岩である烏帽子岩(兜岩とも呼ばれます)。
盛岡城築城の折に姿をあらわした巨石です。
桜山神社の門前は飲食店が密集して賑わっています。
かつてはここに下曲輪がありました。
ペットボトル製の天守
なんと夜になると明かりが点きます。
盛岡城に天守があったかどうかははっきりしていません。
残されている城絵図には描かれていないのですが、、明治7年に取り壊される直前の古写真を見ると明らかに、天守らしきものが映っているのです。
幕府への遠慮からか、3層の天守を2層に描いている例はいくらもあるのですが、まったく描いていない例は珍しく、謎が残ります。
中津川
盛岡城は北上川と中津川の合流地点の丘陵地に築かれた城で、2つの川が外堀の役目を持っています。
歴史文化館と合わせて、約1時間30分の見学時間でした。
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