先日、尾張国知多郡(現常滑市)の大野城を訪問しましが、
大野城は、日本中のあちらこちらにあります。
その中でも越前大野城(福井県大野市)の城下町は、美しく落ち着いたたたずまいで大好きなところでもあります。
わが愛知県だけでも、大野城は3カ所あるのです。
その1つは自宅近所のはずなので行ってみることにしました。
事前にグーグル・マップで位置を調べてみて、びっくり!
なんと、高校時代このすぐ横の道を使って通学していたではありませんか。
当時は全く城など興味がなかったいえ、おどろきです。
明智光秀・柴田勝家を破った羽柴秀吉でしたが、織田信雄(信長の次男)・徳川家康と対立し、小牧・長久手の戦いが発生してしまいます。
この戦いの最終局面がこの近辺の蟹江城(海部郡蟹江町)を中心にして、おこった蟹江合戦と呼ばれるものです。
もともと大野城は蟹江城の支城としてつくられ、徳川側の城でした。
しかし、秀吉は蟹江城を味方に付けてしまいました。
大野城主の山口重政は母親を人質に取られましたたが城を守りきり、蟹江城も取り返すことができました。
この戦いが小牧・長久手の戦いの決着をつけ、和議となったといわれています。
ゆえに秀吉は、この後に天下統一を成し遂げるのですが、家康に一定の地位と力を授けざるを得ませんでした。
この地での戦いが江戸幕府成立につながると思うと感慨が深いです。
蟹江合戦の翌年の天正十三年(1585)大地震により大野城は崩れ落ち、その大部分は地中に埋まってしまい、廃城になりました。
このあたりは水郷地帯であり、河川が堀の役割をしていたことが容易に推定できます。
現在では、田んぼの中に記念碑が建っているだけです。
大野城
愛知県愛西市大野町郷前218
大変重要な歴史の転換点のような場所でしかもご自宅のすぐそばで、物語もとても興味深いもので、いざいかなる城ぞ!・・・
あらっ・・・今回は落ちが付いた様な秀吉と言えば、関西から中国にいたる山陽道沿いには一杯足跡がありますねぇ~代表はやはり姫路城ですが、綺麗になってからいきましょう!
私の住んでいるところは、今でこそ平野のど真ん中ですが、ずっと昔は海岸線(海の中?)だったところですが、探してみるとけっこう歴史的史跡があります。日本の歴史は長いのでどこでも、けっこう史跡とかが残っているのじゃないでしょうか。
姫路城は見事な城です。修理のためしばらく足場に隠されてしまいますが、逆にそれを利用して(普段近づけない)間近から見学できるようにするそうです。見に行きたいです。
確かに大野とつく所は地名でも山の名前でもいたるところにあるようですね。
今回の大野城は中途半端な石垣だけのお城よりも夢の跡を想像出来て好きかも知れません。
無理矢理コメントせんでいいって?
いやいや、コメントしとかんと、ハヤシの恵ちゃんツー企画してくれないとあかんし。
橋吉さんの記事で多少興味が湧いたので今度行ってみようかな
でも鬼の城 とか 松山城とか行く所がたくさんできました
学生のときは暗記ばかりの歴史の勉強(…と不幸にも理解してました)は嫌いだったんですが(笑)
以前、2枚目の写真のあたりは葦がうっそうと茂っており、近づけないようなところでした。したがって、現在の様子からだけでは想像しにくいのですが、何の関連もないコンクリート製天守閣なんかがあると興ざめてしまいます。
越前の大野はいいところです。ハヤシの恵ちゃんはどうなんだろう。こちらではまったく話題に上がりませんが。
同じものを見ていても、見方は変わります。最近は、日時計も興味を持ってみるようになりました。