足利より渡良瀬川を越え、バイクで15分ほど、金山城に到着です。
まずは、麓のガイダンス施設へ向かいました。
太田市立史跡金山城址ガイダンス施設
所在地:群馬県太田市金山町40-30
開館時間:9:00~17:00
休館日:月曜(月曜休日の場合は翌日),12/29~1/3
入館料;無料
ここで予備知識を得るとともに、案内パンフレットを手に入れ現地に向かいました。
金山城は標高235.8メートルの金山の頂上にありますので、ガイダンス施設から山道を600mほど登らなければいけませんが、城跡の直下には駐車場も用意してあります。
勾配カーブともにきつい車道ですが割と道幅もあるので初心者でなければ車で行くこともできます。
金山城全景(現地案内板)
これでも、一部が発掘復元されているに過ぎないのです。
西矢倉台西堀切
敵の侵入を防ぐため何本かの堀が作られています。
この堀切の底は落ち葉でわかりにくいですが石が敷かれており通路としても利用されていたようです。
西矢倉台下堀切
2本目の堀切です。
底部のになるにしたがって壁面の角度を急にする工夫が見られます。
馬場下通路
土橋があるため敵兵は一列にならざるを得ません。
また、石積みがあるので奥の様子がわかりません。
右側が通路のようですが、実は行き止まり。
敵を欺きます。
左の石段を登ると、
木橋がかかっております。
いざというときは破壊して敵の進行を遅らせます。
物見台
太田市を見渡すことができます。
このあたりを復元するとこうなります(ガイダンス施設の模型)
馬場曲輪
この先にある大手虎口を守る兵が待機しておりました。
金山城に二つある池のひとつ、月ノ池
山城にとって豊富な水源は防御力以上に大事な要素かも知れません。
大手虎口
昔はこんな感じ(ガイダンス施設の模型)
現在の石垣だけでも威圧感充分です。
関東の城は石垣をあまり使わないのですが、北条氏はこの城を寄り強固に改修しました。
排水溝も整備されています。
日ノ池
すぐ脇に井戸がありますので、池は水源としてよりも勝利や雨乞いの儀式を行った神聖な場所として使われたと考えられています。
まだ、石垣を積む技術が未熟なので、階段状になっています。
二ノ丸跡
三ノ丸跡
大手虎口北下段曲輪
関東の山城は曲輪を土塁でかこみますが、金山城はその上を石垣で固めています。
石階段
当時そのままの状態で発見されました。
本丸
金山城の中枢部であり本城とも実城(みじょう)ともよばれます。
城主の御殿がありました。
推定樹齢800年の大ケヤキ
金山城の興亡を見てきたのでしょう。
本丸跡に建つ新田神社
明治の廃城令の後に建てられたもので新田義貞公を祀ります。
南曲輪休憩所
日本百名城のスタンプはここで押すことができます。
なんと飲み物の自動販売機が置かれていました。
約一時間かけて駐車場へ戻ってきました。
西城
駐車場の上あたりです。
見附出丸
駐車場から本丸反対方向に進みます。
金山城西端の最前線基地
次の目的地である埼玉県の鉢形城に向けて出発です。
そうなんです。山城に立つと「夏草や兵どもが夢の跡」という句はたびたび思い起こされます。すばらしい作品です。
道の駅巡りはオリエンテーリングみたいで楽しいですよね。今回のツーリングでも3つの道の駅に寄ってきました。
こういう光景を拝見すると、無関係かもですが
「兵どもが夢の跡・・・」ってのが浮かんできちゃいます。
片っ端から道の駅を回ってる誰かさんとは
えらい違いだ(^_^;)
渡良瀬川のあたりの景色も気になりましたし、太田の街ももうすこし見ていきたかったです。また、次回と言うことで。
バビさんは食文化の追求をされているのですよ。
返事が後ろになってしまい済みません。
城廻りを趣味とするまでは、天守閣のある城しか行ったことがなく、かつて山城があったことは知っていましたが、これだけあちこちに史跡が残されているとは思ってもいませんでした。
栄華を偲ぶなんて、オサレだなー。
あー食い意地から卒業するのはいつのことやら。(>_<)
私もここまで立派なものとは思っていませんでした。おっしゃるとおりでどんな城だったかとか、侵入を防ぐ工夫、逆に自分ならばどう攻めるとか思いをはせるのは楽しいです。
ずいぶん前から下調べをしましたが、それはそれで楽しいものです。SevenFiftyさんのツーリングの場合、調べようにもなかなか資料がないでしょうから、足で探すしかないでしょうね。
SevenFiftyです。
簡素な砦のような山城を想像していましたが、意外と堅牢な石垣があるんですね。
模型は資料や遺構から想像して作ったのでしょうが、実際はどんなお城だったのかと思いを巡らすのも面白いですね。
本当に大遠征のツーリングなんだ。
下調べも大変なのでしょうか。
その日その場で次々と予定を変えるわたしと大違いでしょうね。
南曲輪にのちの富士重工である中島飛行機の創設者中島知久平氏の胸像がありました。
山城は登るのがたいへんで、初心者にはわかりにくいところが多いですが、金山城はすぐ近くまでクルマやバイクで行けて、現地の説明版も整備されお勧めです。なにより、大手虎口の迫力は説明は要りません。
「いのしし」 注意の看板があって、下の写真は獣道のように見えますが、堀切というものなんですね。橋吉先生の解説を読みながら写真を見ていくと楽しいです。
江戸時代までは政治・文化・経済の中心は近畿であり、城の製作技術も西高東低であると思っていました。今回、関東の山城を巡って、それぞれ独自の工夫があることがわかりました。私は浅はかでした、関東の武将の皆様にお詫びします。
色々と工夫があり面白いですね、それにここは石垣が残っていてなかなか見応えがあるように思えました。