まだ、梅雨が明けてない頃の話です。
曇りときどき雨の中、和歌山県の新宮城までデミオででかけました。
新宮城は、1619(元和5)年にそれまで地域を治めていた浅野氏に代わり、紀州藩主の初代徳川頼宣の付家老である水野氏が入城。その後10代にわたり長い統治が続きました。
まずは、阿須賀神社へ
阿須賀神社の境内にある新宮市立歴史民俗資料館
新宮市立歴史民俗資料館
所在地: 和歌山県新宮市阿須賀1-2-28
開館時間: 9:00~17:00
休館日: 月曜(祝日の翌日、年末年始)
入場料: 210円,、子供100円
続日本100名城スタンプは2Fの展示室、新宮城の展示の隣にあります。
パンフレットもここで頂きました。
新宮城跡(丹鶴城公園)西にある観光客駐車場に移動、
登城します。
二の丸跡は、正明保育園に使われています。
大手道から登ります。
松ノ丸入口門
松ノ丸
照明上の鷹は、てっきりオブジェだと思っていましたが、突然羽ばたきだして、びっくり!
新宮城は背後に控える熊野川を利用した集荷設備である水ノ手を備えていました。
その水ノ手に向かう道は崖崩れのため、通行止めになっていました。
松ノ丸から鐘ノ丸への枡形
鏡ノ丸
本丸の南西部にあり、浅野氏の時代には二ノ丸でした。
鐘ノ丸からの眺め
本丸に向かいます。
本丸
井戸の跡
城の背後に控える熊野川
これを利用するための施設が水ノ手です。
松ノ丸から水ノ丸に向かう道
丹鶴姫の碑
源為義が院の熊野御幸に検非違使として随行した際のこと。
第15代熊野別当長快の娘を為義が見初め、一女一男をもうけました。
その女児が丹鶴姫です。
丹鶴はのちに熊野別当第19代となる行範に嫁ぎ、行範が死去すると剃髪して鳥居禅尼と名乗り、丹鶴山に夫の菩提を弔う東仙寺を建立したしました。
なお、丹鶴城趾には、日暮れになるともののけの姫が出るという伝説があるそうです。
植樹をみても、南国のイメージが伝わってきます。
天守台
本丸の搦手
暗い感じだなあと思って進むと
通行止めになっていました。
観光客駐車場から水ノ手に向かってみました。
かつては多くの建物があったそうです。
見学時間、約1時間でした。
おまけ
5月2日、令和初めてのツーリング先として鎌刃城・八幡山城を計画していました。
しかし、前日まで降雨だったため、山登りは無理と判断し、急遽行き先を赤木城・田丸城に変更しました。
帰宅して気づいたのは、赤木城まで行くのならば、もう少し足を伸ばして新宮城まで行けば良かったということ。
まぁ、後悔先に立たず、「新宮にはめはり寿司がある」と前向きに思い直し、今回出掛けることにしました。
25年ほど前、初めて新宮に訪れたときのめはり寿司の味が忘れられないのです。
おぼろげな記憶をたしかに店を探したとこと、「移転しました」との貼り紙がしていました。
で、書かれたところへ行ってみると、
総本家 めはりや 本店
所在地: 和歌山県新宮市薬師町5-6
営業時間: 11:00~22:00
定休日: 水曜日
めはり定食A
めはり寿司に加え、山芋とろろ+豚汁+(なぜか)めざし
新宮に来たらやっぱりこの味です。
石垣き結構残っていたんですね♪
受付のオジサンの印象・・・極めて悪かったというより、話がかみ合わない感じでした。
新宮城は明治時代まで現存し、以降もしばらくは新宮県庁としてつかわれていたため、石垣の保存状況は良いようです。