橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

伏見をゆく その3

2013-06-04 | ツーリング

旅籠・寺田屋と旧跡地【伏見区南浜町263】


しばらく歩くと本日第一の目的地である寺田屋が見えてきました。
長年あこがれていたのですが、正直感動は少なかったです。
と言うのも、前もってグーグル ストリートビューを見ておいたのです。
当然その通りの町並みなので、初めての印象は薄いですね。
ストリートビューで駐車場を確認した際、「自転車・バイク等の絶対に置かないでください」との但し書きを発見しました。
そこで思案した結果、今回の散策となったわけですから結果オーライといったところでしょうか。


表札にも坂本龍馬とありますね。
坂本龍馬は脱藩していたため、藩邸を使用できず、船宿であったこの寺田をしばしば利用していました。

現在でも宿泊可能ですし、見学をすることもできます。
開館時間: 10:00~15:40
休館: 年始1/1~1/3 月曜不定休あり(シーズンオフの場合)
料金: 大人400円(大学・高校生300円,中学生300円,小学生)
 
室内の様子です。

柱には刀傷があります。

龍馬のピストル(レプリカ)
ピントがあいませんでした(汗

1866(慶応2)年、坂本龍馬は薩長同盟の会談を斡旋後に宿泊していたところ伏見奉行の捕り方に包囲されました。

のちに龍馬の妻となる、仲居のおりょうは入浴中でしたが、

いち早く戸外の様子を察知し、

裸のまま裏階段を2階へ駆け上がり危機を知らせました。

その甲斐もあり、龍馬と護衛の三吉慎蔵は奮闘防戦し、奇跡的に脱出に成功することができました。

児玉清さんは、龍馬の近くへ行ってしまいましたね。

実は幕末当時の建物は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失しており、現在の寺田屋の建物は明治時代に再建されたものだそうです。

当時の建物跡は小さな公園になっています。

坂本龍馬の碑

坂本龍馬の像

寺田屋とその女将であるお登勢の由来碑

寺田屋騒動の記念碑
寺田屋騒動とは1862(文久2)年に薩摩藩尊皇派が島津久光によって鎮撫されたと言われる事件です。

お登勢明神
坂本龍馬は寺田屋ではたらいていたおりょうと結婚しました。
このため、二人の縁を結んだお登勢が恋愛の神様として祀られています。

維新当時の井戸


伏見口の戦い激戦地の石碑【伏見区表町】
寺田屋から西へ数十mのところにある京橋


その北詰東側に碑はあります。
1868(慶応4)年1月2日、鳥羽伏見の戦いが始まる前日夕刻、会津藩の先鋒隊約200名が大坂から船でここから上陸しました。
奮戦しましたが、装備を近代化した薩長軍に対し押され気味でした。
さらに、模造品ではありましたが錦の御旗が掲げられたため、負け決定しただけでなく賊軍の汚名まで着せられてしまいました。

江戸時代、京へ向かう高瀬舟、大坂へ向かう三十石船、山城へ向かう淀二十石船、宇治へ行く芝船など、舟運で賑わった伏見港の中心がこのあたりです。
寺田屋も船宿のひとつでした。 
 


伏見長州屋敷跡の石碑【伏見区表町】
京橋から南へ50mほど行ったところになる伏見土木事務所脇に

石碑が建っています。

さてここでターンして北に向かって歩くことにしました。


坂本龍馬、避難の材木小屋跡の石碑【伏見区過書町】

伏見長州屋敷跡から徒歩10分、大手橋にきました。

伏見奉行所に急襲されながらも、奇跡的に脱出した坂本龍馬でしたが、親指を切られ負傷しました(一説には両手とも・・・)。

ともに逃走した三吉慎蔵は川岸になった材木小屋に龍馬を隠し、単身助けを求め薩摩藩邸へ駆け込んだのでした。

現在、材木小屋は、倉庫?廃屋?でもアンテナが立っていますね。民家だったらごめんなさい。


薩摩島津伏見屋敷跡の石碑【伏見区東堺町】
材木小屋跡から北へ500mほど行ったところに、三吉慎蔵が助けを求めた薩摩島津伏見屋敷がありました、


現在は、月桂冠の関連会社である松山酒造となっています。


石碑の側面には「坂本龍馬 寺田屋脱出後 避難の地」と記され、もう一方の側面には「天璋院篤姫 洛中洛外滞在時の宿泊地」とあります。


伏見は整備された水路が縦横に走っており、満々と水を蓄えています。
水運業で栄えた街であることがよくわかります。

さてここから西に向かい丹波橋駅の駐輪場に戻り、帰宅しました。
往路は、名神のリフレッシュ工事で渋滞していたので、復路では京滋バイパスを使いました。
これが大正解で全く渋滞に遭遇することもなかったです。
こんなことならば、観光船である十石船に乗船すれば良かったと少々悔いていますが、まあそれは次の機会でと思っています。

(おしまい)

コメント (10)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伏見をゆく その2 | トップ | まさか!オイル漏れ? »
最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
歴史探訪 (バビロニア)
2013-06-04 15:47:44
京都は金閣、銀閣のイメージが強いですが、坂本龍馬に代表される歴史を変えた街だということを、改めて感じますね~。
次回行く時は、橋吉さんルートで周りたいなー(^^;;
返信する
歴史探訪 (kei)
2013-06-04 18:06:17
こういった歴史探訪なツーリングも味があっていいですね!
若い頃には興味も示さなかった歴史がこの歳になって
色々と興味が出てきました。
返信する
Unknown (タケ)
2013-06-04 23:53:21
こんばんわ!
流石!橋吉さんなれではの記事です!同じ歴史好きでも私なら、こんなに詳しく要点をまとめた書き方はできません、自己満足で終わると思います、坂本竜馬に付いては諸説あり、基本的にはその大半は「竜馬が行く」で、司馬遼太郎が作り上げた人物像が現在の基礎になっているようです、本の中でも触れられていますが、日露戦争時に政府内で勢力を失っていた土佐閥によってその知名度が利用されたようです・・・が、高知や鹿児島、長崎、京都、に行けば必ず何処かで竜馬の痕跡に触れる事ができます、やっぱりそれなりの人物であった事は間違いないのでしょうねぇ~会ってみたい・・・
返信する
京都の楽しみ方 (ひえぴた)
2013-06-04 23:53:56
京都は神社仏閣はそうですが、歴史のある街なのでテーマを決めて回るのも良いですね。
日帰りは厳しいので一泊二日なら1テーマなら何とか回れそうです。
また京都に行ってみたくなりました。
返信する
史跡 (橋吉)
2013-06-05 05:54:58
>バビさんこんにちは
私が史跡巡りが好きなのは、その場に立ってみると地理的条件がよくわかり、理解が深まるとともに気分が高揚するからです。京都は数々の歴史の舞台となった町であり、当時の遺産がかなり残っており、変化も少ないところであるので見応えがあります。
返信する
いろいろ (橋吉)
2013-06-05 06:49:04
>keiさんこんにちは
ツーリングの目的の一つに歴史探訪も入れるとよろしいかと思います。さらに、それだけでなく観光・温泉・グルメなどいろいろ取り入れてみるとおもしろいのではないでしょうか。
返信する
世界の海援隊 (橋吉)
2013-06-05 07:00:23
>タケさんこんにちは
お褒めの言葉を預かり光栄でございます。中高生の時は坂本龍馬がヒーローでした。その後、彼に影響を与えた勝海舟の方が大きな人物と思えたときもありましたが、龍馬の行動力はすばらしいものにおは違いないです。惜しむらくは、維新後、「世界の海援隊」として活躍する姿を見たかったです。
返信する
テーマ (橋吉)
2013-06-05 07:07:09
>ひえぴたさんこんにちは
まさにそうです定番の観光地巡りも良いのですが、京都は文化遺産・歴史遺産がごろごろ転がっていますのでテーマを決めて行かれるのがよろしいかと思います。
返信する
興味深いです (エディ)
2013-06-08 10:59:32
高杉晋作大好き長州人として龍馬ゆかりの地は
拝見していて頭の中が妄想でいっぱいになります。

歴史って確かにそこに存在したんだと実感できると
ますますのめり込んじゃいそうです^^
返信する
さすが (橋吉)
2013-06-09 14:12:34
>エディさんこんにちは
山口県民は歴史好きが多いと聞いたことありますが、さすがです。歴史の楽しみ方をご存じですね。
現地に立って地理的関係をつかむこと。当時を忍んで妄想に浸ること。これにバイクがプラスされるとたまりません。
返信する

コメントを投稿

ツーリング」カテゴリの最新記事