デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ミレー『春』(1868-73)

画家によっては《四季》を表す作品の注文を受けることがある。《四季》の絵といえば、ルーヴルで見たニコラ・プッサンの晩年のシリーズが印象に残っているが、それは聖書にテーマにした作品だった。
ミレーも《四季》の注文を受けた。先輩画家のテオドール・ルソーのパトロンであったフレデリック・アルトマンが、ルソーに《四季》を注文していたが、ルソーが1867年に亡くなり、そこでミレーに注文がきたわけである。
ミレーの《四季》の内、オルセー美術館で私が覚えているのは、この『春』だけである。といっても作品を見たときに、《四季》として描かれた一枚、ということも知らなかったのであるが(笑)。
もし、部屋に飾ろうとしたところで、私なら正直迷うような絵だ。どういった部屋ならこの絵がいきますか?と、インテリアに詳しい方に尋ねてみたい。もし、これをご覧になっておられる方で、ミレーうんぬんなしに「私ならこういった部屋にこの絵を飾る」というご意見をお持ちの方、ぜひコメントお待ちしています。
作品の話に戻ると、バルビゾン派の風景画の特徴として、ルプソワール(画面の手前を暗くすることで奥行きを強調する方法)が用いられており、風景はとても広く感じる。ルプソワールに加えて、二重の虹の描きかた、そして野道をたどるように見ていくと、中央からちょっとだけ右に、木の下で雨宿りしている人物が小さく描かれていることが分かる。私の撮った画像では分からないが、下の図版なら分かるだろう。


はじめこの絵を見たときは、ミレーという名前負けしてありがたく鑑賞したのだった。一見、ゴチャゴチャした絵で、虹だけが綺麗だなとか思っていた。しかし、そのゴチャゴチャは、しっかり作品を見るとミレー晩年の真骨頂である細密さそのものなのである。人が描かれていることが分かったとき、驚くというよりビビったという感じだった。えぇ!?人がいるのかよ!と(笑)。 この人物が描かれているせいで、この作品にはいろいろな解釈がなされたのだそうだ。
間近で見たり、離れて見たりしているうちに、春ってこういう感じのときもあるなぁと、思った。雨雲に支配された空のなかで見られる少しだけの青空(右上に見える)なんか、特にそうで、雲の動きが足早であることを思わせるところなんかそうだ。
この作品も、オルセーに行かれたなら、ぜひじっくりと見て欲しい作品だ。日本に来たことがあるかは知らないが、個人的にはぜひ来て欲しい(笑)。

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