デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 









以前にも似たようなことを書いたが、山の中腹で段々雨が近づいてくる様子は大気がダイナミックに移り変わるさまであり、巨大なエネルギーが衝動的につき動くのをまざまざと見る思いになる。
この日の翌日この場所で、夕方に台湾からの留学生とカリフォルニア出身でボストンの大学に通う旅行者の青年と出会った。
流暢な日本語を話す台湾からの留学生はカンボジアやタイの旅行経験があるそうで、私はタイやバンコク、クルンテープという地名を耳にして目を輝かせた。
カリフォルニア出身の青年がボストンの大学に通っていると聞いた時は思わず↓の絵


ボッティチェリ「神秘の十字架」1497年ごろ(フォッグ美術館)

のことを思い出し、過去にフォッグ美術館に行ったことを熱く語ってしまった。しかし彼はアートは難しい(専門外?)ので入るのも恐れ多いというように、にこやかにジェスチャーを交えて応えてくれた。
時間が無かったので「よい旅を!」と言って下山したのだが、山を半分ほど下りたころに、カリフォルニアといえばそういえば最近すばらしいニュースがあった、ゴールデン・ステート・ウォリアーズがNBAを制覇して私も喜んでいたではないか、なぜその話題が出てこなかったのか自分の頭の回転の悪さに腹が立った。また数ヶ月前にはカリフォルニアを目指す旅の文学『怒りの葡萄』を読んでその衝撃たるや並々ならぬものであった記憶もあるというのに。
そこで思ったのは、バスケットボールの視聴も読書も印象に残るものなのに、やっぱり過去に自分で出かけていって肉眼ですばらしい作品たちを見た印象と辻邦生の『春の戴冠』の描写とが混然となった印象が自分の中でどうしても勝ってしまっているのだな、といったことだった。
この出会いから数日後、今度はカナダからの旅行者の青年と出会った。その出会いについてはまた後日。

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