デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



鶴間和幸『人間・始皇帝』(岩波新書)読了。

作家や画家で「史記」を読み込んでいる人もすごいなぁと思うが、始皇帝を「史記」の内容だけで語ってしまうのではなく新たに出土した竹簡や木版から始皇帝の実像・生涯に迫ろうとする第一線の研究者はすごいなぁと感心させられる本だ。また新たな考古学的発見と「史記」の内容を単に比較するのでなく、「史記」の内容(時系列)を分析し「史記」を完成させた司馬遷の始皇帝に関する見解に不自然な点があることを指摘している章には目を見張った。いくら膨大な史料を扱えた司馬遷だって始皇帝に会ったことはないわけだし、時に「史記」の始皇帝像が始皇帝の死後100年以上経ってから書かれたものであることを忘れがちな私には一種の戒めになる。
長城や直道を造ることを命じた始皇帝は巡行でもって不老不死の薬を探そうとした話は有名だが、巡行はむしろ、のちのローマ帝国のアウグストゥスの右腕アグリッパや、そのまたのちのハドリアヌス帝が帝国中を視察してまわったようなものであろう。いくら一統支配が確立したとはいえ、制圧した周辺国や郡県の官吏にこれからの政治システムについて知らしめないと中華世界の統治など絵に描いた餅だし、また現実的な問題として北方の蛮夷が脅威であり続けたことから中華世界の威信を示さなければならなかった、統一後の秦はそれだけまだ不安要素を抱えていた帝国であったのだ。よく東方の思想に感化され不老長寿を求め旅に出たことを始皇帝の後半生の重大エピソードとして強調されるが、事は不老長寿のエピソードに矮小化できるものではないと今回改めて思った。新たな研究を踏まえ冷静な視点から描かれた始皇帝像に触れたい人にはぜひおすすめしたい本だ。

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