高校に入る時、空手をやりたいと思っていた。
動機は、すこぶるシンプルだった。
「素手でヒトを殴る」
そんな体験が日常的にできるであろうのは、カラテの道場か、ボクシングジム以外には思い当たらなかったからだ。
ボクシングはあまりにストイックだし、何だかオレに向いていないような気がする。
だからカラテを志向したと記憶している。
単純に、「強い」という表現にあこがれてもいた側面もあったと思う。
強いと言われたい、それ以上に自らを強き者と自負したい。
そして、それは、ただ単に他人からの敬意を集めたい、自らがソレを任じたいという全く独善的で卑しい心情だったように思う。
つまり、ソレは自らの脆弱さを隠蔽するのに好都合な動機だった、と気づくまでにさほど時間はかからなかった。
ところが、入学した高校にはカラテ部はなかった。
高校を選択する際、部活動より他の事由が優先していたので、入学してから気づいたのだ。
かくして、オレは柔道部に入部した。
先輩は3年生が5名。2年生が1名。マネージャー。
顧問は日大柔道部出身のバリバリの格闘家だったが、いかんせん、アバウトすぎる人物だった。
2年生は見た目にも柔道向きではない人物で、化学部の部長、といった風情のやさしいオニイサンだった。しかも、このヒトは3年生が引退した頃から部活に来なくなった。誰も、彼を部に呼ぼうとはしなかった。
3年生はそこそこ強かった。
強かったが、あくまで新入生から見て、のレベルで、とても気合の入った柔道先輩という感じではなかった。
従って、成績はぱっとしていなかったように思う。
練習でも、一年のときに反吐を吐くほどつらかったことはなかったように思う。
同輩は5名いた。ユーレイが一人いたので、実質は5名だ。団体戦での最小構成人数だ。当時の埼玉の大会では、勝ち抜き団体戦ではなかったので、一人でも欠ければ出場できなかった。
余談。
実は中学1年から、ほれて惚れて仕方なかったコがいた。
ま、いろんなことがあったが、彼女は別の高校に進んでいて、忘れかけていたのだ、が。
バイトで通っていた近所の大型スーパーで、同じバイト高校生として彼女に再会したのだ。そう、オレは、今思えばくすぐったくってしょうがないような、さわやかアタックをさりげなく、開始した。
数々の努力が報われ、やっとの思いで彼女を江戸川の土手に単独で呼び出すことに成功した。
駄菓子菓子。
彼女は、先出のユーレイと付き合っているとのたまう。
「オレのほうがマジ部活も取り組んでるし、オリコウだぜ!?」この、独善的で自己中心な世界観がなければ、も少しステキな高校時代があったのではないかと思う。
今思えば、オレのほうがよっぽど、バカだったんだな、と思う。
さらに、この時、おしゃべりしながらキーホルダーを指でくるくるチャラちゃらまわしてて、土手の草むらのどこかにトばしてしまい、3キロもバイク(RZ50)を押してかえるハメになったのは、天啓だったのではないか。
以上、余談。
そんなことがあってか、3年が引退してからは、バイト(=バイク)と部活にささげた高校生活(引退までの約2年)になった。
同輩の中では身体的優位性も手伝って主将として日常の練習を仕切った。
仕切ったっつーか、好き勝手に練習を進めていた。
顧問は週1回位しかプレハブ造りの道場には来ない。
なぜだか、オレは特定の行為のみヒダリキキだ。将棋を指したり、トランプやマージャンはヒダリキキだ。
柔道もレフティだった。
右利き社会の日本では、ヒダリキキは10%もいないように思う。
相手は、ヒダリキキと対戦するのは10%だが、オレはいつも右利きが相手なのだ。
そりゃ、有利だ。
加えて、重量級の範疇にいたオレだが、得意技は背負い&一本背負い。一本背負いは左右ともに使える。スピードにも自信があった。
2年生の中ごろ、オレは、それなりに強かった。
~そのうち、続く~