父が逝き、子が逝き、孫が逝く。
それはそれで、順当なことだ。
そして、必ず、そこにあることだ。
そして、それは、日常意識の外にある。
そればかり、意識していてもいられないとは、思う。
でも、忘れていてはいけないコトなのだ。
ダレもがそうなのだ。
朝食の献立を立てたって、その朝がくる確証は脆弱だ。
ずっと日常が続くことは、断定的に、ない。
その時がきたのだと、理解しても、ゼロになる意識の中でもがき続けると思う。
お別れしたくないのだから。
ゼロになる意識を呼び戻したいと希う。
かなえられないコトは、解っているのに。
そして、かくあることは望ましいコトだ。
そして、その時が必ずやってくるのは、確たるものだ。
願わくば、その時に、悔いるコトがないように。
この間、そっけなく電話を切ってしまったことを思い出した。
明日、電話してみよう。
素直に、そう思う。