山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

いま、会いにゆきます

2005-08-28 22:31:27 | 未分類過去
日曜日9時からテレビ放映されている「いま、会いにゆきます」は、最初はおとぎ話のようでいやだなあと感じたが次第に引き込まれていった。

私はこの数年、身を入れて連続ドラマを見るということをあまりしなくなり、また本も、物語・小説というものはほとんど読まなかった。ここ10年くらい、読むものといえば実用書ばかりで、あとは自分が行き詰ったときに「生き方戦術」とか「うつの克服法」みたいな物を読んでいた。その上、絵本というのは特に興味がなく、つまりは、現実離れした話というのは、実生活に直結しないということで関心を持たなかったのである。

であるから、若くして亡くなった妻が、夫と幼い子供のもとにアーカイブ星から一時的に戻ってきて、家族とおままごとのような生活を送るなどという内容には最初のころはいらだちさえ感じてしまったのである。
しかし、見ているうちにそのもっとも基本的な欲のない幸福というものの貴重さが身にしみてきた。生きることさえできなかった者とその家族にとっては、一番大切なのは一緒に普通に時を過ごすこと、そんな単純なことなのである。そして、お互いに好きな相手と結ばれ、かわいい子供を授かるということは、本当に幸せの原点であるのだ。

しかし現実社会では、元気な者は、過去の純粋な気持ちなどは生活するうちにすっかり忘れてしまい、とかくいろいろな欲望が出てくる。妻は夫とこどものためにおいしいものを作ったり、洗濯をしたりの生活には飽き足らなくなり、外に向って行動を始める。家庭に閉じ込められるのはまっぴら御免だと思い、社会に出て自分の才能を発揮させようなどと思ってしまう。夫は夫で、仕事に燃え、男としての力をふるって社会の中に進出していこうと突進していく。それで、家族はお互いを思いやることも忘れ、ささやかな幸福を求めたりはしなくなってしまうのではないだろうか。

このドラマでは、夫は持病を持っていて無理ができない状況であるから、仕事をばりばりにこなしていて多忙だなどということはない。普通、このように夫が弱い場合、健康な妻が代わりに夫を守り働くしか方法がないのが現実であるし、夫がどのような真心の持ち主であろうとも、そのようなひ弱な夫に愕然とすることもあるはずだ。
しかし、このドラマではその妻はもっとはかない立場、つまりすでに亡くなっているし、記憶喪失になっているので、外出しまくったり人目につく行動などはしないで、夫に養われ、純粋に夫を心配し家庭を守っている。この家庭では、小さな子供とその親はみな一人前の力を持っていないわけであるが、それでこそ、この3人がこころを寄せ合って生活するという、はかなくも美しい世界が生まれているのである。

結局のところ普通の状況では人間というものは、エゴや様々な欲望が出てきて、本当に大切なことをないがしろにしてしまいがちになるのではなかろうか。
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