山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

課題提出

2011-11-30 00:28:13 | 放送大学
のんびりしていたら、放送大学の課題提出期限がせまっていることに突然気がついた。おちおちしていられない。とりあえず、1科目のみ教科書を拾い読みしながら、提出問題の答えを考え、それからホームページを開いてみた。いつからか、ネットで送信できるようになったそうだ。15円の切手代がいらないし、一瞬にして届いてくれる。そんなことができるようになったという情報は、放送大学からの郵便物やサイトからではなく、人さまのブログで初めて知った。この貴重な情報はあり難いことだ。郵便だと、明日の朝にでも送らないと間に合わないけれど、パソコンからだと、もう1科目は明日の夜でも大丈夫である。明日、もう1科目忘れずに送信しよう。
それにしても、いつもぎりぎり。この性格はなかなか直らない。困ったことだ。
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バス亭のルールの違い

2011-11-28 21:24:49 | 日記
東京と静岡の違い。
停留所でバスを待っているときに、自分が乗る行き先のバスがやって来た場合、静岡県では手を上げて合図をするとバスが止まる。手を上げないとバスはそのまま通過する。
だから、自分が乗ろうとするバスには必ず手を上げなくてはいけない。
東京のバスの場合、停留所に人がいると必ず止まってドアを開ける。バス亭で待つ人は、そのバスに乗ろうが乗るまいが手を上げない。
だいたい、乗らないバスがやって来た時は、東京の人はバス停から離れて関係のないようなそぶりをしている。しかし、それでもバスは止まってドアを開ける。
東京の人は、地方に行った時に手を上げないとバスに乗せてもらえないから気をつけてね。
私は東京でも手を上げてしまったりする田舎者だ。
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1000円カットに見切り

2011-11-25 23:40:49 | 日記
まともな美容院に行こうかなと思っている。なぜならば、このあいだ髪を切った1000円カットの美容師がへたくそだったからだ。1000円カットには何度も行っているけれど、以前カットしてくれた女性の美容師さんは丁寧で上手だった。ところが、ここ2回ほど、男性の美容師でどうもうまくない。切り方がアタマの形に合ってないから、朝起きるとすごく変な形になっているし、めちゃくちゃ毛をすいたので、ざんばら髪みたいになって、外に向かってはねてしまうのである。しかも、右と左のすその長さが違う。2回へたくそな人が続いたから、へたくそさが2乗になっている。最近最初の女性の美容師さんの姿を見かけなくなってしまった。やめてしまったのかもしれない。これはどこか別のところで修正してもらわければならない。
以前行きつけにしていた美容院でもいいのだが、担当の美容師さんは結婚して退職してしまった。他の人でも悪くはないと思うが、どうせなら、以前カットモデルをした美容院に行って見ようかと思った。もうずいぶん前のことだから、そこの新人の美容師さんがすでにカットなどできるようになっているはずだ。
うちの娘はまだカットができない。新人はカットモデルを見つけてカットの練習をするが、結局のところ、カットモデルが本当のお客にならないかぎり、自分の顧客はなかなかできないということらしい。だから、延々カットモデルを探し続けるとか。
私がカットモデルをした美容院の系列の美容師さんが、娘の美容院に転職してきたそうだが、技術は確かだという。だから、娘がいうには、その美容院だったらおススメだそうだ。
そこで、その美容院に予約を入れようと思ったら、そのときに貰った名刺がみつからない。
捨てたはずはないのだが、と思って夕方あっちこっち探してみたがみつからず、その美容師さんの名前がわからなくて困った。さっき、ふたたび机の引き出しのなかをかきまぜていたら、出てきた。よかった。しかし、もう美容院は閉店している時間なので、明日の予約は見送りになりそうだ。近々カットとパーマでもしてもらおうかと思う。
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平日運転

2011-11-24 22:59:02 | 運転・車・道路の事
本当に久しぶりに平日の運転をした。
今日は、銀行に行くために有給休暇を取っていた。あさって、車の保険が1年分引き落とされるから、積立定期を解約して普通預金に移してきた。免許を持っている次女がまだ22歳だし、補償もあつくかけているので、1年に13万数千円引き落とされる。これは1か月にすると1万円以上であり、かなりきつい。駐車場代と合わせて月約3万円の出費だから、私の働いたお金の多くがこれに費やされてしまう。駐車場代は毎月自動引き落としになっているが、保険のほうは年払いなので、ほっとくと使い込んでしまうから、毎月自動積立にして手をつけられないようにしてある。金利は0・025と驚くような低さだ。

さて、平日運転であるが、環八から五日市街道を西に走ったところ、平日とはいえ自転車も多く歩行者も多かった。特に昼の12時過ぎに吉祥寺近辺を走ったら、歩行者の多いこと。どうやら、お昼を食べに職場から外へどっと繰り出した時間らしく、横断歩道もないところを渡る人たちが多かった。それから、駐車車両が非常に多い。車は停まらなければ用を成せないものなので、駐車車両を目の敵にすることはできないが、それにしても多くて、そのたびに対向車を気にしつつ黄色の中央ラインを越えて走るのに気を使った。五日市街道はやめといたほうがいい。帰りは青梅街道を走ったらずっと走りやすく時間もかからなかった。

幹線道路では、平日はトラックが多く、決してすいているわけでもない。結局、平日も休日も混んでいるということがわかった。
それから、平日はゴミ収集車がいるし、工事も多い。帰宅時に住宅街を右折して進んでいくと、工事で直進通行止めになっているところがあり、右矢印がでているので、右に回り道をして、その次の路地を左に抜けようと曲がり始めたら、路地の先の出口に車止めが置いてあることが分かり、バックして戻った。一方通行でもなく、入ることができるのに、出られないとはどういうことか。しかたなく直進したら次の交差点は左折禁止。右折すれば元来た道に戻りぐるぐる回りになるだけ。そのまま直進するしかなく、進んでいくと幹線道路につき当たってしまった。信号は無く、車の列が全然切れないし、路地の出口に横断歩道があり、歩道を通る自転車や人もいるので、なかなか幹線道路に出る事ができなかった。やっと幹線道路にでて、再びすぐ次の路地を左に曲がって住宅街に入り、工事で通行止めになっていた先のほうに出てきたが、途中左側の路地の出口に置いてある例の車止めを見たら、通学路のために平日は進入禁止というようなことが書いてあった。反対側から来てしまったら、それをどかして出ればいいのかもしれないが、車を降りて、その柵をどけたり戻したりするのも大変そうだ。やっぱり幹線道路まで出るしかなかった。全く工事というのも大変だ。休日には工事はやっていないし、通学路も通行止めではないので、休日のほうがいいようだ。

今日は、武蔵境まで買い物に行ってきて、走行距離は24・5キロくらいだった。
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“動かないで”

2011-11-23 15:19:00 | 読書
今日は、我が家の最初の娘が生まれた日である。26年前、私は25歳と10カ月で第1子を産んだので、私が生まれてから子どもを産むまでの年月と、その子供が生まれてから今日までの年月がだいたい同じになるという特別な誕生日とも言える。それは昭和60年、1985年の今日であり、今日のように天気がよかった。朝から病院に入ってしまった私には、外の気温はわからないが、出産後に窓から差し込む日差しがとても暖かったのを覚えている。今日は、その時生まれた赤ん坊は、婚約者と新居を見に行っていて、新生活への準備に忙しく、夫は仕事にでかけ、次女もどこかに遊びにいっているらしく、何の連絡もない。そこで、私には自由な時間が与えられたので、また車で出かけようかと思ったが、長女の誕生日に事故でも起こしたら大変だと思って、家でおとなしくしていることにした。家事も溜まっていて、家でやるべきことはありあまっている。

とはいえ、家事に専念できる性格でもないため、先週図書館で借りてきたイタリア人作家の小説「動かないで」の残りを読み終えた。
今日読んだ部分の内容は、奇しくも、主人公男性の長女の誕生場面であり、時を同じくしての、恋人の死の場面であった。そんなことから、私も長女が生まれた日の事を思い出し、世の中の夫婦からどのように赤ん坊が生み出されるものかを思い出した。
また、人の死というものがどういうものかも考えさせられた。
埋葬人がいう。「人は生きたように死ぬものです」
それから、若い女の死に際して「わからないですね」「死ぬっていうのは不当なことですよね」「それなのにまちがったことではない」という言葉もあり、そのとおりだと感じた。
この作品では、最初に主人公の男性の15歳の娘が交通事故で瀕死の状態になったところから物語が始まり、その子が生まれるまでの妻や恋人との生活の回想シーンが続くが、現在部分では、娘の病院に駆け込んできた妻の年齢は53歳であり、それは老けたおばあさんみたいな顔の人になっていたと書かれている。主人公自身も、自分が、嫌いな父のような姿になっているという場面があり、事実私たちも同じくらい老けてしまい、年月を経るということは、どうしようもなく、そういうことなのだと思った。人間はみな同じことを繰り返しているのか。

自分の言葉で書くと、何もかもが安っぽい表現になってしまうので、なんだか書きようがないのだが、恋愛だの日常生活だの仕事だの、人が背負って生きて行くものの重みとでもいおうか、とにかく読みごたえのある小説だった。

この小説は、原作者は1961年生まれで、マルガレート・マッツァンティーニという女性である。元は女優をしていたそうだ。この作品(“Non ti muovere”)は小説としては2作目だが、イタリア文学界の最高峰と言われるストレーガ賞をとっている。それだけの事はあると思う。これを原作とした「赤いアモーレ」という映画があるようだ。ぜひ見てみたい。
このような小説をきちんと日本語に翻訳してくれる方(泉典子氏)の役割にも感謝するばかりである。
自分が世の中の役にたつ仕事をしたいとすれば、こういう仕事にあこがれるが、翻訳などというものは外国語の苦手な私にはまったく無理だった話であり、いまさらあこがれたところでどうにもならないから、せっせと翻訳されたものを読むことにする。

意外に、外国文学はいいかもしれない。それは、図書館にいくと日本の現代小説は腐るほどあるが、それだけ篩にかかっていないのだ。なんでもかんでもある。だから、借りてみてがっかりさせられる本も少なくはない。それに対して外国文学の本は、猫も杓子も日本語の単行本になるわけではない。まず選ばれて翻訳されて本になっているのだから、それだけの価値のあるものが本になっているのではないかと思える。

この本に出会えたのも、小学生の時に出会った「ジャンニーノのいたずら日記」が発端だ。
50代にふさわしい本に出会えた運命に感謝する。
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続 町田あたりまで行って来た

2011-11-22 23:43:10 | 運転・車・道路の事
246号を降りると、町田街道を走っていた。予定では、「つくし野」で246号を降りてもっと東側の道路を北上する予定だった。最初は大きな駐車場がありそうな「こどもの国」というところに寄ってみようかと思っていたが、おばさんが1人で行くところではなさそうなのでやめた。実際、最初はナビの目的地を「こどもの国」の駐車場にして発車したが、本当に「こどもの国」に到着してしまわないように、長津田あたりで目的地を変更しておいた。
走っていると左側に町田市役所があって驚いた。地図でみるともっと手前の南東側に「国際版画美術館」というのがあるが、たしかに「美術館入口」という交差点を通り、そのあたりに「版画美術館」の看板を見て、そんなものがあるのかと思った。

町田というのは、東京都でもかなり南西のほうにあるという印象がある。このあたり、神奈川県を走っていたのが東京都になり、東が神奈川・西が東京という不思議な配置になっている。東京の町田市が南に出っ張っているからだということがわかった。

市役所の前を通って北に進み、ナビに従っていくと、いつしか鎌倉街道に出ていた。そのまままっすぐ行けば府中のほうに出るだろうと思っていると、ナビが右に行けと言うので行ったら、今度はすぐに左に進めだのと言いだし、地図をみると鋭角に曲がりくねった変な進路を示している。結局のところ、一旦わけのわからない道に入ったあとまた鎌倉街道に戻ってきた。まるで意味不明の案内だ。教習のためにわざわざ右左折をさせられたかのようである。何もまっすぐ走ってればよかったのに、工事中でもないと思うし、ナビの指示は本当に不思議である。

走っていると、左側に大きな公園のようなものがあり「ぼたん園」と書いてあった。ぼたんの季節でもなかろうが、幼稚園くらいの子供の列が横断歩道を渡っていった。駐車場がその先にあったので、休憩もしたいと思い寄ってみようかと思ったが、駐車場はかなり車がいっぱいのようなのでやめた。あとで地図を見ると「薬師池公園」と書いてあり、ハス田もあるようだ。今度行って見よう。

それから、「綾部原トンネル」を通った。トンネルだと思ってライトをつけると、思ったよりも短くすぐに出てしまった。運転中、青山学院というのを見た記憶があるが、それはその先のグラウンドのようだ。青山学院は相模原キャンパスというのもあるのを初めて知った。そして、いよいよ多摩市に入った。ここまで来ると走った事のある道だ。関戸橋を渡り、甲州街道に戻ってきた。

ナビの目的地は、府中市美術館に変更していた。せっかくだから寄ってみようか。甲州街道から小金井街道に出て、府中の森公園の一本木通りに曲がると、駐車場の前に車が3台待機。やっぱり満車だった。2時を過ぎていたので、一番混む時間だ。しかたなく、通り過ぎて、新小金井街道に出る。東八道路に出て帰ればよかったものを、小金井署のところを右に曲がり連雀通りに出て、それから小金井街道を北に進んでしまった。五日市街道に曲がるつもりが、小金井橋という交差点で曲がり損ねてまっすぐ北にいってしまった。
ここは、右折道路が玉川上水の南側と北側に2本続けてある。最初の右折レーンに間違って入ると手前で曲がらなくてはならなくなってしまう。間違えないようにそこでは直進レーンに進んだところ、その先の右折レーンに進みそこなってしまった。直進したらその先が西武新宿線の踏切渋滞にかかり大変なことになった。

そして結局、新青梅街道まで出て、普通なら北原で青梅街道に出るところ、左端の車線を走っていたので、そのまま新青梅街道を進んだ。まっすぐいくと目白のほうに行くようだ。井草あたりまで行ってみようかと思ったが、途中で曲がって青梅街道の関町南のあたりに出てきた。

今回もまた、どこかで休憩しようにも、全く止まれなかった。結局昼から4時近くまで走り通しだ。渋滞して止まっている間は休憩していたようなものだが・・・。
ファミレスやコンビニなどを見つけても、初めての場所では咄嗟に状況がわからないので、入れるようなものではない。車庫入れが下手だから満車に近かったりしたら困ってしまう。

相変わらず「止まれない病」。ひたすら走り続けるのみ。本当に疲れた。
ご飯は朝、食べたきりで、夕飯は作るのも面倒なので外食にしたら、とんだ味噌煮込みイタリアンだった。

走行距離78km。
今度は、厚木あたりまでいってみたい。
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町田あたりまで行ってきた

2011-11-21 23:47:17 | 運転・車・道路の事
日曜日は、10時半まで団地の草取りがあり、出かけるのは結局昼になってしまった。最初、府中市美術館に行くつもりだったが、それでは往復走っても30Kmにもならないと思い、地図を広げて行き先を考えた。なかなか行き先が決まらず、時間が遅くなってしまった。

環八に出たのがちょうど12時くらいで、行き先は国道246号線下り方面。瀬田から玉川通りに出ることにした。なぜに246号線かといえば、静岡県の実家に帰るには、普通東名高速道路を走って行くわけだが、東名は恐ろしすぎるため、とりあえずそれにほぼ並行して走っている246号線を走ってみることにしたのである。
今まで、江田あたりまではイケアに行く時に走ったことがあるので、それ以上先に進まなければ意味がない。長津田の先のつくし野あたりまで行き、そこから246号を降りて、鶴川駅に向かって北上しようと予定していた。

246号線は、川崎を過ぎると結構上り坂がある。そんなところでは、以前もアクセルを踏み込んだ記憶があるが、私1人で乗っていても、ムーヴは結構頑張らなくてはならない。この上り坂は東名高速でもあるんだろうか?もしそうなら、ちょっときつそう。本当にアクセル全開になりそうだ。それから、「事故多発路線」とかいう物騒な看板を以前と同じように目にした。道路の舗装は古い感じであるが、道路自体は走りにくいものではない。

この日は、ほとんど怖い状況はなかったものの、東名高速の青葉ICを下りて来たクルマが246号に出てくるわけだが、1台の車が、まるで高速道路に合流するかのように速度も緩めず私の前に入ってこようとしている。高速じゃないんだから、車の列が切れるのを止まって待つもんじゃないのかな?普通だったらまさかこのタイミングで突入してこないよね、と思って普通に走っていたら、ひるまず入って来るので、あわててブレーキを踏んで速度を落とした。

青葉ICを境に、その先、246号は不思議なことに、どの車も速度が10キロは速くなっていた。高速下りてきた車たちが高速モードだからかな?
法定速度を守っているのは、日通の郵便車とJAFの車くらいだ。前の車ゆっくりだなと思ったら、大きなJAFのマークをつけていて、荷台には赤い三角のポールなどを積んでいた。何かの帰りなのかな?やっぱりJAFは安全運転なんだろう。

そのうち、長津田当たりに来たので、ナビの行き先を仮の目的地鶴川駅に設定。その先の側道を下りて右折し、ナビに従って北に向かった。この辺りはナビまかせだ。つづく。
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車道走行でヒヤリ

2011-11-21 21:11:51 | 運転・車・道路の事
昨日、狭い歩道のある片側2車線道路を自転車で走らなければならない状況で、歩道を走っていたのだが、前方から自転車が走ってきたので、歩道上ですれ違うことができないため、車道に下りて走ることにした。こっちは、左側通行だし、そもそも自転車は車道を走るというルールだからだ。対向してくる自転車が車道に降りたら右側逆走になってしまうのだから、こっちが車道を走らないわけにいかない。
車は後ろからどんどん追い越していった。2車線ともガンガン走っているというわけではなかった。しかし、その道路は自分が車で走ることも多いが、1つ1つの車線が車1台やっと走れるくらいの幅であり、広めの車線が1つだけある道路のほうがよほど走りやすいのだった。車にとっては迷惑だろうなと思ったが、なるべく端を走っていた。
車たちは私との間を危なくないくらいあけて抜かしていったが、あるとき、1台の車がビューんとすれすれに走り抜け、その風が当たるのを感じ、ひやりとした。よほどすぐそばをすれすれに追いぬいたということだ。その車を見たら、なんとパトカーだった。
別にサイレンを鳴らしていたわけでもなく、急いでいるはずもないのだが、よりによって、パトカーがおそろしい運転をするものだな~と驚いた。

そこから、その先にあるスーパーで買い物をして帰ったのだが、帰りは同じ道を逆走することになり、歩道の上を走った。幸い歩行者も対向自転車もいなかったので、歩道を走り続けることができたが、もし何か来たら自転車を降りて押して歩くしかなかろう。ところどころ狭くなったり広くなったりしているので、広いところでよけあってすれ違うということになる。

こうなってみて、どうして自転車が車道の右側を逆走になってしまうのかも、わからないではなかった。自転車は左側通行であるが、片側2車線づつの道路の向こう側に横断することはできないのだ。横断歩道もないのだから渡ることはできない。となると、一旦進みたい方向とは反対をむいて何百メートルも進んだ末に、横断歩道を探して反対側に渡り、そこから左側通行で進んでから、また反対側に渡ってくるということになる。そうでなければ、やっぱりずっと自転車を押して右側を歩いて帰るということになるだろう。

このような道路では、車の車線を片側1車線にして、歩道を広げるとともに、自転車用道路を作るべきだと思う。
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とんだイタリア風

2011-11-21 00:24:38 | 日記
このごろ、イタリアに凝っている私は、今日、とあるファミレスに入り、ポルチーニというキノコの入った煮込みハンバーグを注文した。
食べてみると、なんかあんまりおいしくない。腐りかかったマッシュルームみたいな香りがするように思えた。きのこというのは、独特の香りがあるものもあるようなので、そういうキノコなのかと思って食べていたのだが、それにしても煮込みのソース自体がどうもおいしくないのだった。なんか思った味と違うなあと思いながら食べ続けたが、半分くらい食べたところで、あれっ?これってもしかして赤味噌の味では?と思った。この料理、煮込みソースはデミグラスソースであり、ポルチーニというのはイタリアのキノコだそうだが、どうも洋風の味ではないのだ。ちょっと痛みかかったような発酵したような香りのように感じたのは、赤味噌の香りに違いなかった。私は味噌の中でも赤みその香りはあまり好きではないのだ。
あれっ?そういえば、その店には「甘辛味噌ハンバーグ」というメニューもあり、写真を見たところおいしそうだったが、味噌味のたれはいやだと思ってやめたのだ。もしかして、ポルチーニのハンバーグも単にポルチーニがイタリアのキノコというだけであって「甘辛味噌煮込み」だったのだろうか?
ウェイトレスさんを呼び止めて聞いてみると、そのメニューは味噌味ではないという。結局のところ、作る人がソースを間違えてしまったらしい。が~ん。
もう一度作り直すとの事だったが、すでに半分以上食べ終わっていたので、本当のものを作ってもらったところで、時間もかかるし食べきれないので断った。それにしても、つけ合せで一緒に入っているマッシュポテトとホウレンソウのソテーは洋風の味なのに、ソースが和風で、かなりミスマッチだった。



ポルチーニの甘辛味噌煮込みハンバーグ
撮影したときは、デミグラスソース味だと信じていたんですけどね。
イタリア文学を読もうとする日本人のおばさんは、このようなものかも・・・
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蝶々夫人だって?

2011-11-19 23:32:12 | 日記
どっかの国のオペラに「蝶々夫人」ってのがあって、きものみたいなのを着たソプラノ歌手が「あーるー晴れたー日ー」などと歌うものがあったのは、なんとなく記憶の片隅にあったが、それについて正直何も関心をもったこともなく、それが何であるのかさえ意識したこともなかった。

今日、「妖怪人間べム」を見たあと、NHKを回すと、「蝶々さん」とかいうドラマの途中だった。私は、その蝶々さんと、オペラの蝶々夫人とやらが同じものだとは、なかなかつながらない感じがした。
夫が「そんなことも知らないのか、日本の蝶々さんとピンカートンのことを、プッチーニがイタリアのオペラにしたのは、誰でも知っているだろう」という。
へえ、そうなの?アメリカ人の奥さんになった日本の蝶々さんのことを、どうしてイタリア人がオペラにするのかな?夫はよく嘘をつくのでこれも嘘かもしれないと疑った。

それに、“イタリア”だって?
イタリアだったら、イタリアブームの私が知らないわけにはいかないじゃないか。
そこでさっそくネット検索だ。

すると、蝶々夫人は、アメリカの弁護士ジョン・ルーサー・ロングという人が短編小説を書き、それをもとに、アメリカの劇作家デーヴィット・ベラスコが戯曲を書き、それをもとにイタリアのプッチーニがオペラを作ったのだそうだ。

へえ~~~~~。夫の言うことは本当だった。夫はオペラなんか見る趣味は全くないが、そんなことは常識なんだそうだ。さては夫が英米文学を専攻していたから知っているのかと思ったら、そんなものは大学で習うわけではないという。要するに私がおそろしいボケ人間だったということだ。ウ~ン、これは認めるしかなかろう。

プッチーニって、イタリア人か。歌劇といえばイタリアだもんな。

それで、プッチーニについて調べたところ、1858年に生まれ、1924年に没していることがわかった。これは、「ジャン・ブラスカの日記」=「ジャンニーノのいたずら日記」の著者ヴァンバ(1860~1920年)と全く同時代の人であることが分かった。
日本でいうと江戸時代の終わりから明治・大正時代ということになる。蝶々夫人は明治時代の話らしい。その当時、イタリアの作曲家が日本の人間の出来事に目を向けていたとは驚きでもあるが、初演は大失敗に終わったという。しかし、2回目は内容を改善して成功をおさめたそうだ。

今時、晴れの天気ことを「ピーカン」というらしいが、これは蝶々夫人の夫「ピンカートン」が由来だとかいうことだ。

来週もテレビドラマの「蝶々さん」を見なくてはいけない。




言葉がわからないので歌の意味もわからない。
日本語での歌は見つからなかった。
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録画を見る

2011-11-18 21:48:02 | 放送大学
週末がやってきた。夫が夜勤なので、録画を見ることにした。
放送大学の課題提出も迫ってきているので、放送授業を見ようと思った。
最初にまとめて録画予約してあったディスクデッキは、ケーブルテレビ会社のもので、夫がそれを別のタイプのものに変更したので、以前の録画も今後の設定も消えてしまっていた。
そんなことがあって、しばらく放送授業を見ていなかったが、夫が言うには、録画は以前からある自宅のブルーレイディスクに移したというので、それを見てみた。そうしたら、「失敗予防の住まい学」の5回目だけがたった1つ入っていて、「材料工学」のほうは何も入っていない。あわてて今後の録画を予約したが、次回はすでに8回目となっている。まったくひどい。それとも、またケーブルテレビ会社のデッキに戻したのかよくわからない。今はブルーレイディスクデッキが2つも並んでいるが、なんでそんなに必要なのかもわからない。無駄だ。

しかたがないので、「~住まい学」だけ見ることにした。木造住宅の構造について話していたが、そこに「横梁」「根太」というのが出てきた。
私が日ごろ仕事で読む書類の中には、これらの単語がよく出てくるので、この文字にはなじみがあった。図面と照合するのでどんな物かもわかってはいる。しかし、おやっと思ったのが、これらを先生が放送で「よこばり」「ねだ」と言っていたのだ。何と私はこの7年近く、これらの言葉を「よこはり」「ねぶと」と読み続けてきたのだった。声にこそ出さないが、ずっとそう読み続け、それらの読み方が違っていようなどとは夢にも思わなかったのである。特に「ねだ」にはびっくりだった。ああ、声に出さなくてよかったと思ったけど、もし声に出していたら、わかっている人が正しい読み方を教えてくれていたのかもしれない。
そんなにも、私の仕事は孤独な仕事だ。ただただ目で読み続けて誤記を直すだけだから、文字さえ間違っていなければ読み方なんか知らなくても支障がないということだ。
それにしても、放送大学でこの科目を取ってよかった。こんなに何年もかかって、やっと正しい読み方に出くわしたからだ。そんなにも私の1歩は遅いのだ。

そういえば、「雄ねじ」「雌ねじ」というのもよく出てくるが、これは「オスネジ」「メスネジ」と読んでいた。これも何かの放送授業の中で先生が「オネジ」「メネジ」と言っていたようで、正しくはそう読むのかと思ったが、これに関してはどっちでもいいようだ。「雄部材」「雌部材」などという言葉も仕事で読む書類の中にはよく出てくるが、「オスブザイ」「メスブザイ」でよさそうだ。
「失敗予防の住まい学」でアタマに入ったのは漢字の読み方くらいのもので、途中でいつの間にか寝てしまい、目が覚めたら終わっていた。もう一度繰り返す気も起きずそこまでとする。

さて、録画の中に「ノルウェイの森」が入っていた。2010年の映画である。wowwowで放送したのを夫が入れたらしい。夫はまだ見ていないようだ。そういえば、昨年は原作なんか読んでうんざりしていたけど、見てみることにした。原作をずいぶんと省いてあるようだけど、原作同様気分のいいものではなく、主人公が療養所を訪ね、部屋に着いたところまで見て、いやけがさしてやめてしまった。やっぱり駄目だ。相性が悪い。特に女が気持ち悪い人ばかりだった。見ていて気持ちがなえてくるような作品はいやだ。この映画で自然がきれいだとか絶賛する人がいるが、そんなものではどうにもならない。

気分転換に何か別のことをしようと、夫の部屋から立ち去った。
今夜は寒い。自分の部屋に戻り、ついにエアコンをつけた。



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もうすぐ週末

2011-11-17 22:01:44 | 日記

あと1日出勤すると休みだ!土曜日は何をしよう?
でも、また天気が悪いらしい。だからドライブは日曜日かな?

このごろ、さすがに寒くなってきた。
それでも我が家では、まだゴーヤとヘチマがなっているし、
一昨日朝顔が咲き、昨日はハイビスカスが咲いた。
ハイビスカスは普通1日でしぼむのに、なぜかまだ咲いているのだ。不思議だ。

ハイビスカスは、まだつぼみが3つあり、部屋の中に入れているので、これからも咲きそうだけど、ゴーヤとヘチマと朝顔のカーテンはもうすかすかで、いくらなんでももうすぐ閉店であろう。ヘチマは長生きしたなあ。1個は長さ32センチになって収穫し、あと2個なっている。ゴーヤは1個黄色くなっちゃって、もう1個緑の小さいのがある。これらはタネを取るかな。

節電のため、家ではまだ暖房をしないで頑張っている。今つけてしまったら、もっと寒くなった時にどうするんだと思い、靴下を履いたり、割烹着を着たりしている。職場でもストールでも用意しようかと思っているが、なかなか気に入ったのが見つからない。
暖房費は節約できるけど、防寒のための衣料費がかかりそうだ。
電気代は昨年の同月より安く、月別に見ても10~11月はかなり使用量が少ないが、1番少ないのは5~6月だ。どっちもエアコンは使っていないと思うが、日照時間が違う。秋のほうが早く日が沈むので早く電気をつけなくてはならないから、電気料がかかるのかもしれない。このごろは仕事から帰るころは真っ暗になってしまう。

11月も後半になってしまったし、月日のたつのは早いものだ。

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アマリリ違いすぎた

2011-11-16 21:29:31 | 日記
「ジャンニーノの日記」からイタリアのことを考えだしたら、昔、短大の音楽科に入っていた姉に、自宅でよくイタリア歌曲を歌わされたことを思い出した。姉はイタリア歌曲集という歌詞付きの楽譜を持っていて、その中の歌えそうな、弾けそうな曲を、ピアノ伴奏と歌でかわりばんこに交代して演奏したのであった。
その曲がなんだったかな?と思いだしたところ、
アーマリーリミアベーラ アマリ~ィリィ~リ~  アマリ~イ~リイイリイリ~
みたいな歌詞だったと思いだした。
意味は全然わからなかった。イタリア語はローマ字読みすればいいんだとか言ってたようだし、あるいは、姉がカタカナで振り仮名をつけていたのだったと思う。

そこで、ユーチューブで「イタリア歌曲」を検索してみると、「アマリッリ」というのが出てきた。
聴いてみる。うん、確かにこれだ。しかし、ずいぶんともの哀しい感じである。




こんなに哀しげな歌だったとはしらなかった。当時私たちはもっと早いテンポで普通に歌っていたのだった。
これは、男性が、アマリッリという女性に対する愛を切なく歌ったものらしい。そんなこと全然知らなかった。
姉は知っていたのだろうか?私は姉のまねをしていたのだから、姉もまた普通に歌っていたに違いない。それか、切なく歌っているつもりでも、結果が切なくなかったってことか。

昔は、ビデオも無かったし、本物を見たり聴いたりする機会なんて無かったと思う。レコードくらいはあっただろうけど、姉は声楽科ではなくピアノ科だったので、家には歌のレコードなんかなかったのだ。

ま、今になって本物を聴けただけでも、ちょっと進歩した感じだ。
この歌を作ったのはバロック時代のカッチーニと言う人で、フィレンツェで活躍した人なのだそうだ。ふ~ん、この人もヴァンバと同じフィレンツェゆかりの人なんですね。時代はもっとかなり古く、メディチ家に仕えたという。メディチ家といえば、放送大学の芸術の科目で習ったぞ。イタリア歌曲、きれいな声だ。

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外国人と外国語

2011-11-16 01:52:11 | 日記
今日、職場に外国人が来て驚いた。最初から来る予定になっていたらしいので、驚くのもおかしいがパートタイマーの私はその予定を知らず、また、滅多に外国人が来ることはないのでびっくりした。「外国人」と一口に言っても、どこの国の人かと言えば、英語を話すからたぶんアメリカ人なのだろう。
最初、急にちょっと離れた席から電話を相手に話す英語が聴こえて来た。あれっ?ということは、日本人の社員が英語を話しているってことだ。その人が日本語で電話をする声は、いつも全く聴こえないのに英語は聴こえるのであった。
数分後に、外国人当人が入ってきたが、この人の声がまた大きい。別の部屋に入って行ったにもかかわらずビンビンと外まで響く。お腹から声を出しているようである。
そうか、英語とはそういうものなのであろう。同じ日本人が話しても、日本語では周囲に何も聴こえないのに英語では聞こえるのである。
しかし、英語が話せるとかっこいいものだな~。役職のあるような数人が入って行ったが、みんな英語ができるのかな。

こういう機会があると、少しは外国語を勉強しようという張りあいが出そうなものだ。それが中国人だったら中国語をやらなくちゃと思うに違いないし、また、別の国の人ならその国の言葉を使えるようになりたいと思うはずだ。
でも、普段は外国人に接することもないから、なかなか外国語を勉強しようと言う気になれない。いざというときのために、勉強をしておけば少しは役立つことがあるのかもしれないけれど、それもいつあることだかないことだかわからないようでは、やはり外国語を勉強する動機にはならない。

それにしても、日本語というのは、口の中でぼそぼそしゃべっても相手に通じてしまうので、なかなか説得力が生まれない。日本人同士で通じても外国人には通じないかもしれない。
英語の到達距離のすごさについて言うと、近所のマンションに外国人のおじさんが住んでいるらしく、姿は見たことがないのだが、その声がしょっちゅう聴こえてくるのである。どんだけ大きな声で話しているんだか、その妻はたぶん日本人で、妻や子どもの声は全く聴こえてこないのに、そのお父さんらしき人の英語の声はビンビン響き渡っている。日本人の声がそれだけ響くとしたら酔っぱらってわめき散らしているか、何かに起こって怒鳴り散らすときくらいだろうけど、その人は普通に話している声である。しかも口数が多い。すごいパワーだ。

今日は会社では、たった1人の金髪のアメリカ人のお客さんに、日本人4~5人が集まって対応していたようだけど、ここは日本であるにも関わらず、外国人が当然のように英語でしゃべり、日本人が必死に英語で返事をしているのであった。

TPPでは、野田さんの言ったことと、オバマさんの受け取ったことと一致しておらず、言ったの言わないだのということで問題になっている。ちゃんと通訳をしたのだろうか。本人たちがウソをついていないのだったら、言葉の行き違いってことになるではないか。テーブルの上に全品目並べて、それを全部検討するのか、それともその全品目に関税などをかけず自由に貿易するのか?なんかわけのわからないことになっている。
やっぱり、英語ができないとまともな交渉もできないかな?

英語のパワーの大きさと、言葉の障壁。なんだか考えさせられてしまう。
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家族と他人

2011-11-15 22:52:52 | 日記
今夜は、テレビでさんまが司会をする番組が放送されていたが、ゲストたちは女性ばかりで、最近結婚した若い女性たちと、息子のいる姑の立場の年輩の女性たちだった。
そこで、姑や嫁を他人と感じたときのエピソードなどが紹介されていた。私は、姑を相手にいやな思いをしたことがないし、ほとんど遣えたこともない。それは幸いだったし、これからも息子がいないので、嫁とぎくしゃくすることもなさそうだ。舅と婿ということでは、それほど問題がなさそうなのに、女同士だとどうして摩擦が起きるのかと思ったら、やはり一緒に料理や家事などすることが多いからだろうか。

その中で、例えば、姑がいつも入れ歯を入れているコップにジュースを注いで、嫁に飲みなさいと勧める場面があった。無意識にしているのか、いやがらせなのかわからないが、嫁は何も言わず黙ってジュースには口をつけない。
これが、本当の親子だったらどうだろう。「やだよ、このコップ、お母さんがいつも入れ歯を入れているコップじゃない。お母さん自分で飲みなよ」と言って、自分は別のコップを持ってきて勝手に注いで飲むはずだ。だったら、姑にもそう言えばいいと思うけど、言えないかな?私にはそんな姑に関する苦労は無かったけど、娘たちはこれから苦労すかもしれないなとふと思った。

実は、長女が近々結婚することになった。それで、昨日長女が式場の打ち合わせに行かなくてはならず、ずいぶん前から私に同行を頼んでいた。その式場は、結婚式の打ち合わせが、平日しかできないのだそうだ。土日祝日は本当の結婚式をやっているからである。それで、結婚する当人たちは平日の昼間は仕事をしているので、夜しかない。しかし、結婚相手は夜もそんなに早く仕事が終わらないので行くことができず、打ち合わせのたびに休暇を取ることもできない。昨日は色々な見本が見られる機会だったので、ぜひ行く必要があったが、娘1人ではいやなので、私に頼んできたわけだった。
会場に行くと、何組かのカップルがいて、両家の親まで一緒に来ている人もいた。

私は当人たちに任せているので、基本的にノータッチである。そして、どうもそういうことに夢中になれないたちなのであった。昨日も仕事が終わってから娘と一緒に式場に行く約束をしていたのをころりと忘れ、夕飯は何にしようかなどと考えながらいつもと同じように買い物を済ませ、家に帰った。すると、自宅の電話のベルが鳴った。出てみると長女であり「お母さん、今日の約束忘れてるでしょ」とのこと。何度も携帯メールや電話をしているのに、全く返事もないではないかという。あっそうだ、今日は約束の日だった。すっかり忘れていた。もう遅刻だとは言うが、あわてて駅に向かった。夫には勝手に夕飯を食べるように連絡した。それで、昨日は夜遅くまで、会場の花やビデオや写真撮影や引出物などのことを係りの人と相談して、日付も変わるような深夜に帰宅したわけだった。朝起きてすぐまた出勤したので、なんだか何も休まずに働き続けているかのような錯覚にとらわれるのだった。

で、もしこれが、実の母親ではなく、姑だったら・・・と考えたわけだ。ちゃんと以前から約束しているのに、姑が約束の日になっても何の連絡もなく、こちらから何度連絡しても返事も無い。時間は刻々と過ぎていく。後になってみれば「忘れて買い物をしていた」などとヌカス。いったいどうなっているんだ。いやがらせか。きっとわざと忘れたふりをしたのだろう。yやっぱり他人だから愛情がないのだ、などと思ってしまいかねないではないか。

これが実の母親であるから、どうせ自分の母親はこんなぼけた性格だということがわかっているし、悪意がないことはわかっていて、ただあきれるだけであろう。
娘よ、忘れていて悪かった、ごめんね。
だから、もし姑がこんな事をしでかしても、悪意があるとは決めつけないほうがいい。まあ、他人との約束だったら忘れないように気をつけるだろうけど、うっかり忘れることは誰にでもあるものだ。


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