一人で実家に向かっている。
前記事で書いた中で、重大なカン違いをしていた。
それは「日経パソコン」と「日経PC21」の混同だ。
学割の注文で、頭では「日経パソコン」を注文したいと思っていたのだが、「日経PC21」という項目をみて、それが「日経パソコン」だと思いこんでしまった。
いつのまにか雑誌名の「パソコン」が「PC」という表記に変わったのかと思ってしまったのだ。そこに「21」というわけのわからない数字も付いたと。
ここであらためて「日経パソコン」の学割購読価格を見てみると、
1年間24冊(月に2回) 19800円が13800円である。つまりこれはちゃんと30%引きになっている。
一方「日経PC21」は月刊誌で1年12冊で8100円が7290円。10%引きだ。
私は「日経PC21」という雑誌の実物は見たことはないのだった。
チラシに記載されている学割購読価格表を見ると、
表上部の「おすすめ誌」に「日経PC21」があり、それより下のほうの「ⅠT分野」に「日経パソコン」が記載されている。
私はもともと「日経パソコン」を購読したいと常日頃思っていた。
それは会社の回覧で回ってきて、内容をさっと見ているので、役に立つことが掲載されていることが十分に分かっているからである。
会社の回覧は、もうめちゃくちゃに回ってくる。だから2週間に1冊発行されているということはちゃんと認識していなかった。
誰かが1冊をずっと持っていたりするし、回覧順が決まっているわけでもないので、新しいものが先に回ってきたり、古いものが後で回ってきたり、誰かのところに溜まっていたのが、まとめて4冊くらい回ってきたりすることもある。
頻繁に回覧がくるなとは思うものの、機械的に受け取って回覧印のついていない人に回すだけなのだ。
また、回覧版に雑誌が挟まれて、表紙の上に回覧の紙が載っているので、雑誌の表紙をほとんど見たことがないのかもしれない。
だから「日経PC21」の写真を見ても普段回覧で回ってくる「日経パソコン」とは違うということが、はっきりわからなかったのだと思う。ここには「日経パソコン」は載っていない。
「日経パソコン」だと年間購読料は高いけれど、冊数が多いし利用価値は高いから、これが3割引きで買えるのはかなりお得である。
あっ、でも「日経PC21」でも、利用価値があるのかもしれないし、こっちのほうが支払い金額が安く済むから、こっちでもいいのだろうか?
迷ってしまう。
このあいだ、放送大学の面接授業で学習センターに行ったら、
「2019年版 放送大学の学生様 特別企画
日経BPグループの専門誌がお得に読める!学割30%OFF」
という配布資料がおいてあった。
今まで15年も放送大学にいるけど、これを見たのは初めてだ。最近始まったサービスなのかな?
全22冊と書いてあって、日経の雑誌が30%引きで買えたら、かなりお得だ。
これまでも、日経ビジネスや日経パソコンを買いたいと思っていたけど、実際に書店では、ほとんど買ったことがない。
この中で「日経パソコン」は、会社で回覧として回ってくるのだが、仕事中に内容を読む時間はないし、速やかに回せというので、パラパラめくっては、すぐに次の人に回してしまうのだ。
全員回覧後は、遠い場所にある書棚に置いてあるが、それを仕事の後や昼休みなどに自席にもってきて、じっくり閲覧することは可能なものの、なかなか実行できない。
つまり、会社に「日経パソコン」はあっても、結局は内容を活用することはできないのである。まるで意味がない。
しかし、会社にあるのにわざわざ書店で定価で買って読むのはもったいない気がするから「日経パソコン」は自分で買ったことはないのだった。
だが、30%引きだったら、定期購入して自宅でじっくり内容を確認し、活用することができるので、これはかなり魅力的だ。
そこで、さっそく申し込もうと考えた。ちょうど1月から1年間購読したらいいかな。
そして、申し込み欄に必要事項を書き込み、金額を確かめた。
あれっ? 「日経PC21」は一般価格1年分12冊で8100円である。
これが、放送大学学割価格だと7290円である。
3割引き? 8100円と7290円は、それほど違わないのではないか?
計算すると、これって10%しか引かれてないよね。
でも、はっきり30%引きって書いてあるから、ここからさらに引いてくれるのだろうか?
とりあえず申し込みは保留にして、もう一度確かめてみよう。
日経WOMAN 7070円→6360円
日経マネー 8550円→7690円
これらも、10%引きではないか!
学割30%OFF ってウソじゃないか~~~~
色々と見てみた。
日経ビジネス 14600円→10300円
あっ、これは30%引きだ。
しかし、1度に1万円の支払いは高い。
「日経ビジネス」は、私には会社で回覧としては回ってこない(仕事上の必要性が少ないから?)けど、やはり回覧後は書棚にあって、これは昼休みなんかに、自由に読むことができる。
やっぱり、購読するとしたら「日経PC21」が魅力的だ。
だが、なんで10%引きなの。
「30%引き」とか、こういう紛らわしい表記はやめてもらいたい。
パソコンの申し込みサイトのほうを見ると「最大30%」と書いてあった。
そして、これをよく見たら2019年版なので、2019年はあと2日で終わってしまい、1月になったら2020年じゃないか。(2019年度ってことなら3月まで大丈夫かな?)
そして、このチラシに記載されている金額は2019年4月のものなのだそうで、そうしたら10月から増税されているから、ここに書いてある金額よりも高くなっているということになるのだ。
どっちにしても、30%引きだと思って飛びついたんだけど、10%引きだとわかってちょっと購読意欲が失せたのだった。
でも、購読して、パソコンやスマホを実際に操作しながら方法を確かめたりすれば、パソコンやインターネットなどの知識や腕をもっと上げることができ、自分の成長になるだろう。
どうしたらいいかな~~~
追記:
重要なカン違いに気づいた。日経パソコンと日経PC21は違うのだった。
次の記事に書きます。
エレクトーンの上に衣類を山盛りおいてあった。
一応シワが付かないように畳んだり平らにしたりして、置いてあった。
それが、昨夜滑り落ちてきたのである。
エレクトーンの蓋は斜めになっているので、滑り台だ。
落ちた大量の衣類を直すのが大変なので、落ちたままにしてあるのだが、それも片づけないとけない。
もしかしたら、その下に年賀はがきが埋もれているのかも?
衣類はしかるべきタンスなどに収納しなければいけないだろう。
見れば秋物の薄手のものとか、取り込んだままの洗濯物とか、いろいろある。
もう、やだ~
・・・
もう一度載せても落ちてくるだろうし、
この衣類を片づければ、エレクトーンも弾けるようになるので、
片づけないとけないなあ。
もう、毎年のように同じことを書いているので、また同じことを書きたくはありませんが・・・
やっぱり、年賀状を書くのが面倒くさい。
でも、もらうのがうれしいので、毎年送ってくれる人にはこちらからも出すようにしている。
ただ、12月25日までなんて到底無理で、年内の仕事が終わってから準備するのだけど、それもまだ手付かずなのだ。
昨年あたりから、郵便局の人が、駅前で年賀はがきを売るのをやめてしまったので、なかなか年賀はがきが手に入らない。
インクジェット用の無地はコンビニに売っているのかな?
郵便局は5時過ぎには終わっているので、昼休みに買いに行けばいいのだが、いつも忘れてしまうのだった。
例年は、年賀はがきのデザイン集(CD付)の一番安いのを書店で買ってくるのだけど、今年はそれを買うのをやめて、昨日コンビニから絵柄付き年賀はがきを20枚買ってきた。
もう、本からデザインを選んではがきに印刷するのも面倒くさいので、絵柄付きの年賀はがきを買って、そこに手書きで宛先と自分の住所名前と、そして一言添えればいいやと思ったのだ。
だが、昨夜書こうと思ったのだけど、やる気が出なくて保留にし、もう最後の最後、今夜中に書いて、帰省する前に投函しないといけない。
ということで、さっきいよいよ書こうかな~と思った。
だが・・・
なんと、買ってきたその年賀はがきが 無い!
いったいどこへ行ってしまったのだろうか?
買ったけど、もって来なかったかな?コンビニに置いてきた? 途中で落とした?
でも、夫に聞いたら、確かに見たという。
そうだ、今年は面倒だから、絵柄のはがきを買ってきちゃったよと言って、夫に見せたと思うのだ。
だが、それが丸ごと消えちゃった。
・・・
この家でよく消えるのは放送大学の教科書なんだけど、試験前などに、いつも座敷童がどこかに隠してしまう。
年賀はがきも同様なのか。
つまり、やりたくないなあ~と思うものに限って、消えてしまうのである。
それにしても20枚で2000円以上したので、使わないともったいない。
今夜中に探さないといけない。
昨日、間違えて水に浸すと同時に火にかけてしまった黒豆だが、すぐに火を止め、それから4時間くらいおいて、改めて煮始めて、なんとか支障なくできあがったようだ。
この豆は丹波の黒豆ではなく、北海道の光黒大豆というものである。
だが、黒豆も黒大豆も結局同じものらしい。
袋には250gの豆に3倍の水ということで750ccの水を入れたが、この量のまま煮ると完全に水不足だ。
ネットで黒豆の煮方を見ると、だいたい1300ccとか、もっとずっと多い水で煮ることになっている。
まあ、適当に水を追加して、煮詰まらないようにすればいいらしい。
そのほかにも、灰汁抜きに重曹を使うのだとか、先に砂糖と塩を入れるのだとか、方法はさまざまで、どれが本当なのか、わけがわからない。
一晩中水に浸して3日くらいかけて作るなんていう方法ものっていた。
とりあえず、水を多くした以外は、袋に書いてあるようにして黒大豆を煮た。
圧力鍋で柔らかくなるまで煮て、砂糖カップ1杯くらいを3回くらいに分けて入れ、塩・しょうゆ少々も入れ、また少し煮て、一晩おいて、味を見ると、まだ甘くないので、さらに砂糖を足して煮てみた。
それで、とりあえず完成というところ。
完璧ぷっくりパンパンという感じではないけど、あんまりシワもよってないから、これでいいかな?
一袋煮たらかなりたくさんにあるのかと思ったら、それほど莫大な量でもないので、一部を自宅に置いていって、あとは実家にもっていき、3日間くらいで食べ終わりそうだ。
追記:
この豆は、昨年末に買ってあったものだが、年末に作る暇がなくなったので、年が明けてから煮ようと思いつつ、1年も経ってしまったものだった。
ということで、製造年月日が2018年の11月17日のもの。
それでは、古くてダメなのかと思ったら、賞味期限が2000年11月16日になっていた。
乾物の豆は2年間大丈夫ということで、まだまだ余裕だったのだ。
でもしかし、来年の年末では遅すぎるので、今年煮てよかった。
普段は、めったに昼ご飯を自宅で食べることはない。
夫と私の勤務日がずれているからである。
めずらしく、朝から両方が家にいた。
夫はスターウォーズを見に行きたいと言っていたが、映画なんか見に行ったら結局1日つぶれてしまうので、行くなら勝手に行けというと、映画はやめたという。
その後、電気屋まで車で送って行ってくれないかというが、それも夫を電気屋の前においてくるだけでも1時間半くらいは無駄になるので、行くなら自分で行けと言ってやった。
そうしたら、出かけて行ったので、見ると11時40分くらいだった。
どうせ行くなら昼ご飯を食べてから行けばいいのに、と思い、こんな時間だったら外で食べてくるだろうと思って、私は昨夜の味噌汁の残りに卵を落として食べて昼ご飯にした。
そうしたら、なんと1時ころ帰ってきた。昼ご飯は食べてこなかったから家で食べるという。必要なものをぱっと買って戻ってきたらしい。
私はあまりおなかがすいていないけどしょうがないから、そばをゆでて、大和芋をすりおろし、卵を落としてかまぼこを切り、ネギを入れて、とろろそばを作った。
「お昼できたよ」というと
「そんなもの食べてるどころじゃなくなった。オーディオから音が出なくなった」という。
なにやら、新しく買ったオーディオの配線が間違っている可能性が高いらしい。
でも、それは別に一刻を争って対処する必要があるものでもなく、数分間おいたらどうかなってしまうものでもないので、「先に昼ご飯を食べたらどう?」というと、
「昼なんか食べてるどころじゃないんだよ!」という。
いつもの夫のびょーきで、何か一つの問題にぶつかると、それが解決するまでは他のことに意識を向けることができないのだ。
そんなわけで、私の作ったそばは30分もテーブルの上に放置状態である。
私はそんなにお腹がすいているわけでもなかったのに、2人分作って自分の分のそばは食べた。
まったく頭にくる。
まあ、こんなことは今に始まったことではなく、40年近くも繰り返してるので、バカ男はバカ男で改善のしようもないから、放置しておく。
それにしても、頭にくることだ。
このような性格では、会社で仕事をしていても、一つのことを保留にしておいて、他のことをとりあえず処理しておくなんていうことができないから、効率が悪くなり、使えない人間に違いない。まあ、こういうのを一種の発達障害というものだとすれば、目をつぶるしかしょうがないことになる。
おそらく、オーディオが直れば、そのあとで延びて冷めきってまずくなった蕎麦を食べることになるので、蕎麦を捨てるということにはならないから、私が作ったことが無駄にはならない。
冷めたカレーだろうと、うな重だろうと、ラーメンだろうと、後になって食べるというのがこれまでの経過であるから、蕎麦と夫はこのまま放置しておく。
結果報告:
オーディオの不具合はいまだに直らない。古くて壊れたのではなく、新しいオーディオであるので、接続が間違っているか、あるいはそもそも備わっていない機能を無理やり機能させようとしているのかもしれない。
夫は、さすがにあきらめて、3時半ころ冷めきったそばを食べていたが、電子レンジで温めればいいのに、そんなこともしない馬鹿者である。
最近、世の中でよく聞くことが、配偶者の実家に行くのが憂鬱だという話だ。
私の夫には実家がないので、私はそういう苦労はしたことがない。
だから、うちは私の実家に夫が行くというパターンしかない。
だが、確かにそれが夫にとってはストレスでもある。
夫は私の実家の母に気を遣うわけではないが、住宅環境や生活習慣が合わないので、私の実家に行くと、座る位置や食べ物や寒さで具合が悪くなってしまうのだ。
だから、今年は私の実家に行かず、一人で留守番しているそうだ。
・・・
ところで、世間で言われていることは、孫などがいる場合も、多くは妻側の実家に行く家庭が多いとのことだ。だいたい夫側の実家へは足が遠のくのだそうだ。
うちの娘も、夫の実家を敬遠しているようで、孫を見せに行ったらどうかと私が行っても一向に行く気配がないし、娘の夫も率先して自分の実家に家族を連れて行こうという気がないようである。(娘が行きたがらないからあきらめているのか)
・・・
ところで、孫から見ると、父方の祖父母よりも母方の祖父母のほうに親近感があることが多いそうだ。
そこで、私自身がどうだったかと思い出してみたが、私の場合、父と母の両方の祖父母の家が同じ地域にあったので、行くときはいつも両方同じように立ち寄っていたから、どっちがより身近だとかいう意識はまるでなかった。
どっちの祖父母がより親しいということもない。
でも、今思い出すと、やはり母方の祖母の思い出は強い。祖母と母と私たち孫が縁側で仲良く話をしたり、祖母が畑から収穫したばかりのトウモロコシをゆでてくれた記憶がある。
また、父方の実家では、親と一緒に行ったときの祖母との関係は、こたつに座っていただけだが、父の妹家族に私だけが連れていってもらったときは、祖母と従兄妹と玄関の掃除をしたりして、両親といくよりも祖母との触れ合いがあったように思う。
だが、今気づいたことだが、どちらの実家でも父はそこで何をしていたのか、まったく記憶がないのだ。
今思えば、男同士で酒でも飲みながら話をしていたのかもしれないので、女子供とは別行動だったから覚えていないのかもしれない。
ただ、私の父は子供の頃から実の親ではなく、子供のない叔父の家で養子のように暮らしていたので、実の親とは普通の親子のようななれなれしい関係でもなかったみたいだ。だから、父方の実家で、祖父母と父との間の親子らしい会話のやり取りなどを私は全く記憶していないし、私は父方の祖父と何か話をしたという記憶は全くない。
父方の祖父は96歳くらいまで長生きした人で、父のほうが先に亡くなった。
よく我が家に来ていたのだが、なぜか言葉をかけられた記憶が全くないのである。
母方の祖父は病気でベッドに寝ていたが、ベッドから「大きくなったなあ」などと声をかけてくれたのを覚えている。
子供のころは、父方母方の実家ともに、泊まったことはあるが、どっちも数えるほどだ。どっちの祖父母とも私自身はそれほどの深いつながりがなかった。
・・・
最近では実家にべったりな娘と孫が多いようだが、あんまり極端なのはどうかと思うし、相手方の実家にも多少は我慢していくべきじゃないかと思う。
【前代未聞】ショパンの夜想曲をサックスで吹いてみた結果www Chopin - Nocturne op.9 No.2 【Soprano Saxophone Version】
この演奏すばらしい。
公開された日からもう何度も繰り返し聴いています。
千野哲太さんの解説がすごくわかりやすいし、とてもきれいな音色、メロディー。
むしろ、ピアノよりもサックスのほうがいい感じ。
さすがですね。
私のマイブームは、ピアノのフォルテ君とサックスの千野哲太さんの演奏をyou tubeで聴くこと。
そうして、来年の抱負は、ストリートピアノまたはコンサートに足を運び、ぜひぜひ生の演奏を聴きたいということです。
このあいだ、ケンタッキーフライドチキンに1人で入った。
1階でランチセットを買って、階段を上がっていった。
2階には女のマークがついていた。そして、3階には男と女のマークがついていた。
おやっ? 2階は女性専用なのか?
女性専用車両というのがあるのは知ってるけど、電車みたいだな。
ちょっと不思議な気がしたが、自分は女性だから2階でいいかと思って入っていった。
そうしたら、やっぱり女性ばかりが食事をしていた。
やっぱり食べるときも女性だけのほうが、確かに気が楽だよねと思った。
だが、ふと見ると奥のほうにかなり年配のおじいさんがひとり、テーブルで食事をしていた。なんとなく異質感がある。
あのおじいさん、女性専用フロアってことに気が付かないのね、と思った。
でも、別にそんなことで男を排除しようとは思わないから、女性専用フロアですよ、なんて注意する人もいないんだと思っていた。
それから、食事をしながら、考えた。
2階が女性専用だとして、3階はどっちもOKならば、カップルは3階へ、男と女の混じった家族や友達グループなども3階へ、そのほかに、男性専用フロアがあるわけでもなさそうなので、男性同士も3階へ。
そうしたら、こんな女性優遇でいいのか?
だいたい、客は女の割合がそんなに多いもんだろうか???
という疑問がわくのだった。
それから、しばらくして、あれっ???
女性マークってやっぱり女性フロアってことだよね?
えっ? それとも私の見間違い???
チキンを食べ終わってから、階段を下るときによく見てみた。
女性マークは確かにあった。あっ、これって女性トイレだ。
3階は男性と女性トイレ。
それは、そのフロアのトイレの有無を表示していたのだった。
なんだ、女性専用フロアって意味じゃなかったのね~~~~
間違っていたのは、おじいさんではなく、私である。
昨年買った黒豆が、そのまま煮ないで1年経ってしまった。
それを今年こそ煮なければと思って、袋に記載されている作り方を読んだ。
豆をさっと洗い、豆の3倍ほどの水に4~5時間漬けておく。
それから、そのまま豆を煮て、灰汁が出てきたら取り除く。
そうして1時間半くらい煮て、柔らかくなったら砂糖を3回くらいに分けて入れる。
一気に入れると固くなることがあるそうだ。
そうして、いったん砂糖を入れてしまうと、それ以上は柔らかくならないのだそうだ。
塩も少し入れるようだ。
・・・・
過去に黒豆を煮たときは、黒豆を数時間水につけておいて、それから圧力鍋に砂糖と塩(醤油も少し入れたかな?)を入れて、所定時間圧力をかけて煮るという方法だった。この場合は最初から調味料を入れていたが、圧力がかかるので柔らかくなるのだろう。
近頃、うちの圧力鍋は圧力が減少しているみたいなので、あんまり信用ができないから、豆の袋のやり方を取り入れることにした。
圧力鍋の使用説明書もどこかにやってしまった。
・・・
だが、なななんと、最初から、ぼーっとしていて間違えたのだ。
豆を洗い、250gの豆に、3倍の水750ccを入れて圧力鍋に入れたが、そのまま4時間くらい浸しておくべきところ、なぜか無意識にガスの火をつけていたのだ。
あれっ?と思ったら、すでに沸騰しているではないか!
最初は圧力をかけないで普通の鍋のように煮始めようと思っていたので、蓋は閉めていないが、とにかく豆を浸したら火にかけないでそのまま置いておかなかいといけなかった。
それは、どんなもので煮るにしても同じことである。
豆をいきなり水に浸さないで煮てしまうとどうなることだか???
とにかく、あわてて火を止めて冷めるのを待ち、4時間くらいしてから改めて煮ようと思うけど、大丈夫かな~
2日くらい前だったかな?朝出かけたときに、公園のところにカラスの大群(とは言っても10羽以下、5~6羽だと思うけど)がいて、カアカア騒いでいた。
数羽は目線よりちょっと高い木や塀に止まっていて、それはすぐ進行方向の左後方になったんだけど、1~2羽が私の前方にいて、何か不穏な動きをしている気配だ。
その1羽が確か、左側の塀の上に止まってこっちを見ていたので、
「私はあなたには関係ありません。かかわる気はありませんよ。」
というオーラを発し、カラスの存在を無視しつつ、目線を右下に向けて通過した。
カラスは何もしてこなかった。
ここは、以前反対側から歩いてきてカラスに頭を襲撃されたところである。
その時は、地面に巣立ちしたばかりの子ガラスが歩いていたので、それを守るために親ガラスが威嚇してきたらしい。
だが、今の季節はヒナもいないだろうし、理由がわからない。
すると、左の公園の頭上高い木の上のほうから「ギャー」という聴き覚えのあるような鳥の一声が聞こえてきた。
これは、以前見かけた緑色のインコの声に似ていると思ったが姿は見えなかった。
以前の時は、別の寺の境内でインコたちがぎゃーぎゃー騒いでいたのだが、一羽の緑のインコがカラスの餌食になって地面に落ちていた。
今回も、そういう場面だったか、カラスが獲物を狙おうとしていたのかもしれない。
集合狭小住宅なので、正月のお飾りは毎年小さなものを玄関に飾っている。
小さな家なので小さなお飾り、所得が少ないので安価なお飾り、という感じで、身の程にあったものだ。
でも、こだわりがあり、自分が気に入ったデザインのものにしたい。
500円前後のものだけど、スーパーに何種類か売っているので、その中から選ぶ。
だいたい12月になると売り始めるけど、クリスマスを過ぎたらすぐに買わないと、安くてデザインの良いものから売り切れてしまう。
お正月飾りはほんの数日のものなので、できれば安いほうがよいので、百円均一のものでいいやと思ったことがあった。
そこで、いつだったか、28日ころに行ってみたら影も形もない。確かにクリスマス前に売っていたのを見たが、売れてしまったのだった。
その次の年には、もっと早く買わないといけないと思って、百均で早く買ったが、飾ろうとすると、やっぱりしょぼい。
私は、前年飾ったお飾りを保存してあり(これも非常識なんだけど)、それと比べたら前年の物のほうがずっと見栄えがよかったので、百均のは使わず、古いのを飾ったのだった。だからその後は百均は選択肢から外している。
最近のお飾りは1年経っても全然古さがわからない。何か仕掛けがあるのか、藁も青々としているし、まるで新品みたいだ。捨てるのはもったいない気がする。
でも、縁起物だから前の年のものを使い回すなんて、世間ではびっくり仰天する人もいるだろう。
お飾りも何千円から万単位の高価なものでは、クリスマスリースみたいな感じで、毎年同じものを飾る家もあるが、スーパーで売っているものはそういうたぐいのものではないことは確かだ。
前の年のものなんか使ってたら、神様を迎えるまごころが全くないことになってしまい、良い新年なんか訪れないと言われそうである。
でもなあ、きれいなまま捨てるのはもったいないなあなんて思ってしまうし、捨てるときにはゴミ置き場ではなく、神社にもって行って焼いてもらわないといけないし、初詣以降に神社に行く習慣がないから、そのまま戸棚にしまっちゃうのだ。(これも非常識)
同じ集合住宅のご近所さんは、お飾りをつけている家が少ない。
私は、つけないよりは、使い回しでもつけたほうが良いのでは?なんて思うけど、使い回すくらいならつけないほうが良いと考える人もいるだろう。
うちが前の年と同じものを飾ってるかどうかは、近所の人もいちいち記憶してないと思う。私も人の家のお飾りなんか覚えていない。
まあ、ここまではこれまでの成り行き説明でした。
・・・
そこで、今年は昨年のお飾りをどうしたっけ?というところから始まり、記憶がないまま、新しいのを買ってきた。
前年のを使い回すことがあるのだけど、何年も同じものを使うわけではなく、せいぜい2回だから、昨年は新しく買ったんだっけ、それとも使い回したんだっけ?
今年は12月から変な風邪にかかり、原因不明のブツブツが身体中にできてかゆくて大変だったし、声は出ないし咳は止まらないし、そんな邪気を吹き飛ばすためにも新しいお飾りがよかろうと思った。
それで、25日にスーパーでいろいろ見て一番デザインが良いと思った480円のを買ってきた。
スーパーにはたくさんの種類があり、そのうちの何種類かはどれもいい感じだったけど、お飾りに干支のネズミがついているものもあった。
かわいいけど、これがついていると次の年に使い回すことができないなあ、とまた非常識なことを考えて、干支のついていないものにした。
そうして、自宅に戻って初めて昨年のお飾りを取り出してみたら、昨年のお飾りは、新品のようにものすごくきれいだったけど、鶴みたいな鳥がついていた。
あれっ?これって酉年に買ったものだった?
いやいやいくら何でもそれはないだろう。
鶴だから酉年ってわけでなくて、ついてたんだろう。
昨年のでも十分だったようだけど、新しいのを買ってきたから、今年はそれを飾ることにする。
お飾りは28日に飾るものだと思っていたけど、どうせならもっと早く飾って飾る日数が長いほうがもったいなくない気がした。
それで、26日に赤口。これ昼の0時だけ良くてその他は良くないという。
その次の27日は先勝なので、午前が良いとされる。なので、27日の朝に飾ってから出かけた。
まあ、例年より1日早かっただけ。でも今年も新品だから、ちょっといいかも。
昨年のはもったいないけど、神社にもっていく。今年のはまた来年まで収納しておくかな。
あんまり縁起とか考えないというか、自己流の解釈なのだ。
これは昨年お飾り。戸棚に1年間しまってあったもの。
よく見るとやっぱり藁がちょっと黄ばんでるかな?
年末も迫ってくると、なんとなく道路の動きがわさわさしてくる。運転が乱暴になっているというか、周りの車たちが急いている感じがする。
そして、今日は夫が助手席に乗っていたのだけど、自転車もいつになく多く車道を走っていた。
第一車線を走っていると、自転車は結構邪魔である。
また、バスや駐車車両もあって、運転は終始「車線変更の駆け引き」状態になった。
第一車線を走るか、第二車線を走るか、第二車線に移ったら、いつ第一車線に戻るか戻らないか、それが問題だ。
そこに登場する、面倒くさい要素が、助手席の夫の言動である。
自転車が走っていて、第二車線も車が多いから、なかなか追い越せない。その先左折するから第一車線をキープしたい。
そこで、第二車線に車がいなくて、自転車を追い越せる頃合いをみて、アクセルを踏んで自転車を追い越しにかかった。
すると、その先の信号が黄色に変わった。
アクセルを踏んでるところで、いきなりブレーキを踏むと急ブレーキになるので、「ああ、止まれないよ~」と言ってそのまま黄色信号を通過。
すると夫が「何を焦ってるんだ、急ぐことはない、止まればいいだろ」という。
「はっ?焦って急いでいるんじゃないでしょ、自転車を追い越すためにアクセル踏んで加速した直後に、いきなりブレーキ踏めないでしょ」
「そんな言い訳をしてるんじゃない。何を焦ってるのかなあ」
などという夫。本当にストレスだ。
その後、停留所で止まるバスを追い越すために第二車線に変更したまま走っていたが、その後左折するために第一車線に移動しようと頃合いを見ていた。
早く移動しておかないと安心できない。
だがしかし、前方方向に駐車車両を発見。ムムムッ・・・
その車両は結局交差点の直前に停車しているため、ほとんど左折レーンの存在意味なし。
直進レーンをずっと進んで、駐車車両を追い越すとともに、すぐ左折だ。
「もう、何だよ、この車は、いつまでたっても移動できないじゃ。」と私は言いつつ走った。
すると夫がまた「何を焦っているのかねえ」と突っかかってくる。
私が悪いのではなく、こんなところに止めてる車が悪いんだろ~
まったく、一人で運転してたら独り言で済むことが、そのことに対していちいち夫が私を否定してくるから、ストレスが起こるのである。
そうして、あるとき、また自転車がトロトロ走っていて、私は車線変更はしないでどこかで追い越そうとちょっとスピードを緩めて、第二車線が空く頃合いを見ていたら、ちょうど私が「よし追い越すぞ」というときに、後ろの車が第二車線に出て追い越しをかけてきたのだった。
私は車線変更をする気がないが、自転車との安全間隔を取るために少し右のラインにより、速度を速めて通過しようとした。
後ろの車は第二車線を使って追い越してきたが、私が自転車を追い越すために右に寄ったので、間隔が狭まってちょっと怖かった。
これは、私が同一車線上で多少走行位置を右に移動するのに、ウィンカーを前もって出さないのがいけないのだけど、私の感覚からすれば、私が自転車を追い越すのは後ろの車にも当然予測できるのだから、私の車を追い越すのなら、後ろの車はもう少しきちんと第二車線に出て横の間隔を取って追い抜くべきだろう。
だが、その車は車線変更をするというよりも、結局すぐに第一車線に戻ったので、自転車と私の車を追い越したということだ。
でも、私はちょうど自転車を追い越すために、本来の車の速さで走り出していたので、二重追い越しみたいな感じであった。その車が第二車線のままで走っていれば問題ないけど、第一車線に戻ってきたので、強引な感じだった。
この道もその先左方向に進むのがメインの道になるので、第一車線を走らないといけない。だから私は車線変更をしないでいたのだ。
夫は「なんだあのオデッセイは。危ないなあ」と怒っていた。そして、あとあとまで「年末は、ああいう車がいるから危ないんだよ」と繰り返す。
まあ、私にも落ち度はあるんだよ。後ろの車がウィンカーを出して出てきたのは確認しているが、自分も同時に加速して自転車を追い越してたからしょうがない。
こういうとき、そもそも最初に私が自転車の後ろを低速でちんたら走ってたときに、後ろのオデッセイのテキパキした男のドライバーが、前の軽自動車のババアの運転にイラっと来て、その瞬間に追い越そうと考えていたわけだ。
第二車線後方に車がいなけりゃすぐに出てくるわけなのだ。
こういう男にとっては、一瞬でも自転車の後ろをちんたら走るなんていう運転方法はあり得ないわけなのだ。
路上の車同士でも考え方や運転方法が違うし、助手席の人間と運転する人間とも考え方や起こったことに対しての受取り方が違うので、なかなか大変なのである。
実家の母も体調がすぐれないことが多くなり、一人暮らしをするのが不安になってきていて、同居できないなら老人ホームに入るほうが楽かもしれないと思うようになってきたみたいだ。
しかし、母の生きがいは、庭いじりと池の金魚と野良猫世話だから、ホームに入ってしまったら生きがいがなくなる。
自分で買い物をして料理を作って食べて、家事も全部して生活するのが良いのであって、ホームに入ったら、人が準備した食べ物を食べ、家事もせず、受け身的な生活になってしまうから、足腰も頭も衰えてしまいそうだ。
しかし、一人ですべてをこなして自宅で生活するのも大変なので、私などが同居すれば安心ではある。
だが、もし私が実家で母と同居するとなると、仕事を辞めなくてはならないし、実家で毎日母と同じ行動をして暮らすのはストレスが溜まってしまって無理だと思う。
今現在、実家に行ったときはずっと寝食を共にし、居間に入り浸ってテレビを見ているのだけど、これが1年中続いたら、ブログを書くこともできない。
インターネットをつないだり、パソコンも用意して、2階の部屋にもエアコンを設置するとか、テレビなども別にほしいし、二層式洗濯機ではなく全自動洗濯機じゃないと無理だ。
それに、どこかに出かけるのも自由にさせてもらわないといけない。
一人で美術館に行ったり、その辺の海や山などを一人で歩き回ったりしても変人だとか一人ではかわいそうだなどといちいち言われては困る。
また、今帰省したときのように徒歩園内のスーパーとお墓詣りだけしか外出できないような生活では我慢ができない。
先日母が言うには、私が今パートで稼いでいる分を母が私にくれるので、私が実家に住んだらどうかというので、それはぎょっとしてしまった。
仕事を辞めたら収入がなくなるから困るし、今更田舎で新しい仕事についてその仕事を覚えるのも大変だから、今やっている仕事をつづけたほうが私はよいと言っていたのだが、「それならば、あんたに月10万円くらいやるから、ここに住んだらどうか」と言ってきたのだ。
せっかく介護保険があるのだから、利用したらどうかというと、「他人を家に入れるのはいやだってみんな言ってるよ」「それに、ちょっと買い物に行ってきてもらうだけで3000円もかかるんだって」とのことだ。
母の場合、要支援でもなんでもなく、自立してるわけだから、介護保険自体利用できないのかな?その辺もよくわからない。
調子の悪い時だけでも手伝ってもらうことはできないものなのか?
腰が痛いとか足がしびれるとかいうことがあるから、病院にかかって診断してもらって要支援なりなんなり認定してもらったらどうかと思うが、とにかく病院嫌いだし、病院で待つのが嫌い。治療の途中で投げ出しては通院しなくなり、自己流の解釈で判断してしまう。
母にしてみれば、病気でというより老化現象だから医療の世話にはならないけど、娘が同居してたらあんしんだし、そのためには、貧乏な娘にお金を「やれ」ばいいと思っているのだ。
つまり、私を雇うということか・・・
なんか、それって、私は親の介護をしたくないとかいうわけじゃないけど、でも介護士ではないし、お金をもらって実家で暮らすってのもなんか肩身が狭い感じである。
どうしたって、母の立場が強い。
家に転がりこんできて、お金までやっているのだということになりそうだ。
このままアパートに住んでいれば、狭小住宅だけど、一応家財道具もそろっている。
二重生活にするとなると、パソコンをもう1台買うとか、エアコン付けたりテレビも欲しいし、莫大な費用がかかる。
全面的にこっちを引き上げて田舎にUターンするとなったら、実家も改装したりしないとこのままでは住めない。
実家に同居するとなると、母が日当たりのよい2階から1階に降りてきて、私が2階に住むことになり、それは母にとっても住環境の悪化になりそうだ。
私の夫は、生活リズムや食習慣が、母とは全然合わないし、夫が縁もゆかりもない地に暮らすのは私以上にストレスである。
さらに、実家は姉の領分でもあるので、他人である夫はますます入りづらいだろう。
なので、私としては、週末に足しげく実家に通うほうがまだ気が楽だ。
夫には東京のこの借家に居てもらって、私は自分で東京で働いて給料を稼ぎながら、その給料から何万か電車代がかかったとしても、実家には通うほうがいいように思う。
でも、そんな話を実家の母にしたら、結局誰も戻ってこないのかとショックを受けているようだった。
確かに心細いだろう。
姉は全然実家に帰る気はないようだ。犬猫がいるから留守にできないし、毎週末孫の面倒を見ているので、それどころではないらしい。趣味も日曜日にやっているし、季節によっては発表会だのなんだので、責任者になっていたりして休むこともできないそうだ。仕事よりも大変みたいだ。
姉は働いていないのに、ふるさと納税の返礼品を母あてに贈っている。実際に働いているわけでもないのに、名目上夫の経営する会社の社員か役員になっていて、ふるさと納税で税金対策をするくらいの給料をもらっているようだ。
なんだかな~~~
私が海岸のごみ拾いのボランティアに行ったら、母から自分の家の墓の掃除もしないで海の掃除になんか行くのかと愚痴られた。
海なんかに行くんだったら墓に行けという。どっちが大切かと聞かれ、「海のほうが大切でしょ」と言ってしまった。
自分の家の墓が多少汚れてたって誰が迷惑をこうむりますか?せいぜい通りかかった人が、汚いなと思う程度だ。
それよりも公共のものをきれいするほうが意義があることでないのかな?
そのとき墓掃除に行かなくて、先週の日曜日も雨だったので、墓にも寺にも行かなかったのだが、それを今日になって、「先週あんたが行ってくれなかったから、年内に行かなきゃならない」と恨み節だった。
30日か31日じゃダメなの?
お墓とか寺とかのことがあるから、それもやらなきゃいけないことになっていて、母にとっては任務があって、よく言えば生活の張り合いだけど、だんだん苦痛になってきてもいるらしい。
それを代わりに私がやるとなると、たまたま帰省した土日に雨が降ったら行けないし、もう、お寺に年間何万ってまとめて渡す方法にしたほうがいいかな?
なんか、疲れてきちゃったけど、私以上に母も疲れているみたいだ。