山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

勉強失敗

2005-10-31 23:12:46 | 未分類過去
ダイエットのためと節約のために、図書館で放送大学の勉強をしようという作戦は大失敗してしまいました。

本日、会社の帰りに、まだ全然手をつけていなかった「博物館資料論」の教科書をもって図書館へ行きました。
席に向う通り道で、図書館の本棚から、ダミーにする本を何気なく持って行ったのですが、これがたまたま「わがままな脳」(澤口俊之)という本でした。ところが、まずこの本をパラパラとめくると、・・・。
ヤバイいのです。おもしろいのです。
それで、30分くらいこの本を読んでしまいました。

これはいけないと思って、放送大学の教科書を開き、前書きから読み始めたのですが、どうにもアタマに入りません。
それで、また脳の本に戻ってしまいました。
しかし、1つの課も勉強せずに帰るわけにもいかないと思い、今度は前書きを抜かして1課から読み始めました。ところが、急に眠気が押し寄せてきて、ついに読むのをやめちゃいました。

脳の本に戻るとまた目が覚めました。
ニューロンというのは、電気を出して物質を分泌しているそうです。
カテコールアミンには、ノルアドレナリンとドーパミンがあり、ノルアドレナリンは覚醒や集中力、注意力を促し、ドーパミンは思考力を促すので、これらは情報処理や学習をするときに必要らしいです。
人間の性格も、このような脳内の化学物質によって決まってきて、ドーパミン系は外向性や内向性、セロトニン系は神経質さ、ノルアドレナリン系は衝動性などに作用するとのこと。これらはその人の性格を決定付けるとともに、その時々の感情にも作用し、セロトニン系は安心感・幸福感・愛情をもたらし、ノルアドレナリン系は恐怖心・不安感・緊張感をもたらすようです。
ちょっとメモ書きしてきただけなので、あやふやです。斜め読み、拾い読みですから、よくはわかりません。
サリンなどの有毒ガスは脳内の物質に働いて、それらを正常に働かなくしてしまうので、脳が本来の機能を失って、そのまま元には戻らなくなってしまう恐ろしいものだというようなことも載っていました。

うつ病などが、治せるのはこのような脳内物質をコントロールして、明るい気持ちにさせたりすることができるからかなあと思いました。

私は、中年になって、性格が変わりました。私は、あるとき、脳内物質の傾向が変わったんじゃないかと思っています。全く根拠がないことかもしれませんが、顔面神経麻痺になったあと、何ヶ月もペインクリニックに通って、星状神経節ブロックという治療をしていたのですが、これは交感神経のはたらきを弱めて、副交感神経の働きを強めるそうです。これをすると、まず気分がリラックスして、緊張がなくなるので、血行がよくなるらしいです。それで、ダメージを受けた顔面神経の回復が早くなるということのようですが、私はこのときに、脳の中の恐怖・不安・緊張というようなものを冗長する物質が減って、楽天的・おおらかな心持になっていったのではないかと勝手に思っているのです。

私は若いころはあまり外交的ではなかったのですが、顔面神経麻痺を患って、それが回復したころ、何でかわかりませんが、不思議に外交的な性格になってしまったのです。
単に顔の動きが復活したのが嬉しくて、元気がでたのかもしれませんが・・・。
近年は性格診断などをすると、外交的であり、何にでも挑戦していく性格で、面倒見もいい、というような結果が出ます。確かに、司会とかインタビューとか取材などというのも全然いやではないし、自分から人に働きかけるのも苦になりません。それから宴会のときなどは、いつのまにか「鍋奉行」になっています。なんだか人にしてもらう前に、自分から行動してしまうのです。以前は自分が手を出したらやり方が違うと言われるのでは、などと思って動けなかったところがありますが、今はそのようなことは気にしません。単におばさんになったからでしょうか?

ああ、話が大きく逸れました。

結論。
図書館には気をそらす図書があるので、やはり勉強はできない。
ドトールやマックなどに、一冊の教科書を持っていって、それだけしか読めない状況を作り出さなければいけない。
明日から、マック通いに戻ります。

それから、ブログは3行くらいにとどめるべき。いや、10行にしようかな。
200字くらいがいいでしょうか。絶対に書きすぎだ。
これでは、時間の使いすぎで、また単位を落とすに決まっているから、11月からそろそろ本気で勉強に時間を費やそうと思います。

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今、食べたいもの 3

2005-10-30 09:46:56 | 未分類過去
私がいつも食べたいものは、「天ざる」である。
日本そばと天ぷらが大好きだからだ。

そばは、基本的にはこしがあって冷たいのが好きだが、冬は暖かいのも好きだ。
だから、冬になると掛けそばで「てんぷらそば」になる。
また、天丼も好きである。天丼とざるそばのセットというのも好きである。

さるそばは、つゆの味でもずいぶん違う。つけ汁は鰹だしがよくきき、しょうゆを基本としたもので、甘みもあって濃い目のものがいい。わさびは必ず必要だ。ねぎとわさびがそばの味を引き立てる。海苔ものせるといい。
手打ちそばの店に行って、シンプルなざるそばを食べるのもいいが、本格的な店はそれだけで1000円くらいするから、なかなか行けない。

家で作る場合は、今のところ乾麺なら二八そば(8割そば粉)が一番気に入っている。
スーパーで売っている袋入りのいろいろなメーカのそばを食べてみた。山芋入りのそばもコシがあって一見おいしいように感じるものの、食べ比べると全然コシの質がちがう。
山芋が入っているものは粘り気のあるコシだから、本物のコシではないという感じがする。
不純物が入っているという感じ。それだけを食べればおいしいが、同時に食べ比べると、断然純粋なそば粉でできているものがおいしい。そばの香りとそばのコシを感じることができる。十割そばもいいが、8割と10割の違いはそれほど感じない。8割で充分おいしい。

そばを作って食べるときは、あげたまを載せることも多い。それから、なめこ・長いもなども好きだ。つゆに溶き卵を入れてさっと煮ることもある。鴨そばもたまに作る。
そばつゆは自分でだしをとって作ってもおいしくできない。瓶入りの高いストレートつゆを買うとそれなりにおいしい。しかし、安くておいしくて、一番無難なのは、「にんべんのつゆの素」である。私は煮物などほとんどの料理を「にんべんのつゆ」で作っている。

天つゆも、にんべんのつゆである。大根おろしはあまり好きではないのであまりたくさんは入れない。しょうがは好きだ。

てんぷらはなんといっても海老である。それから、なす・しいたけ・えのき・しめじ・ししとう・ピーマン・いんげん・さつまいも・かぼちゃ・大葉・イカ・あなご・きすなど何でも好きである。そばではなく、ご飯で食べることも多い。

特においしくはないが、お金がないときや面倒なときには、たんぱく源としてエビの換わりに、チクワやカニかまぼこでもいい。豆腐でもいい。野菜はたまねぎとにんじん・ごぼうなどの掻き揚げでもいい。雨など降って買い物に行けないときは、ありあわせの野菜にハムやかまぼこなどをまぜ、掻き揚げにすればそれなりのおかずになる。

てんぷらはてんぷら粉を水に溶いて衣にして揚げるだけだから、非常に簡単な料理であり、作るのも苦にならない。
のこったてんぷらを翌日天丼にするのもいい。


 

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今、食べたいもの 2

2005-10-29 22:21:36 | 未分類過去
もう一回たべたいなあと思うもの 2

子どものときに食べたもので

★小学校の給食のコロッケ

このコロッケは、中にまるごとのゆで卵が入っていて、それを縦二つに切ってあるから、楕円形で、切り口が目玉のようになっていてきれいだ。
作り方としては、ゆで卵の周りをコロッケの身で包み、パン粉をつけて揚げ、それを縦に真半分に切る。まるごとではかなり大きい物となるので、家のてんぷら鍋では揚げられない。給食ならではのものだろう。真ん中にゆで卵を入れてしっかりとまるめ、それをスパッと左右対称に切るというのも難しそうだ。それで、半分が一人分となっていた。
似た料理としては、スコッチエッグがあるがスコッチエッグは周りがミートで全体的に小さく、長いほうを半分にするところが違う。
給食のは、あくまでもコロッケであって卵の周りの厚みもかなりあった。あげたてのコロッケはおいしい。
他のアレンジで、太いピンクのソーセージが入っていることもあった。そうすると切り口は日の丸のようになっていて、これもおいしかった。

★小学校の給食のスープ

とにかく具だくさんで、細切りの野菜(にんじん・たまねぎ・しいたけなど)と、それから春雨かビーフンのような細いヌードルが入っていて、卵も流しいれて混ぜてある感じで、少しとろみもあったかもしれない。味付けは塩味っぽいが、和風だったか中華風だったかわからない。これも自分で再現してもどうしても給食と同じようにはできない。匂いもたまらなくいいにおいだった。
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今、食べたいもの 1

2005-10-29 22:07:59 | 未分類過去
もう一回たべたいなあと思うもの 1

★シドニーのアーガイルタバーンで食べたサラダ

20年以上前、新婚当時に夫とオーストラリア旅行に行ったが、そのとき、シドニーのロックスにあるアーガイルタバーンという店に行った。
この店は、オーストラリア的なショー(歌や踊り、羊の毛刈りなど)を見ながら食事ができるところであるが、そこで食べた前菜のサラダは今まで食べたサラダの中で一番おいしかった。
ところが、ショーを見ながら暗闇の中で運ばれてきたものを食べるので、いったい何が入っているのか見えないのである。おそらく、魚介類やハムのようなものと野菜をあえたものであると思われるが、その味付けが絶妙だった。家に戻ってから海老を使ったり高級なハムを入れたり、ドレッシングとマヨネーズをミックスしてみたりといろんなことをしてまねてみたが、全然それらしいものにならない。あんなおいしいサラダは食べたことがない。
その味が忘れられず、数年後に子ども2人をつれて再び訪れたが、同じものは出なかった。そこでの他の料理は忘れたが、今でもあのサラダおいしかったねえと夫と話す。

(アーガイルタバーンの載っている記事をわずかにみつけた。   )

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今月のまとめ(勉強の仕方など)

2005-10-28 21:47:15 | 放送大学
ちょっと早いけど今月のまとめをしておこう。

仕事は、比較的ひまで、ほとんど残業なしだった。
それで、10月は勤務日が16日しかなくて、給料は7万数千円というところ。懐が寒い。

でも、残業がないので、せっせと図書館に通えた。
ところが、これでは仕事関係の勉強はできるが、肝心な放送大学の勉強がぜんぜん進まないということがわかった。
家に帰ってからしようと思っても結局しないで一日が終わってしまうのである。図書館に寄らないで早く帰ったとしても家に帰ってから勉強をする気にはなれない。だいたい我が家はあまりにも雑然としていて勉強モードになれなのだ。すぐに食べたり飲んだりテレビを見たり寝たりということになってしまう。

それで、今度は会社の帰りにマックやドトールによって、放送大学の教科書を読むことにした。これはなかなか効率がいい。1時間くらいで2課くらい読めるから結構進める。
この調子でいけば、勉強を溜め込むこともないようだ。

しかし、問題はそのたびにかかる飲み物代である。
100円マックもあるが、100円のもの一品で1時間以上ねばるというわけにもいかないように思える。ドトールには「長時間の読書や勉強はご遠慮ください」とあるので、やはり気がひける。それでも1時間くらいはいいだろうと思って、教科書を読み続ける。どっちに行っても200円くらいはかかる。勉強をするためにはそのくらいの出費は仕方ないかもしれない。
しかし、なんだか体にも悪そうだ。毎日のように同じようなものを飲むことになるし、太りそうでもある。

今日もマックで過ごしたが、いよいよ今度から図書館で教科書を読もうと決意した。
図書館では、図書館の図書以外の読書や勉強はしてはいけないことになっている。
しかし、これはもうやるしかない。
図書館の図書を席に持っていって、放送大学の教科書と両方を開いて読んでいる振りをすれば、文句は言われないだろうと思う。

そうすれば、お金がかからないし、余計な飲食をしなくてすむし、勉強がはかどる。図書館によるためにはその前にスーパーで買い物をすることができなくなるので、夕飯はありあわせのもので作るように努力する。毎日極力買い物をしないで済ませれば家計の節約にもなる。節約・勉強・ダイエットの一石三鳥だ

                        




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続 墓のこと

2005-10-27 22:22:38 | 未分類過去
以前、9月15日のブログに義母の墓石を買わなくてはならないということを書きましたが、義母の一周忌を3月の初めにするとなると、それに間に合わせるには、今年中に田舎に行って、石材屋に石塔を注文しなければいけないということになります。

それで日程を考えていたのですが、どうしても12月の23日ころの連休までは予定が取れないのです。それで、もうクリスマスに墓石を見に行くしかないだろうと思っていました。

ところで、最近夫が言うには、「俺、墓石なんかどうでもいいと思っているんだ。買わなくたっていいんじゃないか?そんなもの買うよりも生きてる人間が使ったほうがいいんじゃないのかねえ。世間体も気にしないし、墓を建てないから運が向かないなんて、そういうふうには思わないんだよ。またいつ失業するかもわからないし、できるだけ現金を残しておいたほうがいいんじゃないか?」とのことです。

実は私も、ちょっと考えていました。私の実家の墓は跡取りがいない。うちの子供は女ばかり。それなら、今ある二つの墓はどうなるのだろうか?
少なくとも、いずれはひとつにしなければ、お寺に払うお金も大変です。寄付も何もかも2倍ということになります。そして、ひとつにするならば、墓石なんかあったらよけいな手間が増えるのではないでしょうか?
また、義母のためにと思えば買う気にもなりますが、夫や私がいずれは入る墓でもあると思うと、急にいやな気持ちになってきました。まだ、生きてるうちに手に入れたいものがたくさんあるに、死んだ後入るところなんか買いたくないです。

そして、墓を買うお金が浮いたら、子供の学費などにも当てられるじゃないかとも思うわけです。これからこどもたちにかかる学費は500万はくだらないでしょう。
月マイナス10万近い赤字を出しながら、さらにこの学費を払っていったら、最終的に残額がないなどということになりかねません。墓石を買わなければあと60万あったのに・・・などということになったりするんじゃないかなあなどと、思ってしまいます。

やはり、現実の生活も安心できないのに、墓石を買う気にはなれないというのが正直な気持ちです。
義母は確かに墓石を買うくらいのお金を遺して逝きました。でも、そのお金は結局生活費に消えてしまいました。その分は、夫の貯金から出せばいいことですが、ほんとうにお墓って何なのでしょうね。石材屋の商売じゃないのかなあ。
地震でひっくり返ったりもするので、あんな重い石を積み重ねたりせずに、外国の墓地みたいにすっきりと平らな石を置くだけじゃだめかなあなどとも思います。


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家族総フリーター化

2005-10-27 13:23:04 | 未分類過去
今時、夫が一人で働いて家族を養っている家などそんなに多くはないと思うのですが、そういうのが基本的な家族の形だという風潮はまだまだあるようです。
そういう考えに沿って考えてみると、夫だけの収入で家族全員が暮らせない場合は、妻が働くということになります。もちろん、収入が充分に足りていても社会進出したくて働く妻もいるし、外で働くのに向く妻もいるわけです。
しかし、たとえば体が弱い妻、外に出て働くのには向かない性格の妻、家事が向いている妻、子育てに忙しい妻、老人の面倒を見なければならない妻、であっても、収入のために外に出て働かざるを得ない状況になる場合もすくなくありません。

それから、それでも収入が足りない場合は、妻のみならず学業に従事している子どもも働かざるをえなくなります。うちも大学生の子どものアパートの家賃を払うのはとても大変で、私のパート収入から家賃を出し、子ども自身のアルバイト収入から光熱費や生活雑費を出すことにしていますが、そのために子どもは働かなくてはなりません。

高校生の子どもも、買いたい服なども思うように買えず、美容院で縮毛強制などするのにお金がかかり、友達との付き合いで外食などすると出費もかさみ、日常大変不自由な思いをしているようです。それに必要な経費を親に求めることはできない状況であると分かっているので、もうアルバイトをするしかないと思っているようです。

しかし、部活も忙しいのでなかなかできない状況です。親としては、そんなにまでしてバイトをしなくてもいいといいたいのですが、だからといって十分な小遣いを渡すことができない現状ですから、反対もできません。

下の子は大学に行く気がありません。高2になって塾や予備校の勧誘が激しくなってきましたが、本人は見向きもせず専門学校に進む気でいます。専門学校なら難しい入学試験がなく、部活をまじめにやっている普通の成績の子なら、間違いなく入れるとのことです。子どもがそういう道を選んでいるのも、家にお金がないことを知っているからでしょう。上の子の時には塾にも行かせて、そのためにけっこうなお金を出費していたのですが、下の子は来年の部活引退後はバイトをする気でいます。塾の勧誘の電話が来ても、「本人が大学に行く気がありませんので」と答えると、簡単です。
上の子の時には、入る可能性があるということから、最後まで値段を言わない予備校の勧誘電話や見学、説明会に労力を費やしました。

今や、夫は契約社員になっており、再就職したものの、同じところに長年勤められる保証はなく、いつまた失業するか分からないそうです。
それで、家族全員が働くという方向に動いていきます。

我が家は、みんな忙しくて、みんな自分で自分のことはして、自分に必要なお金は自分で稼いでくるというような生活形態に変わりつつあります。
主婦が家で家族の健康管理をするとか、留守を守るなどということはなくなり、子どもも学業に専念するなどということはなくなってきました。

大学生の子どもは実際にアルバイトで働いて様々な仕事につき、仕事の現状を垣間見ると、就職活動をして難しい会社に採用されるということの価値観が現実からかけ離れたものとなり、そのようなものに夢を求める気分ではなくなるのかもしれません。
今しているバイトをやめて就職活動に専念する期間が必要になったりすると、その間の収入の欠如はどうするのかというような現実的な問題も出てきます。
無理して一流企業に入らなくても適当な仕事でもいいんじゃないかというような考えにもなってしまうのではないでしょうか。
いまのところ、大学卒業後の正規の就職への期待も維持しているようですが、バイトによって物事の捉え方は変わってきているようにも思えます。
理想が消えて、どんどん現実的、その場的になっているのではないでしょうか。




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熟年社員のいない職場

2005-10-27 12:12:25 | 未分類過去
日本の平均的世帯、「年収750万円のサラリーマンに専業主婦の妻の場合」などというのをテレビで見て、ああ、確かに夫が750万も稼いでくれば、奥さんは働かなくてもいいんだろうなと思うわけである。

きっと、昔はそういう家が多かったと思う。そして、今も会社で生き残っている夫の場合は、そうなんだろう。
うちの夫も昔はそれに近いくらいの収入はあったが、どんどん減らされていき、役職がなくなり、しまいには自分のデスクもなくなり、退職前は警備員のような仕事をさせられていた。
そして、部下たちの一部はどんどん上司になっていった。

うちの夫は私とは逆で英語が得意な人である。それで、仕事上で英語圏の外国人とのやりとりは不自由なくしていたが、退職前の1~2年は、夫は第一線から外されて警備員として建物の外に立っていたりした。
ところが、社内で働く若い社員はあまり英語ができないので、外国人との間で問題が生じると手に負えなくなり、夫に助けを求めにきたこともあったという。
夫は中の仕事を30年もしてきたから、業務のことも当然分かっており、外国人に向かって英語で説明したり交渉したりして問題を解決するらしいが、外国人のほうは、警備服を着たおじさんがどうしてこういうところに出てくるのかと不思議な表情をしていたそうだ。

まあ、英語ができるだけじゃだめなのだろうが、夫がリストラされたのは、夫の仕事の能力が理由ではなく、人件費の問題らしい。正社員で勤務年数の長い夫一人がやめれば、その浮いた人件費で3人くらい契約社員やアルバイトなど若い労働力を使うことができるのだそうだ。

今、夫が勤めていた会社には夫と同年代の50代の社員は、上のほうの一部の役職以外には存在しない。
ピラミッド型の上に位置する人が50代でひとりいれば、あとは下は若者がいればいいということである。だからみんな会社をやめてどこかに散らばっていったのだ。

私が今働いている会社も、社員は若い人ばかりで、夫と同じような年齢は上に立つ責任者3人くらいしかいない。その下の50人くらいは皆、20代から30代である。責任者は数人いればいいわけだから、そこに下の人が上がっていく隙間はないので、今後はそのままの構成で全体的に年齢が上がっていくのか、あるいはそういう状況を将来性がないと感じて辞めていく人も多いのではないかと思う。正社員ではあるものの、出入りが激しいようだ。同じ業界の待遇のいい他の会社を渡り歩くのかもしれない。

子どもがバイトをしている飲食のチェーン店などでも店長がすごく若かったりすることが多い。当然、働いている人はアルバイトなどの若者ばかりだ。
たまに、レストランやメガネ屋さんに入って、ベテランの店長さんに遭遇したりし、落ち着いた応対を受けると非常に安心感を覚える。そういう人材は価値のあるものだと思うのだが・・・。

いったい、熟年はどこで働いているのだろうか?


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一日一生

2005-10-27 00:40:18 | 未分類過去
夕方、仕事から帰って、増税のニュースなど見ながら、チャンネルを回していると、阿藤快小田原を見て歩いている番組があった。ちょうど、チャンネルを回したときに、二宮金次郎に関係するところにいたようだが、「『一日一生』という言葉は、二宮金次郎の言葉でしょうかね」と阿藤快が言っていて、案内している人が「たぶん違うでしょう」と言っていた。
一日を無駄にしないで有意義に生きるという二宮金次郎の人間像から、そのような言葉が、さも金次郎の言葉のように思えるが、そうではないようだというようなことを言っていた。
「一日一生」とは、その日その日を一生のように考え、大切に生きるということであると思うが、これは何だが苦しいなあと思ってしまった。そんなに一生懸命生きたら疲れてしまいそうだ。明日があると思うから、気を抜いたり妥協できたりする。明日がないと思ったら毎日必死で生きるから、もうへとへとになりそうだ。
私のような怠け者にはそういう生き方は精神衛生上よくないように感じた。
私には「あしたがある、あしたがある、あしたがあるさ」というのがいいなあ~。

ところで、「一日一生」とは、内村鑑三の書いた本の題名として有名な言葉らしい。内村鑑三とは、私は名前くらいしか知らないが、聖書を信仰するクリスチャンだったようだ。教会に所属するのではなく、聖書に基づいて生きるというような考えだったようである。それで、一年間の毎日、聖句に照らし合わせた文章をのせた「一日一生」という本を出したそうだ。
「一日を完璧に」と思うのではなく、「一日を神に恥じない生き方」と思うなら、そのほうがしっくりする。

ところで、2人の年代を見ると、二宮金次郎のほうが昔の人だから、阿藤快の思っていたことが違うとも限らないかもしれない。

いずれにしても、「一日一生」という言葉はかなりインパクトがあると思う。
ブログの題名にしている人もいるようだ。
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増税せまる

2005-10-26 18:17:28 | 未分類過去
今日、テレビでは増税の話題が多く出ていたが、定率減税廃止とか、近い将来消費税や酒税も上がるとかで、なにやら生活がさらに苦しくなりそうな気配である。
定率減税廃止」というのは、厳密に言うと「増税」ではなく、「景気対策のために減税していたのを、景気が回復したから元に戻す」ということであるらしいから、政府としては当然のことで、国民に反対される筋合いではないという主張かもしれない。
しかし、いやなことだ。

朝、みのもんたのテレビを見ていたら、「年収750万円の平均的世帯では年間合計30万だか40万の増税」などと言っていた。いつも、この「平均的世帯の年収」というのに、私はショックを受けるのであるが、うちなどはずっとずっと少ない。しかし、みのさんの解説によると、年収750万円というのは、平均とは言っても決して一般的な家庭ではなく、かなり裕福なほうに入るそうで、ちょっと安心した。

それで、また夕方ニュースを見ていたら、年収300万円ほどの家では、定額減税が廃止されても税額はほとんど変わらず、年間でも千何百円の増額だとのことで、ちょっと安心した。
ただ、消費税のほうは、年収の少ない家庭のほうが全体収入に対しての消費額の割合が高いので、消費税が上がるとそれだけ家計に響く割合も高いそうである。
たしかに、そうだ。また、子供のいる家庭などは、子どもの成長に合わせて様々な新しいものを買わなければいけないので、そのすべてに消費税がかかってくると、かなりきつい。さらに子育てがしにくくなると思う。

うちは子どもが2人だが、もう一人ほしいと思っても、この狭い家では無理だということもあった。それでも2人育てられたのは幸いで、公営住宅で家賃が安かったからだともいえる。人並みに習い事もさせ、何とか大学にも行かせられるのは、家賃が安いおかげだ。
もし、一般の賃貸に住んでいたら、子供は一人で終わりにし、保育園に入れて私はフルタイムで働いていたかもいしれない。都内にも住んでいなかっただろう。

ニュースを見ていたら、捨てよう思っていた衣類を捨てずにしまっておこうかと思ってしまった。将来消費税が10何パーセントにもなったら、洋服なども思うように買えなくなるかもしれないから、そのときのために取っておこうかなどとも思ってしまう。
ビールや発泡酒は今は毎日飲んでいるが、いざとなったら飲まなくても生きていけるだろうと思う。なんだか、考えるだけで、さもしい。

それにしても、政府の赤字というのは、いつか無くなるときが来るのだろうか?



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アナログとデジタル放送の時間差

2005-10-25 19:05:56 | 未分類過去
このごろ、不快感をもつことのひとつ。
我が家は非常に狭いので、隣の部屋のテレビの音が聞こえてしまうのですが、居間にあるテレビでデジタル放送を見て、隣の部屋でアナログ放送の同じ番組を見ると、なぜか音が数秒ずれます。アナログのほうが早くて、デジタルが遅れるのです。
別々の番組なら、聞こえてきても気にならないのですが、同じ番組の場合、ドラマだとせりふを追いかけるように、オウムのように、最初から最後までせりふの重複が続くのです。ニュースでも歌でもスポーツでもなんでもそうで、気持わるくてしかたありません。

そんな狭い家で何も別々のテレビで同じ番組を見ることはないだろうと思うでしょうが、
狭すぎるというのは、4畳半に3人あるいは4人が座ると、人口密度が高すぎて息苦しいのです。それで、分散してテレビを見るといくらか一人当たりの空間が広くなる感じがします。

それで、同じものを見るときは、片方の古いテレビがアナログしかできないから、新しいテレビもアナログで見れば、同時に音が出るのです。
ところが、夫はデジタルにこだわります。デジタルのほうが画像も音もいいといいます。
私と子どもはその画像の違いや音の違いを自分の視覚・聴覚で判別することも感じることもできず、アナログ放送で十分きれいじゃん、同じじゃんと思います。

いつもいつも夫がデジタルにしてしまうので、そのたびにアナログにしろ~っ!と言ってアナログに戻させます。
そもそも夫は新しいテレビの近くにいるので、隣のテレビの音はあまり聞こえないのですが、部屋の境界あたりに座っている私は気持ち悪くて仕方がありません。

ところで、どうしてアナログとデジタルは電波の到達時間がちがうんでしょうか?
疑問です。デジタルのほうが早そうな気がするんですが、そうではないんですね。

デジタル通信とアナログ通信の違い 

ネットで検索するといろいろ説明がありました。上のものが一番分かりやすかったです。なぜ、デジタルのほうが画像や音がきれいなのかはよくわかりますね。
でも、何で時間差があるのかまでは書いてありません。

しかし、この中の
「音声の波形をそのまま伝えるのがアナログ通信で、デジタル通信の場合は、音声を0と1などのように符号化して送ります。アナログがノイズの影響を受けやすく、デジタルは受けにくいのですが、アナログのほうが単純でデジタルのほうが複雑な作業をしなければなりません。」

というように、
デジタルはすべての数値を0と1で表わすために、それに変換するのに時間がかかり、また0と1で送られてきたデータを読み取って、元の音や画像に再生するのに時間がかかるのではないでしょうか?複雑だから時間もかかるってことでしょうか?

どなたか、ご存知でしたら教えてください。

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ジャスミンを坊主にしないで!

2005-10-25 00:01:23 | 未分類過去
このあいだの休みに久しぶりに庭の手入れをしたのですが、天気が良かったので近所の人も自分の庭の手入れをしていて、私が草をとっていると、やってきて手伝ってくれました。
気持ちは嬉しいのですが、うちの庭に生えている羽衣ジャスミン(ジャスミナム・ポリアンサム)の剪定まで、お願いもしていないのに、はさみを使ってチョキチョキと始めてしまいました。
たしかに緑の葉がかなり茂って大きくなっているのですが、私は地面を這っている無駄なツルだけを切ろうとしていたのです。しかし、その人は、その株を3分の1くらいの大きさにしようとでも思ったらしく、ツルをどんどんひっぱりだして切り取ろうとしているのでした。

このジャスミンは20数年前の春、私たちの結婚と引越し祝いに夫の親友が鉢植えをプレゼントしてくれたものです。そのときはピンクがかったつぼみが一面にたくさんついていて、その後白い花を咲かせると、とてもいい匂いがしました。(注:写真はうちのではありません。)何年かはベランダにあったのですが、その後庭の土に下ろしました。

ジャスミンは外では4月から5月ころ花が咲きますが、花が終わった後に根元から葉を2ふしほど残したところで、ツルを切るときいています。そうするとその後に延びた部分に翌年花がつくとのことです。
それで、今年の6月か7月にそれをしたのです。だから一旦はかなりすっきりと丸坊主のようになったのですが、そのあとまたすごい成長をして今日のように、もさもさに葉が茂ったのでした。

そのことを知らない近所の人は、伸ばし放題にしていると思って、今すっきりと丸ぼうずにしようとしているのでした。いつどの枝に花が咲くのかなど、ぜんぜん考えていないようでした。それで、必死になって止めましたが、複雑な気分ですね。

このジャスミン、店で売っている花のようにたくさんはつぼみがつきません。水不足か、冬の間寒すぎるのかもしれません。冬は半日隣の建物の日陰になっているので、庭の霜はなかなか溶けないです。雪が降るとジャスミンの上に何日も積もったままになります。それが原因で花が少ないのかどうかはわかりませんが・・・。
どうせあんまり咲かないんだから、切っちゃえと思ったのでしょうか。
でも、春になるといくらか蕾がつきます。

ところが、今年の春は別の親切な人が花芽がついているのに切ってしまいました。というか、その人が余計だと思う部分を切ってくれたのですが、花芽がついているツルにどうつながっているか確かめなかったので、結局たくさん花芽がついている枝の根元をいくつも切断してしまったのでした。
その人が切った直後は分からず、ほらきれいになったでしょうと言われて、お礼なんか言っていたんですが、数日後、花芽のついたたくさんの枝葉が、茶色くなってバリバリに枯れていて、花芽につながっていた部分の多くが切られてしまっていたことが分かりました。

         

いくら親切心でも、勝手な判断で、得意になって切られてしまうのも困ります。
どの人も、あんまり得意げなので、花のことは詳しいのかと信頼していたのですが、そんなこともないようです。

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家事をする夫

2005-10-24 18:31:25 | 未分類過去
今日、夕方会社から帰ってくると、なにやらうちのベランダで、変なおっさんが洗濯物を干していた。と言っても他人がいるわけなし、間違いなく夫だった。
あんなふうにして干してるのかと思った。けっして格好いいもんじゃない。よその人が見たら「無職の主夫」か「男やもめ」かと思われること間違いなしだ。

夫は、失業中に自分で洗濯をするようになった。といっても、洗うのは自分の衣類だけで、タオルやシーツなども洗わない。自分が身につけるものだけ別の袋に入れておいて、暇な日に洗っている。私に任せておくと、いつになるかわからないという恐れもあるからだろう。私が洗濯をするときは夫のものも一緒に洗うが、夫はその前に自分のものがある程度たまると自分で洗うようになった。
それで、4ヶ月の失業期間の後、再就職した後も、その習慣は変わらず、自分のものを洗い続けている。それからゴミ出しもすごい熱心である。最初のころは不燃物の日や資源ごみの日など全然覚えられなかったのに、最近は6時頃に起きて、ベランダと部屋の中のゴミをまとめ、早々とゴミ置き場まで運んでいる。ごそごそと音がしてうるさくて目が覚めてしまう。年をとってくると朝起きるのが早くなるようである。

今日は、夫は会社が休みで、私が家に帰ると「洗剤がないから買っておいたぞ」などと言い、明日の朝食のバターロールまで買ってあった。ええっ、私もライ麦入りの食パン買って来ちゃったよ。けっこう迷惑だ。「じゃあ、今夜もパンにしよう」などというが、おかずは鯖の味噌煮だから、パンというわけにはいかないのだ。

ところで、夫の洗濯物の干し方は最悪である。どうやったらあんなに見苦しく、汚らしく、どうしようもなくだらしない干し方ができるのだろうか?
服を左右対象に整然と洗濯バサミにはさむことができないのだ。服のいろんなところをやたらめったら洗濯バサミに鋏んでぶら下げればいいと思っている。だから、衣類があちこち不規則にゆがんで、袖や肩や襟ぐりの一部など洗濯バサミでつまんだところが飛び出たまま乾いてしまう。Tシャツもランニングも前身ごろと後ろ見ごろを平らに合わせることができず、必ずねじれて斜めになっている。
そして、重さを均衡にすることなどもまるで考えず、すごく重いトレーナーなどを洗濯バサミのついた四角い物干し道具のはしっこに干したりする。反対側には薄いトランクスやソックスばかり干している。それで、どんなにバランスを崩して斜めになろうと歪もうとかまったことではない。
こんな干し方をしているのを、近所の人に知れたら恥ずかしくてしょうがないし、まして私が干したものだなどと思われたら大変なことである。
それで、夫が干したあと、文句を言いながら全部干し直すのが日課になっている。

お隣の70過ぎのおじさんは、今、庭で家庭菜園に熱心である。小松菜とか大根を植えている。花壇もやっていて、菊などもきれいに咲かせている。うちの夫もせめて庭の草取りでもしてくれればいいのだが、それはしない。
しかし、お隣のご主人も家のことや庭のことは昔は全然しない人だったそうだ。確かに、何年か前まで、仕事をされていたころは、庭などで見かけることもなかったし、会ってもあまり話などしたことがなかった。それが、今ではすごく家庭的なご主人である。
それで、そのお隣のご主人が言うには、うちの夫もそのうち草取りをするようになるのはまちがいないのだそうだ。自分がそうだったからわかるのだそうである。

洗濯なんか一度もしたことがなかった夫が洗濯をするのだから、草とりもするようになる可能性はありそうである。しかし、草でないものを抜いたり、とんでもないことをしそうだ。料理もおそらく無理だろうね。

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40代半ばの女優

2005-10-24 00:38:05 | 未分類過去
私と同年代の女優

若いなあと思うのは「田中美佐子」(45)である。ヤクルトのコマーシャルに出ているけれど、おばさんには見えない。少女らしいところがなくならない。素な感じがいい。

浅野ゆう子」(45)はスタイル抜群で若くてきれいだと思っていたら、最近言動がおばさんっぽくなってきた。自信がある。遠慮がない。すごい食欲。飾らない。自己があるかんじ。ドラマの中では貫禄のある重要な役柄も増えてきた。学年では私より1歳年下。
かなり好きなタイプだ。

片桐なぎさ」(46)はサスペンスドラマばかり出るような気がする。まあ、それなりにきれいだろうね。

室井滋(」45)、最近誕生日だったらしい。この人も飾らないところがいい。私は、女より人間、ひ弱よりたくましいのが好きだから、その点では好きなほうだ。

柴田理恵」(46)は一般の年相のおばさんって感じ。私は中年太りの加減や開き直り加減からして、このあたりに一番近そうだ。私よりちょうど1才年上。山羊座でB型というのも同じだ。
ところで、「笑っていいとも」でいつも見てるけど、演技をしているところは見たことがない。庶民的であかるいところがいい。

黒木瞳」(45)学年では私より一歳年下になるが、いつ見ても美しいですねえ。いやみもなくて、お高くなくて、品があって、知的で、やさしさもあって、中年女性の「美」の鏡です。

やっぱ、この中で一番好きなのは「浅野ゆう子」かな。

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収入増加作戦

2005-10-23 08:52:46 | 未分類過去
「収入増加作戦」と書いたが、作戦がないから困っている。
我が家は毎月収入より出費が10万円くらい多く、その不足分は貯金から補っているが、この調子で行くと数年後には破産することになる。

まず、夫の給料は毎月定額だから増えるみ込みはない。安月給だとはいっても、主婦の私にはどんなことをしたって取れない金額をとってくる。夫の場合、これ以上副業をするのは無理だろう。だから、増やすとすれば私の収入を増やすことを考えなければいけない。

フリーターの収入平均は月額13万くらいらしいが、これは意外に多いと感じた。パートタイマーでは、なかなか13万は稼げない。これはおそらくフルタイムで働いているくらいの金額だろう。正社員と同じくらいの時間働いても収入がこれだけだったら、若者は正社員になったほうがいいと思う。主婦の私はパートの時間を増やして13万もらえたら御の字だ。

私の今の会社の勤務時間は週20時間で、収入は月8万円前後が普通であり、年間100万にもならならい、私の仕事は忙しい時もあるものの、全体的には暇で、何か別の仕事を探してもらうことが多いくらいなので、これ以上勤務時間を増やすということは考えられない。

今の仕事は気に入っているので、辞める気はないから、他に空いている時間にできる新しい仕事を探して加えるしかない。早朝の飯炊き・新聞配達、自由時間のカタログやチラシ配り、添削などの内職、土日のデパート催事場の販売係、等等。

どれも気が乗らないなあ。この中ではデパートの販売くらいだろうか。
カタログや機関紙配達は子どもが小さいときにやっていて、月2万くらいにはなった。期限内の自由な時間に配達すればよかった。しかし、これはもうしたくない。夕方雪の中を配達が終わらずに、暗くて見えない表札を捜し歩いたことなど思い出す。
添削などの内職もしたことがあるが、時間ばかりかかって、効率が悪すぎる。最初は1時間に150円くらいにしかならなかったりする。
エキストラもお金にはならないし・・・。
日本語教師もしんどいしね。たまに教えても技術は上がらないし、個人レッスンを週一回一人なんかしても効率悪すぎだし・・・。毎日準備で他のことが手につかなくなるし・・・。 
早朝や夜間では家庭生活に影響が大きい。疲れて余計に家事をしなくなり、外食や買食が増えて、出費が多くなるのが関の山だ。

となると、他に収入を増やすには、株や外貨預金、投資などの財テク。
これは無理だ。リスクが大きすぎる。うちにはそういうものに当てるような余裕のある蓄えはない。
あとは、懸賞・宝くじ。これも確実性のないものだ。
文学賞の応募。小説は読みもしないし、書かないしねえ~。

ああ、もうだめだ。作戦はない!

「節約作戦」を考えるしかないようである。



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