本日は、放送大学の卒業式に行ってきました。
天気は、昨日の暖かさとは打って変って、とても寒く、しかも原宿駅に着くと、みぞれのようなものが降ってきたのでした。
前回卒業式に出席したのは、平成19年。あのときは晴れていたと思います。そして、道案内の人が駅から会場までの間に何人か立っていたと思うのですが、今日は駅のそばに1人しか見当たりませんでした。
しかし、周囲に着物を来た人や、それらしき人が歩いていたので、その人たちに着いて代々木公園を右にして歩いて行くとNHKホールに到着しました。なんとなく12年前の記憶が戻ってきました。
10時40分までには着席とのことで、10時15分くらいには、東京の学習センターの座り場所に座っていました。
卒業生が、全国各地から来ているので、座席範囲が地域ごとに割り振られていました。前回もそうだったかな?記憶がありません。
東京の右隣が九州・沖縄だったので、沖縄の人も東京のほうに座ったりしていたようです。よくぞそんな遠くからいらっしゃるものだと驚きますが、これを機会に、旅行を兼ねていらしているのかもしれません。
そして、今回は、卒業式開始前に学歌の練習を全員でするようになっていました。
前回の卒業式の時には、聴いたことも無いと思って、全然歌えなかったものです。
事前に練習でもしてくれないと歌えるわけがありませんので、このようになって良かったです。
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さて、卒業式が始まりました。
「学長式辞」はいい話をされていたなあと思いました。
とはいえ、使われていた用語は思いだせないのですが、
人は、人生において「選択」をして生きているけれど、何かを選んだらその代わりに、何かを捨てている。
捨てたものの犠牲によって、選んだものを得ている。
もし、人生に限りがなく、永遠に生きるものだったら、選択をする意味がない。何度でも次々に別のことができるのだったら、何も犠牲にすることもなくなる。
そうなると「選択する」ことすら意味のないことになる。
だから、人は限られた時間の中で、何かを選択し、その選んだものを成し遂げるのだ。
そのことに価値がある。
みたいなことをお話されていました。
それで、私たち放送大学生は、放送大学で学ぶことを選択し、そのためには、他のことをしないで学んできたのでしょう。もし放送大学の勉強がなかったら、代わりに私は何をしていたのでしょうか?
もっと楽しいことをしていたのかもしれない。
でも、自分で選んで、12年もの月日を費やして、やっと卒業に至りました。
それはそれで、満足だな、とは思いました。
放送大学を卒業された方で、最高齢の方は101歳なんだそうです。すごいですね。
101歳まで生きることができたら、全部のコースを卒業できるかな?
自然や情報のコースは難しくて、私には今後、単位がとれるとは思えないです。
全部のコースを卒業した人もたくさん居て驚きました。
客席の前のほうに何十人も座っておられました。
そして、大学だけでなく、修士や博士もあるんですね。大学院ってどうなってるんだかわかりませんが、そういうところで研究して、論文など書き学位などを取る人たちもたくさん居て驚きます。
先生たちも表彰されておりました。優れた放送授業や、音楽活動で貢献した先生。
学歌斉唱の後、ベートーベンの第九、歓喜の歌も合唱もありました。
プロのようにうまくはないのですが、こういうのがあるといいものです。
終了後、撮影する人々。開始前にもたくさんの人が撮影していました。
袴の女性も、ちらほらいます。
せっかくなので、こういう機会に袴を履いてみよう、なんて感じかな?
確かに、こんなことでもないと、袴なんか一生履かないで終わると思いますよ。
ちなみに、私はただの服でしたが、誰に見せるでもなく、写真を撮るでもないので、着ていても意味無い感じ。とはいえ、一応人の目に入ったときに違和感のない服装でないとね。
靴は、パンプス履いて行ったけど、帰りはかかとペッチャンコの靴に履き替えて帰ってきてしまった。
まあ、ともかくも2度目の卒業ができて、よかったということだ。