先日、夕方電車に乗って、横に並ぶ座席に座っていたら、私の隣の隣の人の前に、松葉杖をついた若い男性が立っていた。電車はかなり混んでいて、立っている人もいっぱいだった。男性は両手の松葉づえに身体を持たれながら、同時に片手でつり革につかまっているのだった。やはり、松葉づえでは大変そうだなあと思い、席を譲ろうかと思ったのだが、位置は遠くないとはいえ、その人が私の席まで来るには、立っている他の人を越えて移動してこなくてはならない。松葉杖で立っているのが大変なのは、同時に、ここまで移動するほうがもっと大変な感じもする。また、立っている位置が出入り口のそばだったので、もしかしたらそのほうが都合がいいのかもしれない。こんな奥に来て座席に座ってしまったら、逆に立ちあがることもできないのかもしれない、等と色々と思いを巡らした。
立っている松葉づえの人の目の前に座っているのは、若い女性だったが、まったく席を譲ろうとはしなかった。あるいは、譲ろうとしたが「大丈夫です」と言われたのかもしれないし、そのへんはわからない。その隣もまた20代の女性だったが、ずっとスマホを操作していて、松葉づえの男性のことはまるで気にも留めていないようだった。
男性の足は私からは見えず、どのような状況なのかもわからなかったが、目の前の女性2人が席を譲らないのであれば、譲る必要がない状況なのだと判断するべきだろうか。
そうこうするうちに、主要駅で電車が止まる。多くの人が乗り降りする駅である。
電車が速度を落としホームに入り、一段と強くブレーキをかけたその時、松葉づえの人がよろめき、とっさに杖をつき直して体勢を整えた。と、その瞬間、松葉づえが近くに立っていた中年女性の足の上を突いてしまったらしい。女性は声も出せないほどの痛みに顔をゆがめて耐えている。松葉づえの男性が「すみません」と謝っていた。
私はその駅で電車を降りた。降りる時に、松葉杖の人は、足にギプスをはめて、足先は何も包まれておらず、素足の指が見えていた。元から足が悪いのではなく、怪我をして一時的に松葉杖となっていることがわかった。元々は、スポーツマンのようなタイプに見えた。怪我でもしなければ、これまでの人生では、電車の中で立っていることなど、なんともない部類だったはずだ。しかし、やはり怪我をしてしまったからには、大変な状況となっている。杖を突きながら、怪我をした足を空中にぶらさげて移動しているのが見えたが、そこで降りたのか他の場所に移動したのかはわからなかった。
心配なのは、足の上に松葉杖の先が載ってしまった女性のほうだ。女性は座席に座ったが、顔をゆがめたまま、足の甲に手を当てている。運悪く、靴の上ではなく、足の甲をもろに突かれてしまったようだった。松葉杖の男性の重心が勢いよくそこにかかってしまったのだから、骨は大丈夫なのだろうか。その痛みを想像するだけでも辛い。気の毒だった。もし骨にひびでも入っていたら、松葉杖でけがをさせられ、その人まで松葉づえを使うことになってしまうかもしれない。
ふと自分の足を見ると、指が丸出しのサンダルで、もし自分がそのようなことになったら、大変な状況だと思った。利己的な考えでは、松葉杖の人のそばには立たない方が安全だ、などとも思う。
松葉杖の人も転ばないように必死だったのだから、どうしようもないことだった。しかし、女性は明らかに被害者である。どっちも気の毒な状況だ。
もし、近くの人が松葉杖の人に席を譲っていれば、その人はよろめかず、そばに立っていた女性が松葉杖で足を突かれることもなかったのだから、やはり席を譲らなかった周囲の人がいけないのではなかろうか。そして、そのうちの1人が自分でもあるのだ。
なんとも後味が悪かった。
今日、駅の構内を歩いていた。目の不自由な人が2人、私の前を杖を突きながら歩いて行く。階段を降りる。2人とも杖を持っているが、1人は1人の肩につかまっている。点字ブロックをたどっているようだったが、歩き慣れた道らしく、かなり速い。その速さに、多少は見えるのかなと思っていた。すると、途中で点字ブロックから外れて改札のほうに斜めに進んでいった。通行人は多い。
2人は目の前に人がいてもまるで速度も落とさず突進していく。やはり見えていないようだった。人の流れを斜めにぶった切っていく形だ。道行く人々はぶつからぬよう、あわててよけている。が、中には気づかずに、ななめ後ろからいきなり足元に差し出された白い杖に足を取られ、つまづいて転びそうになった人がいた。
盲目の人が街中を歩くのは、健常者とは比べ物にならない危険と不自由があることは察する。それを守るのが杖ではあるが、杖というのは、周囲の人にとって意外に危ない面があるものだと思った。
立っている松葉づえの人の目の前に座っているのは、若い女性だったが、まったく席を譲ろうとはしなかった。あるいは、譲ろうとしたが「大丈夫です」と言われたのかもしれないし、そのへんはわからない。その隣もまた20代の女性だったが、ずっとスマホを操作していて、松葉づえの男性のことはまるで気にも留めていないようだった。
男性の足は私からは見えず、どのような状況なのかもわからなかったが、目の前の女性2人が席を譲らないのであれば、譲る必要がない状況なのだと判断するべきだろうか。
そうこうするうちに、主要駅で電車が止まる。多くの人が乗り降りする駅である。
電車が速度を落としホームに入り、一段と強くブレーキをかけたその時、松葉づえの人がよろめき、とっさに杖をつき直して体勢を整えた。と、その瞬間、松葉づえが近くに立っていた中年女性の足の上を突いてしまったらしい。女性は声も出せないほどの痛みに顔をゆがめて耐えている。松葉づえの男性が「すみません」と謝っていた。
私はその駅で電車を降りた。降りる時に、松葉杖の人は、足にギプスをはめて、足先は何も包まれておらず、素足の指が見えていた。元から足が悪いのではなく、怪我をして一時的に松葉杖となっていることがわかった。元々は、スポーツマンのようなタイプに見えた。怪我でもしなければ、これまでの人生では、電車の中で立っていることなど、なんともない部類だったはずだ。しかし、やはり怪我をしてしまったからには、大変な状況となっている。杖を突きながら、怪我をした足を空中にぶらさげて移動しているのが見えたが、そこで降りたのか他の場所に移動したのかはわからなかった。
心配なのは、足の上に松葉杖の先が載ってしまった女性のほうだ。女性は座席に座ったが、顔をゆがめたまま、足の甲に手を当てている。運悪く、靴の上ではなく、足の甲をもろに突かれてしまったようだった。松葉杖の男性の重心が勢いよくそこにかかってしまったのだから、骨は大丈夫なのだろうか。その痛みを想像するだけでも辛い。気の毒だった。もし骨にひびでも入っていたら、松葉杖でけがをさせられ、その人まで松葉づえを使うことになってしまうかもしれない。
ふと自分の足を見ると、指が丸出しのサンダルで、もし自分がそのようなことになったら、大変な状況だと思った。利己的な考えでは、松葉杖の人のそばには立たない方が安全だ、などとも思う。
松葉杖の人も転ばないように必死だったのだから、どうしようもないことだった。しかし、女性は明らかに被害者である。どっちも気の毒な状況だ。
もし、近くの人が松葉杖の人に席を譲っていれば、その人はよろめかず、そばに立っていた女性が松葉杖で足を突かれることもなかったのだから、やはり席を譲らなかった周囲の人がいけないのではなかろうか。そして、そのうちの1人が自分でもあるのだ。
なんとも後味が悪かった。
今日、駅の構内を歩いていた。目の不自由な人が2人、私の前を杖を突きながら歩いて行く。階段を降りる。2人とも杖を持っているが、1人は1人の肩につかまっている。点字ブロックをたどっているようだったが、歩き慣れた道らしく、かなり速い。その速さに、多少は見えるのかなと思っていた。すると、途中で点字ブロックから外れて改札のほうに斜めに進んでいった。通行人は多い。
2人は目の前に人がいてもまるで速度も落とさず突進していく。やはり見えていないようだった。人の流れを斜めにぶった切っていく形だ。道行く人々はぶつからぬよう、あわててよけている。が、中には気づかずに、ななめ後ろからいきなり足元に差し出された白い杖に足を取られ、つまづいて転びそうになった人がいた。
盲目の人が街中を歩くのは、健常者とは比べ物にならない危険と不自由があることは察する。それを守るのが杖ではあるが、杖というのは、周囲の人にとって意外に危ない面があるものだと思った。