山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

交通心理学1-3(交通心理学の成立)

2014-02-05 23:09:03 | 車・運転・道路・駐車場2014
自動車は交通手段の中でも一番モビリティが高い。自由裁量性が高く、いつでもどこでも乗れて、ドア・ツー・ドアの利便性が高く、個人で利用できる。

しかし、自動車の操縦は、人間の生物的な限界を超えている。人間の視覚や聴覚や運動機能は、せいぜい時速4キロから6キロ程度の歩行に適したものである。だから、自動車の運転には大変な困難がつきまとう。

自動車の運転は、自由裁量性が高い反面、状況のコントロールが困難で事故が発生しやすい。多種多様なドライバーがいるので、様々な問題行動も行われる。また、道路も複雑な状況であるため、交通状況に応じた運転は難しい。ドライバーの一瞬の油断や間違いで事故が発生してしまう。

自動車の運転は典型的なマン・マシン・システムである。ドライバーの心の動揺がクルマの挙動となって表れる。ドライバーの欲求や疲労、態度などが増幅されて運転行動となる。
自動車はエネルギーの増幅装置であるが、心の増幅装置でもある。

人・クルマ・道路の三者で道路交通システムが成立している。中でも人の役割が大きい。
事故が起こったときは、人のエラーや怠慢が原因となっていることが多い。

事故の発生理由の見かたとして、人的要因の立場と環境要因の立場がある。

第一の立場は、個人の特性や行動が事故を招くという考え方である。例えばリスクテイキング傾向を特定しようという考え方がある。
若者と高齢者のような「個人間差」(個人差)も存在するが、同じ人でも疲れると反応が鈍るなどの「個人内差」がある。

第二の立場は、事故原因を環境要因に求めるものである。例えば、事故を起こしやすい道路構造などである。

しかし、現実には事故は人間と環境の相互作用で起こっている。
例えば、カーブで雨天という環境のもとで、ドライバーが高速運転をすることで、結果としてスリップ事故が起きる。交通環境の変化と交通行動のミスマッチが原因である。

交通環境には、「道路交通環境」「意味的交通環境」「対人的交通環境」がある。
道路交通環境は、道路、その幅員、勾配、ガードレール・分離帯などの構造物や建造物のことである。
意味的交通環境とは、道路の上の信号や標識・路面表示のことである。
対人的交通環境とは、乗用車・自転車・歩行者が共存して作り出す関係である。

道路交通環境と意味的交通環境は「物的交通環境」に含まれる。
意味的交通環境と対人的交通環境は「社会的交通環境」に含まれる。

交通環境の定義自体に対人的相互作用が加味されている。

(放送大学「交通心理学」教材より)

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この中で、印象に残ったのは、まず「自動車の操縦は、人間の生理的能力を超えている」ということだ。
特に、自分自身、50年近くも徒歩か自転車の暮らしをしてきたので、それ以上の速さになかなかついていけない。クルマの運転では、せいぜい時速60kmくらいが、自分の判断や反射能力の範囲内かと思える。これは個人的な特性とも言えるかもしれない。だから、そういう人間が無理をして高速道路などを走ることもなかろうと思ったりしている。
ペーパードライバーの知人は、過去に運転をしていたことがあるようだが「高速道路は命がけですよ」などと言っている。そんなことを言うと、ベテラン男性や若い人には笑われるかもしれないが、おばさんでは普通のことだ。高速のほうが楽だと言う人もいるのだが、やはり時速100kmの速さに慣れるのは難しい。また何事もなければいいが、もし何かあった場合に、咄嗟の判断ができる自信はない。

私の場合、生まれつきの運動神経が、運転に向いているとも思えないので、必死に適合しようと努力している。無謀な運転はしないし、交通ルールはしっかりと守り、体調もよく整え、イライラしたりしないから、精神面ではそれほど不適合ではないような気もするが、やはり予期しない突発的な出来事によって、注意力が散漫になったりし、影響を受けることもあるから、常に冷静で安全な運転ができるとも限らない。

道路環境の悪さもよく感じる。だから、道路構造にはかなり関心がある。

運転をするうえで役に立つよう、様々な状況に注意を向け、いろいろと考えて行きたいと思う。
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