山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

老人ホームのおばあさんだって

2008-02-02 22:01:05 | 未分類過去
さっき、母から電話が来たのだが、知人に母の髪型は「老人ホームのおばあさんみたいだ」と言われたのだそうだ。
母は最近パーマをかけないでショートカットにしている。カラーはしているから白髪アタマではない。

母は知人の言葉に傷ついて、まず姉に電話をしたらしい。
そうしたら、姉の返事は「だから、前からかつらをかぶればいいって言ってるでしょ。お金がないわけじゃないから買えば」というアドバイスだったそうだ。
そして、母は、私にはどう思うか?本当におかしいと思うか?と聞いてきた。
私は、正月に行って特に変だとは思っていなかったので、その旨を話し、そういうのは個人の好みだろうと言っておいた。ファッションを重視する人もいれば、機能を重視する人もいるし、パーマの長髪が好きな人もいれば、短くすっきりとしているのが好きな人もいる。
母はパーマをかけると痛むのであまりかけたくはないのだそうで、自分でも変ではないと思っているので、今の髪型にしているとのことだが、「老人ホームのおばあさん」と言われては、そのままにすることができない気分になったらしい。

「老人ホームのおばあさん」のどこが悪い?と私は思う。
確かに老人ホームにはパーマをかけてきれいにセットしたおしゃれな感じのおばあさんはほとんどいないだろう。しかし、パーマをかけないでショートカットにしているおばあさんが、老人ホーム以外のところにはいないというのもおかしな話で、当然ながら一般の家庭で暮らす老人の中にも、そういう手間のかからない髪型をしている人はいる。また、パーマをかけるだけがおしゃれではないだろう。

私自身ショートカットでパーマをかけていないから、老人ホームのおばあさんと同じ髪型といえばそうも言える。

だいたい、その言葉自体が老人ホームの人に対する差別ではないかと思うし、それを言われて突然気にする母自身も、老人ホームと言うものを特殊な世界のように思っているのだろう。
老人ホームにいるお年寄りは、特別に変わった人でもないし、普通の人なんだ。
確かに、高級ではない普通の老人ホーム(特に特別養護老人ホームのようなところ)では化粧もしないで無作為な人ばかりだと言えるが、そういう人は老人ホーム以外にだっているだろう。

こういうことでも、人によって非常に感じ方が違うのであり、10万円以上もするかつらを買っていつもかぶっていろとアドバイスする姉と、そのままで何もおかしくないし、老人ホームのおばあさんでさえ、どこがおかしいのかまるでわからないと思う私の感覚はかけ離れているなあと思った。
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22222

2008-02-02 20:46:11 | 未分類過去
22歳2月22日っていうのは、ちょっと因縁があります。

私の父は、私が23歳の時に病気で亡くなったんですが、元気がなくなってきたのがその前の年の冬だったらしいです。
どこがどうというのではないけれど、なんとなく体調が悪く、いやな気がして、万が一お金が必要になったときのためにと、父は部屋の鴨居にまとまったお金の入った封筒をはさんでおいたそうです。

その辺が本当に不思議ですが、お金が必要なときには、何もそんなへそくりみたいな置き方をしたところから取り出さなくてもいいはずなのに、なんでそんなことをしたんでしょう。
そして、それをした日が、2月22日で、その封筒の表面に2月22日と書いてあったのです。

そこにお金があるというのは、父が病気で入院して手術をし、退院して一時家に戻っていたときに、母に初めて話したことでした。
母は、その話を聞いたときは、その実物を見なかったのですが、後になって見てみると、父の言うとおりお金が置いてあったのだそうです。

ところで、私が2月22日と書いたお墓の夢を見たのは、母からその話を聞く前のことでした。

後で、考えると、父がお金を置いたのは、私が22歳の時の2月22日ということになります。
私は5月に結婚したのですが、父はそのころもなんとなく元気がなく、7月には入院してしまいました。
私が入籍した日のちょうど翌年に父は他界しました。
だから、私が結婚で実家から籍を抜いた日と、父がなくなって籍が抜けた日は同じになっています。

今、考えてみると、私が結婚式を控えていたので、父はそれが済むまでは病気になるわけにはいかないと体調が悪いのを我慢していたのかもしれません。
そして、入籍して一年経つまで、なんとか持ちこたえてくれたのかもしれないと思います。
2月22日というのは、父が大病を予感した日ということで、暗いイメージがありますが、一方でそれに対して備えなくてはという、父の前向きな意思が示された日でもあります。

そうすると、アパートの保険の手続きをした日が、昨年の2月22日になっているのも、万が一に備える保険という点で共通点があり、それも不思議な偶然の一致だなと思いました。

2月22日をいたずらに恐れる事なく、万が一に備える気持ちをもつための教訓の日としたいと思います。






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無謀な・・・

2008-02-02 20:11:28 | 未分類過去
若者というのは何を考えているのか。

長女が今月新しいアパートに引越すのだが、なんとその翌日から3~4日旅行に出かけ、帰ってきた翌日からバイトだなどとほざいていた。

旅行は大学の仲間との卒業前の最後の学生旅行だとのことだ。
そして、引越しと旅行で、その間休みを取ろうとしたら、バイト先で、そんなに仕事を休まれては困る、最低何日入れなどと言われ、そのためには、旅行の翌日から働かなくてはならない状況になったのだそうだ。

それを考えると、今月は一日も息つく暇もないような日程となってしまう。
慣れない新居から旅行に行き戻ってきて即バイトって、それでは体も精神もやすまらないに決まっている。
荷物もちゃんと解かないような状況でそんなことをしていては、ろくなことがないぞ。
そんな落ち着かないことをしていたら、体調を崩すか、あわてて事故に遭わないとも限らない。

第一、せっかく引越したのに、根付かないというか、これでは何か用事があって家主さんが来ても、引越し早々本人がいないということになってしまう。
ちゃんとゴミ置き場のこととか、近所の様子とか、まず最初にその家になじむことが先決だ、と思うのだった。

それに、引越しやアパート契約ですごい出費となるわけだ。旅行は自分のバイト代で行くと言っているが、自分自身が使う総額が増えることには変わりがない。
そんな旅行なんかしているほど生活に余裕があるはずもなく、絶対に身の程に合っていない。贅沢である。

それで、旅行は断固阻止して、参加を中止させた。

しかも、そのようにして忙しくしているころは、ちょうど2月22日がやってくるのですよ。
ちなみにうちの娘は22歳なんです。
要注意だよ。

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日付の一致

2008-02-02 14:07:36 | 未分類過去
以前書いたことがあると思うが、20何年も前に、墓石の正面に32年2月22日などと書いてある夢をみたことがある。
それで、2月22日というのは、何か不吉な感じがしてしまう。
昨夜自分で書いたブログを見てみたら、2月2日2時32分03秒などとなっていて、驚いた。
22日でなくても墓石の夢に見た数字のようなものが並ぶことはよくあるようだ。

何かするのに2月22日は避けたいと思うのは変わらない。
娘のアパートは無事契約を済ませたが、今のアパートを退去する日というのがなんだか微妙だった。つまり書類上退去する日というのは、出ることを申し出た日から1ヵ月後ということになっているのだ。それが危うく、2月22日になるところだった。結果としては、2月21日となったので、ほっとした。

それで、今現在のアパートの保険を解約するために書類を取り出してみた。すると、なんとその保険の契約日が昨年の2月22日になっていた。昨年はなんとも思わなかったのだろうかと思う。

このようなことを気にしているとキリがない。

そういえば、昔好きだった人は、2年2組22番の出席番号の人だった。
その後、私が3年3組33番だったとき、3年3組22番の人を好きだったこともある。
となると、この数字の並びは縁起が悪いものとはかぎらないはずである。
普通に考えて、ぞろ目が並んでいるのは悪くはない印象を受けるものである。

先日、仕事で書類を整理していると、なぜか私の誕生日と夫の誕生日に一致する日付の書かれた書類が立て続けに出てきた。不思議な偶然だと思っていると、今度は私たち夫婦の結婚式の日にちと同じ日付の書類が出てきてさらに驚いた。
こんな偶然があるのかと思うが、1つの書類にはいくつかの日付が載っていて、そういう書類を何十件も処理している。ということは、関係ない日付もたくさん出てくる。ただ単に、自分に関係のある日付だけが目に飛び込んでくるから、そのように感じるのだろう。


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立て直し

2008-02-02 11:49:52 | 放送大学
今日は放送大学の「基礎化学」の試験日だが、これも受けないことにした。
「基礎化学」は、前半はまあまあ勉強していたのだが全て忘れ、後半は放送は見たものの全くアタマに入らず、とても試験を受けられる状況ではない。
泥縄式でやるはずの試験直前の追い込みも、まるでできず放置状態だった。
その原因は、平日に1日あった休日がなくなり週5日の勤務になり、近頃は年度末を控えて仕事の量も多く、残業で疲れ気味だったこともある。
また、長女のアパート探しなどで土日もつぶれることが多かったためだ。

しかし、「試験を受けるところまでいけない」という状況の一番の理由は、やはり自分にとって理数系科目が難しすぎるということだろう。

こうなったら、一番やさしいものからやっていくしかない。

とは言っても、もともと共通の基礎科目の自然系のものを選んでいたので、これ以上易しいものとは何なのかということである。

そこで、今まではほとんど参考にしていなかった過去の単位認定試験の平均点というものに目をつけ、平均点の高いもの、つまり簡単で合格しやすい科目を選ぼうという魂胆に至った。

そうやって選んだのが以下のものである。

1 エネルギー学の基礎 87.2点
2 身近な統計       85・0点
3 情報科学の基礎    67.5点

3は少し難しそうだが、コンピュータの仕組みなどを知りたいので、取ってみることにした。

ちなみに、今回試験を断念した「基礎化学」の1学期の平均点は54.7点、「数学再入門」は67・1点である。
以前単位を取った「物理の考え方」の平均は79.3点だった。
80点くらいの平均点のものならば、おそらく私にも歯が立つだろうと思える。

科目案内を見ていると、「基礎」とあるものも、平均点を見るとあまり高くはない。
「基礎」より易しいものに「初歩からの~」や「見方・考え方」などがあるようだ。
「入門」というのもある。
そして、最初にあったものよりもさらに易しい科目が新設されているような気もする。

自然系は12年かかって卒業した人もいるというので、まあ、ぼちぼち行こうと思う。 
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いじめられっ子

2008-02-02 02:32:03 | 未分類過去
このあいだの同窓会のとき、昔クラスでよくいじめられていた男子Kもやってきました。
小学校のとき、6年間同じクラスでもほとんど話をしたこともない人もいるのですが、考えてみるとこのKとは、日常いくらかのやりとりをしていたようです。
だから、同窓会のときもなんとなく自然に話をすることとなりました。

そんな中で、「K君は昔はよくみんなにバカにされたりしていて頼りないような性格だったけど、今では立派になったね」などとつい本音を言ってしまいました。
いや、本当に大人になってからは、子供のときと違って堂々としているように見えるのです。仕事もちゃんとしているそうです。表情も明るいです。

こどものころは、なんだかだらしなくて根性がない希に見るダメオ君だったのでした。
でも、考えてみたら、子供のときも明るかったのかもしれません。いじめられてもバカにされてもへらへらしていたようにも思います。それで登校拒否にもならず毎日学校に来ていました。
その当時のいじめというのは今のいじめとはちょっと違っていたのかもしれません。いじめられてはいたけど、その子のポジションみたいなものがあったのかもしれません。休んだりしたら、あいつどうしたんだ?とガキ大将が気にかけるようなものだったのではないかと思います。
それにしても、仲良くしている親友がいたとも思えないし、孤独だったのではないかなと、いまさらながらに思うのでした。
それで、「子どもの頃よくいじめられていたけど、仲のいい友達はいたの?誰と一番仲が良かった?」と聞いてみました。
そしたら、いなかったとの返事、学校の休み時間などは、なんとなく1人で時間をつぶし、家に帰ったら、自分の兄弟と遊んでいたとのことでした。
「でも、今はそんなことはないでしょう」というと、確かにそのようでした。今でも生まれた土地に住んでいるのですが、昔Kをいじめていた同級生たちと、今ではいじめられることもなく、仲良くやっているようでした。

私が「立派になったね」と言っていると、別の同級生が、「いや、今も大して変わってないんじゃないの?」などと言っていました。
おや?そうかな?とは思いましたが、やはりまともな大人になってよかったなあと思いました。

その後、同窓会の集合写真を見ながら、あらためてみんなの表情や服装などを観察しました。よく見ると、K君は作業服のようなものを着ていました。それから、治療していない虫歯もあり、髪の毛も少し長めで白髪が目立ちます。
う~ん、やはり他の人が言うように「変わっていない」のかもしれません。やはりきちんと床屋に行って髪を短く整えている他の同級生、虫歯なんかない他の同級生と比べると、どこか足りないのかなと思いました。

友人にいわれて初めて気がつくのですから、私にはそういうものを見る目がないのかもしれません。人間に対して基準が甘いのかもしれません。

そして、私は人の中にいて気がつくと、大体そういう人のそばにいることが多いように感じます。優秀な人のそばにはいないのが普通で、優秀な人とやり取りしていると非常に疲れてしまうのです。だから、先生とも話をしたいなと思いつつも、気がついたときには、先生の横には当時優等生だった人が座って親しく話をしていました。一方、私はそのいじめられっ子だった人と、工事現場の話などをしていました。私は、仕事の話は好きなんです。その人に仕事のことを聞くと、喜んでいろんなエピソードや仕事の苦労など話してくれました。そのひとは高校には行かず、中卒で働き、今に至っているそうです。

なんで、こういう人と気が合って、優秀な人と気が合わないのかというのは、昔からの不思議です。きっと脳みそのつくりがそうなっているのかもしれません。

中学3年の時に、ある人にどこの高校を受けるの?と聞かれたので、答えると、定時制?と聞かれたことがあります。定時制っていうのは、偏差値が非常に低いです。その人は、私がその高校の全日制には入れるわけがないと思ったらしいです。そんなにアタマが悪そうに見えるのかな~とちょっとショックでした。

なんだか、話がずれてしまいましたが、今日は、なぜかクラスの底辺的ないじめられっ子と波長があってしまう自分のことを思い出しました。
それは、子どもに中学受験をさせる教育ママたちとはどうしても波長が合わない自分を感じて、思い出したことかもしれません。


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受験だったのか

2008-02-02 00:31:18 | 未分類過去
パートタイマーの同僚が、今週から来週に渡って長い休みを取っています。
しばらく休むと聞いたので、何で休むのかな?と思い、土日をはさんで1週間近くも取るのは、海外旅行でも行くのかしら?と思いました。
それで、「旅行にでも行くんですか?」と聞くと、「いえ、家のことをするので」との返事。
? 家のこと? そうしたら、引越しか改装か?それとも夫の転勤?それともお年寄りが入院するとか同居するとかかな?などと思いました。
しかし、家のことって何ですか?とまでは追求できないので、まあ、会社を休まなければならないほどの何か重要な用事があるんだろうなと思って終わりました。

その後、別のパートタイマーの人たちと昼ごはんを食べていたとき、そのひとが、お子さんの中学受験のために休んでいるということを耳にしました。

同じ年頃のお子さんを持っていて、同じような生き方をしている人同士は、関心事や事情がよくわかるんでしょうね。
「休む」と聞けば、「受験なの?」ということになり、「そうなのよ」というふうに話が発展するのでしょう。それで、みんな知っていたようです。

ところが、私のようなKYは、全く「受験」というものを思いつかないので、トンチンカンな「旅行」などを思い描いたりしてしまうのです。
そういえば、小中学生のお子さんのいる人が、こんな時期に旅行なんかに行くはずはないですね。本当にバカだよ私は・・・。
だから、お話になりませんよ。そんな者に対していちいち「受験なんです」なんて説明する気にもならないのは当然ですね。

もし、私が自分の子供に中学受験でもさせた経験でもあれば、この時期に休むと聞いてピンと来たに違いありません。でも、そんな経験もなく、子どもの受験のために仕事を休むなんて考えたことも無かったんですね。
考えてみれば、確かに中学受験だったら小学生一人で遠くの中学の受験会場まで行くのは無理だから、親がついて行くってことですね。
だから、お子さんが何日にも渡って何校か受けるなら、その間、仕事を休まなくちゃならないわけですね。

帰宅すると、ちょうどテレビで私立中学の受験のニュースをやっていました。
やはり、親が付き添っています。午前午後と一日に2つの学校を受ける子どももいるようです。
大変ですね。

それにしても、他の人は受験で休むということを聞いていたのに、私は話してもらえなかったので、それについてはちょっと寂しかったなと思いました。



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