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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

雪の大田黒公園(2)

2014-02-12 19:30:41 | 旅行・街歩き
公園の中は墨絵のような世界でした。池の水は端のほうが凍っていました。






秋に居た鴨たちの姿がありません。






まだ、降り始めたばかりだったので、それほど積もっていません。石畳の模様がわかります。




新潟県小千谷市から来た錦鯉は元気に泳いでいます。やっとカラー写真らしくなった。










あ、つがいのカルガモがいました。



一組だけです。



雪が背中に積もってる。






公園内で5~6人の人にあいました。やはりここの雪景色が見てみたかったようです。
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雪の大田黒公園(1)

2014-02-11 22:46:33 | 旅行・街歩き
あの雪の日、大田黒公園を見に行きました。 目を見張る風景でした。



銀杏並木。



竹に雪が積もるとこんなふうになるのですね。
























まだまだ続きますが、本日はここまでです。
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クルマがあると

2014-02-11 02:09:07 | 車・運転・道路・駐車場2014


大雪の前日にクルマで食料の買い出しに行こうとしたら、道路が渋滞していて前に進まず、断念して戻ってきたため、食べ物が何もない、という話を以前書きました。

それで、翌日は天気予報通り雪となったのですが、午前中はまだ吹雪ではなかったので、今のうちにと思って買い物にでかけました。
もちろん徒歩ですよ。なんてこった。

といっても、これが結構面白くて、それになによりも銀世界の美しい事と言ったらありません。それで足を伸ばして散歩して、きれいな画像をいっぱい撮ってきました。
いやあ、クルマがあったからこそ、こんなことになったんだな~、と不思議ですね。

帰宅後は、本当に大雪になって外にも出られないような天気になってしまいました。
雪+風っていうのは初体験です。
20年ぶり、いや45年ぶりの大雪だそうで、自宅付近も20数センチ積りました。
降っていたときは粉雪のように見えましたが、積もった雪はかなり水っぽくて、翌日が暖かかったために解けるのも早く、昨年よりもずっと早く消えてなくなりそうです。だからあんまり20年ぶりの大雪という感じもしません。

あっ、それで、雪の翌日の選挙の日には、自分のクルマの駐車場と全面道路の雪をとりあえず雪かきしました。自分のクルマが出入りする部分くらいはやっておかないと、と思いました。どうせ、周辺地域の雪が完全に解けなければクルマの運転をすることもありませんので、自然に解けるのを待っていてもよいのですが、やはり凍りついてしまうのも嫌です。その日は暖かかったのですが、どの程度解けるかはわかりません。もし、1日で自然に解けるものなら、やった意味がなくなりますが、解けるかどうかわからないなら、とりあえず取っておいたほうがよいでしょう。

まず、クルマの前面の駐車スペースに積もった雪と、道路の部分に残っている雪をどかし、それから車の側面の地面も雪かきしました。隣の車との境のライン、道路と駐車スペースの境のラインは雪をどかさないとどこにあるのかわかりませんでした。
最初に地面の雪を全部どけてから、あとになってクルマの上の雪をどかしました。お湯をかける方法もあるようですが、自宅から運んでいくのも大変なので、エンジンをかけて暖房を入れて温風をフロントガラスに向けて温めてみると、だんだん結露してきて、外の雪が解け始めました。中の結露はタオルで拭き取りました。
外に出てみると雪とガラスの間に隙間ができたようで、はがすように塊をとって行きました。手の届く範囲をとっていると上から滑り落ちてきました。屋根の上の雪も前に向かって滑ってきました。クルマの上の南側半分は最初から解けていました。
落ちたらなんとすごい量で、もう一度地面の雪かきをしないといけなくなってしまいました。先に上から落としておくべきだったかな?
思えば、車の上の面積もかなりなものですから、その分が地面に落ちたらかなりの量であるわけですね。

地面の雪は、一度も踏んでないところはフカフカで簡単にチリ取りで掬えました(雪かきスコップがないですが、チリ取りで大丈夫でした)が、一度でも自分が歩いたところは踏み固められていて取りにくくなっていました。

雪かきをしながら、もしクルマがなかったら、こんなこともしないから、家の中にじっとして楽をしていたんだろうな~と思いました。
物はあればあっただけ、それを維持したり管理したりするのに労力がかかるものですね。でも、もしかしたらそれがいいのかもしれない。
クルマがあるので、駐車場代やら保険料やら車検代やらガソリン代やらを稼ぐために、ひいこら働くなくちゃならないし、雪が降れば雪かきだの、汚れたら洗車だのとしなくちゃなりません。大変です。

しかし、人間は苦労しないと大きくなれないのだ。

お金をいっぱい持っている人は、お金の管理も大変だろうし、家のある人は家の手入れも大変なんだろうな~と思います。そこに行くと、貧乏人、持たざる者は楽ですよ。

私は、ほとんど管理するものがないので楽ですが、クルマのおかげで雪の日にいろいろと行動することになって、まあ、それもよかったなあと思いました。
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雪かきありがとう

2014-02-11 00:17:38 | 日記
今回の雪で、感心したことがあるのだが、私の住む街では、結構雪かきをきちんとしている場所が多いのである。これは誇れることである。

まずは、選挙の投票所のそばの道。投票所となる学校の敷地内や校門の前などをきれいにするのは選挙関係者の仕事なのだろうが、大通りからそこに行きつくのに、多くの人が歩きそうな道路や路地がかなりきれいに除雪されていた。
それは、そのあたりに住む人々が自主的にきれいにしてくれたに違いない。単にそのあたりの住民がきれい好きなのか、歩く人のためを思ってなのかわからないけど、実に気持ちのよいことである。

また、投票に行ったあと、商店街を歩いたら、そこもきちんと雪かきがされていて、数mおきに雪の山ができていた。これも、商店なんだから、雪かきをしておかなくちゃ客が入らないからというのは当然だが、どう見ても自分の店の前だけをきれいにしているわけではなく、商店街の路上の隅々を残すところなくきれいにしているようであった。
つまり、統一されてきれいになった雰囲気があるのだ。
店でないところには雪が残っているとかいうのではないのだった。

さらに、私の住んでいる集合住宅でも、午前11時頃外に出ると、すでに敷地内の通路やゴミ置き場周辺や自転車置き場など、主なるところの雪かきが終わっていた。
昨年はコチンコチンになってしばらくは解けなかったが、その経験を踏まえて、今年は踏み固められる前に誰かが雪かきをしてくれたらしいのだ。おそらく数人のお年寄りがやってくれたものと思える。

そこで、私も階段や通路に吹き込んだ雪を端に寄せたり、駐車場の自分のクルマの周辺と前面道路を端まで雪かきしておいた。その先の公道に出るまでの部分、そして公道も、通行に支障がない程度には誰かが除雪してくれてあって驚いた。こうやってみんながこまめに早めに作業をしておけば、きれいに整備できるものだ。

もちろん、街の中には、誰も手をつけず、ぐっちゃぐちゃになっているところもあるのだが、それでも、きれいにしたなあ~と感心する場所がいくつもあったのは嬉しいことだ。

東京オリンピックを前に、日本人の「おもてなし」精神がアピールされているが、みんなが自分の出来る範囲のことをして、気持ちのよい環境を作り出すのも立派なおもてなしだと思う。道路をきれいに舗装したところで、ゴミが落ちていたり、放置自転車が置きっぱなしになっていたりしたらダメだ。

そして、おもてなしは外国人に向かってする以前に、自分たち日本人同士に対して思いやりを持つことであろう。

そういえば、宇都宮さんが街頭で選挙演説をしていたとき、選挙スタッフの人が、演説を聞く人たちに、点字ブロックをふさがないようにと気を配っていた。

先日は、スーパーで盲導犬を連れた人が買い物をしていたが、店員さんがつき添ってエスカレーターの乗り降りを案内し、一緒に歩いて品物を選んでいるのを見た。
そういうことは当たり前のことなんだろうが、あたりまえのことが普通にできる社会にならなくてはいけない。

放置自転車が点字ブロックをふさいだりすることなく、雪かきがちゃんとされているのも、目の不自由な人にとっても暮らしやすい街になる。お年寄りやベビーカーの人も安全に歩けるだろう。

テレビのニュースを見ると、東京の都心で、凍った雪の上をこわごわと歩いて通勤する人や、通学する子どもの姿が映っていた。歩く人は多いが、雪かきをする人がいないような場所だ。雪は降ったらかたまらないうちに早く雪かきすることが重要だ。私は多くの人が雪かきをしてくれたおかげで、住宅街から駅に着くまで、そんな場所が1つもなかったので、嬉しかった。
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テレビ報道

2014-02-10 23:12:40 | 日記
昨夜中に舛添さんが当選したのはわかったが、宇都宮さんや細川さんも含めて、詳細な得票数などがわからなかったので、朝のニュースを待っていた。
ところが、7時半頃テレビをつけたら延々とソチのオリンピックばかりで全く都知事選のニュースをする気配がない。あっちこっちチャンネルを変えるが、どこもかしこもオリンピックだった。それ以外のニュースは、雪で交通がマヒしたというのがわずかにあったくらいだ。佐村河内守のゴーストライターのことをやっている局があったので、オリンピック以外のニュースをやっとやってると思って期待したら、フィギュアスケートで高橋大輔がその曲を使うということに関して取り上げられたものだった。
やっと8時半も過ぎたころにテレビ朝日のモーニングバードで、今回の選挙について、小泉さんと細川さんの演説場面などから放送が始まったが、あまり落ち着いて見ることもできず出勤した。

新聞の朝刊では、開票率66%の時点のものだったので、細川さんが2番で宇都宮さんが3番目になっていた。なかなか欲しい情報が得られないことに不満が募る。テレビはなんでオリンピックばかりやってるんだ。視聴率を求めるとそうなるのだろうか?

夜になったら、テレビ朝日で、“開局55周年記念番組”「池上彰が選ぶ日本を変えたニュース55年史、昔を知ることの大切さ、今の日本がある理由」をやっていたので見た。
私は今54歳なので、ここで取り上げられた歴史は、ほとんど私がこの世に存在してからの人生での社会の出来事と一致していた。いろいろと再確認できて勉強になった。
それから、報道ステーションが始まり、まず都知事選のことが取り上げられた。それから国の予算の事など国会の様子も伝えられた。やっと満足の得られる情報を得ることができた。

そうだ、朝のようにテレビ局がどこもかしこもオリンピックって、それはないだろう。バカじゃないだろうか。でも、こうしてみるとやっぱり「テレビ朝日」が一番まともだと思う。池上さんはNHKをやめてテレビ朝日で活躍して良かったと思う。

ちなみに今夜のNHKの番組を新聞のテレビ欄で見てみると、クローズアップ現代で30分間、新都知事のことが取り上げられたようだが、そのあとはすべて「オリンピック」ばかりである。こんなところに高い受信料を払ってるけど、テレビ朝日のほうが役に立つ。まあ、昼間はNHKで国会中継をやっていたようだが、ただカメラを回して中継しているだけなら放送するほうは簡単だろう。

オリンピックっていうのは、そんなに重要なものなのか、魅力的なものなのか、私にはどうもわからないのだ。
普通の情報が欲しいと切に思う。
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舛添氏都知事当選

2014-02-09 23:34:43 | 日記
選挙結果は、予想されていたとおり、8時ちょうどに舛添氏の当選確実が出ました。

私は原発反対の意味も含めて宇都宮さんに投票しましたが、別に舛添さんで不服はありません。
舛添さんに都政を期待しましょう。
特に、福祉や防災に強い都市にするという舛添さんの強い意志を心強く感じます。
保育園や介護施設など増やしてほしいし、木造住宅密集地なども改善して安全で暮しやすい東京を実現してもらいたいです。
原発はすぐには無理でも、自然エネルギーによる発電の割合を増やして、原発に依存しない日本にしてもらいたいです。
そのためには、一般住民も政治家任せにせずに、努力する必要があります。

今回の選挙について、候補者がそれぞれに自分の強い意志を持って選挙に臨みました。
細川氏は「殿御乱心」などと言われたりもしましたが、70歳を過ぎた細川氏と小泉氏という元総理が2人で脱原発で立ちあがったのは、それはそれでよかったと思います。
やはり、未来の日本のためを思ってのことでしょう。
これからさらに老人が増える日本でもありますが、だからこそ、年を取ってもこのように自分の信念を貫こうとする元気な人が必要です。
年寄り=介護が必要 ではなく、年寄りでも人に世話にならずまだまだ人のために働けることも多いはずです。
たしかに、加齢には勝てず介護を要するようになってしまうのは避けられないことかもしれませんが、気を確かに持って健康増進に努めながら、生きていきたいものです。

6年後の東京オリンピックのころには、私たちもさらに高齢に足を踏み入れていることになります。オリンピックの予算がオーバーするという危惧に対して、舛添さんの話によれば「オリンピックの費用は建設費だけではなく人件費も必要だが、たとえば通訳などの人件費はボランティアによって経費を節減することもできる」と言っていました。夫などもその頃には退職している年齢ですが、多少英語ができるので「ボランティアをやってもいいぞ」などと乗り気になっています。人の役に立てるということで生きがいが持てたらいいですね。

宇都宮さんや細川さんに投票した人も少なくはありませんので、舛添さんはそういう意見も頭に入れて都政をやって行ってほしいと思います。田母神さんに入れた人も思いのほか多かった(意外に若い人に多いとか)ので、そういう意見もあるのだなあと思いました。

ところで、今回驚いたのは、投票率の低さです。まだはっきりした数字はわかりませんが、夜7時半の時点で34%程度だったそうです。都政に対して、あまりにも有権者の関心が低すぎるのではないでしょうか。
政治家は私腹を肥やすために政治家になるわけではなく、本当によりよい社会を実現しようと思って取り組んでいると思います。けっして楽をして勤まる仕事ではありません。
それに対して、投票にも行かないということは「勝手にやれば」と他人任せにしているわけです。そんな人々は、都政に対して今後文句を言う資格はないでしょう。投票所はそれほど遠い場所にあるはずもなく、普通の身体であれば歩いて行ける距離にあるはずです。東京都民の都政に対する関心の低さは、恥ずかしい実態だと思います。

ある千葉県民が、都知事を東京都民だけが決めるのは間違ってるんじゃないかと言っていました。それだけ近隣の県民(千葉・埼玉・神奈川等)も他人ごとではなく思っているのです。職場が東京にあるという人も多いからかもしれません。また、オリンピックは国の行事であり、それが開催される東京は、東京都民の意思だけに任せられないと思うようです。投票に行かない都民の投票用紙で投票したいくらいだと言う人もいます。
そんなふうに都政に関心をもつ人も多いというのに、当の都民のこの関心の低さは・・・。
平和ボケなのでしょうか?
どうせ舛添さんに決まりだから。誰がなっても同じだから。悪いようにはならないから。
良く受け取れば、あまりにも、信頼が強すぎるのでしょうか?
いくら雪のあとで、地面がぐっちゃぐちゃだったとはいえ、今日は天気もよくぽかぽか陽気でした。

政治家ではなく、政治に無関心な都民について不満です。

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宇都宮氏街頭演説

2014-02-08 21:19:43 | 日記


いよいよ、明日が投票日となりました。
色々な候補者の街頭演説を聞いてみたかったのですが、結局、宇都宮さんだけ聞くことができました。

宇都宮氏の印象は、とても優しく庶民的で、誠実そうな方でした。

お話は、途中からしか聞けなかったのですが、原発に関しては、自然エネルギーへの移行ということで、太陽光発電の話が記憶に残りました。
太陽光発電というと、面積の広い土地が必要だろうということで、北海道などを思い浮かべがちですが、意外にも、太陽光発電パネルを置く条件がそろっているのが、東京都なのだそうです。
というのは、ビルがたくさんあるので、その屋上にパネルを設置すれば、かなりの発電が見込めます。
今後、会社・学校・病院・マンションなど様々な建物に設置する政策をとれば、発電量がどんどん増え、原発に頼る必要はなくなるでしょう。
確かに、今は新築マンションなどで自家発電のできるシステムを採用しているところが多いです。こういうのを、公共施設をはじめ、多くのものに推進すればよいと思いました。
東京を自然エネルギーの街にして、世界のモデル都市になれたらいいなと思いました。

オリンピックはコンパクトに。
立派すぎる競技場などを作っても、作るのに莫大なお金がかかるだけでなく、オリンピックが終わったあとには、維持をするだけでも出費がかさんで大変なことになりますので、そのようなものは作らないほうが良いということです。同感です。

現在、景気がよくなったなどといっても、お金もちばかりに有利な世の中になっています。
格差をなくし、一般庶民や弱者が安心して暮らせる都市になってほしいです。そういう気持ちのある人は、宇都宮氏だと思いました。



応援演説は、元都議会議員の福士よし子さんでした。
ポスターなどで、何年も前に見たことがあったのですが、そのころに比べたらかなりお年を取られたようでした。(自分もそうです。)思ったよりも小柄な方でびっくりしました。でも、とてもパワフルできさくな方で、市民活動家という感じがしました。



もう一人の応援演説は、池田香代子さんと言う方でした。
「世界がもし100人の村だったら」という話を翻訳して本にされた方だそうです。この方の名前は知りませんでしたが、この本は有名ですね。

自宅に帰ってから調べたところ、「世界がもし~」のもとになったものは、アメリカ、イリノイ州出身のドネラ・メドウスという教授が、1990年に書いた小文で、世界を1つの村に喩えて、人種・経済・政治・宗教、等の割合をわかりやすく示したものだそうです。その時は1000人で示されていましたが、ネットで伝わるうちに100人になったそうです。
日本で最初に翻訳されたのは、ワシントンDCの世界銀行に勤めていた中野裕弓さんによるものだそうです。それを2001年に、翻訳家の池田さんとC・ダグラスラミスという人が再話し、マガジンハウスから本として出版しました。
池田香代子さんは社会運動家であり、この本の印税はすべて難民のために寄付されたそうです。(wikiより)

You tubeにありましたので掲載させていただきます。

もし世界が100人の村だったら


「世界がもし100人の村だったら」ではなく「もし世界が100人の村だったら」になっています。
中野裕弓さんの翻訳かもしれませんが、内容は同様だろうと思います。

これを聴くと、自分がどれだけ幸福な境遇にあるかを思い知りますね。
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明日は都知事選

2014-02-08 17:34:18 | 日記


都知事選の候補者が決まった頃は、ニュースでもいろいろと話題になっていたが、最近はオリンピックやら大雪やらで、選挙の話題は下火になっているようだ。
なんとなく、盛り上がらない選挙だなという気もしてきた。若者は、あまり関心がないようだし、投票率もあまりよくないかもしれない。

日本人は、長いものには巻かれろ的な傾向があるので、マスコミがこの人が優勢というと、その通りになる。投票しても入らない人には入れてもしょうがないと言う人も多い。
つまり、当選しそうな人に入れるのだから、マスコミがこの人が当選しそうだと言えば、その人が当選するのだ。



まあ、現実的なところ、舛添さんだろうなとは思う。

テレビでのインタビューなど聞いていても、舛添さんが一番具体的な返事を返してくる。
細川さんの「原発ゼロ」の意見には賛同できるが、原発以外の様々な質問に対して、あまりにも漠然とした返事が多いように感じだ。年齢的にも舛添さんのほうが若くて力強い。



すべての意見について納得できる候補者などいるわけがない。

田母神さんは、もろ右翼だろう。原発再稼動、オリンピックは盛大に。

宇都宮さんは、原発即廃止。オリンピックはコンパクトに。庶民派。
舛添さんは、中流派かな?
若者は家入さんかな?

テレビで、道路の話をしていたが、舛添さんは作ると言い、宇都宮さんは経費が高すぎるので作らないと言っていた。普段道路を使う私の立場になると、やはり道路は作って渋滞をなくし、きちんと安全に整備してもらいたいなとも思うが、地下トンネルのような多大な経費のかかるものは、本当に必要なのかわからない。

オリンピックは、コンパクトにやってほしい。盛大にやるだけが能ではなかろう。
日本というのは質素だけど親切や心くばりが行きとどいていて落ち度がなく、良い国だと感じてもらいたい。それは、目や心を奪うパフォーマンスや仕掛けや派手さではない。会場なども必要以上の豪華さなどは要らないし、野鳥や自然環境も大切にしてもらいたい。

それにしても、都知事1人が、都政を決めるわけではないだろうから、誰が都知事になるかはそんなに影響力があるものなのかなと思った。しかし、都知事にはかなりの権限があるそうだ。
都議会議員たちと、うまくやっていけるかどうかというのも、重要なのかな?

猪瀬さんの時に、深夜バスを運行させるとか言って、一部始められたようだけど、そういうのも都知事の権限で勝手に始めたりできるものなのかな?
私は交通機関の24時間営業には反対だ。眠らない街なんて自然に反している。

やはり、質素で堅実な社会がいいと思う。
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渋滞と右左折時の注意

2014-02-07 22:38:46 | 車・運転・道路・駐車場2014
今日は、先程書いたように道路が渋滞していた。
青信号で進んでも数台しか進めない状況なので、交差点前の列では、何回も信号が変わらないと通り過ぎることができないのだ。

そんなとき、自分が先頭で左折することになった。曲がった先は片側2車線の道路なので、最初のうちに横断歩道を渡り始めた数人の人々が渡り終わって人の列が途切れると、次はまだはるか反対車線の右の方から渡ってくるから、こっちまで近づくにはだいぶ距離があった。その人たちが近づく前に通過してしまえば問題ないし、とにかく後ろの車もつかえているから、少しでも早く曲がってあげたいと思った。
それで、右から来る人が来ないうちにと思ってちょっと急いで横断歩道の上を通過した。
教習ではこういうことはしてはいけない。横断歩道を渡ろうとしている人がいる時は、どんな遠くでも待たなくてはいけないだろう。

と、そのとき、左のほうにちらっと視界に入ったのは人影だ。どうやらその人は、歩道を歩いていたのだが、横断歩道がすでに青信号になっているのに気づき、「あっ青じゃないの、早く青のうちに渡らなくちゃ」と、突然、急いで渡り始めようとしていたようだった。

距離的には、右方向の横断歩道の人々よりも、左側の歩道の人のほうがずっと近い事に驚いた。その人が道路に出て来る前に私が通りすぎたからいいものの、もう少し早く飛び出て来られたら止まれるかどうかわからない。

やはり、横断歩道では左右方向からの人間の存在をきちんと確認しないと危ないなあと思った。人間のほうも左折してくるクルマを見れば立ち止まるであろうけど、本来クルマが止まるべきだからということで、何も見ないで飛び出て来る人もいそうである。
人間の信号が点滅していたりすると、よけいにあわてて走り出てくるかもしれないから要注意だ。

特に今日は、「右方向の人間が来ないうちに」という意識があったのが、左方向の人間への注意を足りなくさせていたと思う。それに夜で暗くて人間が見えづらいというのもあったかもしれない。右折時も同様だ。

今日は、道路が渋滞して止まっていたら、青梅街道の片側3車線を超えて、横断歩道でないところを横切って来た自転車もいて驚いた。反対車線から、私のクルマの前を右から左へ通り過ぎて行った。もし、ちょうど車列が動き出したときに、いきなり目の前を横切られたらどういうことになるかと思う。まったくびっくりだ。そんなとこ、当然横断禁止だが、クルマが動いていないということで、自転車や歩行者も油断して、いつもだったらしないようなことをしてしまう。

渋滞している時は普段と違う事が起きるし、遅い分を取り返そうとするから危険だ。

買い物はできなかったが、無駄な経験ではなかった。
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また行き着かず

2014-02-07 21:39:00 | 車・運転・道路・駐車場2014
仕事が終わって外を見るとまだ明るかった。とたんに、昨日達成できなかった運転経路の再チャレンジをしたくなった。明るければ昨日見えなかった周囲の状況や景色なども見えるはずだ。
しかし、今日は筋トレに行こうと思って、朝自宅を出る時に、トレーニングウェアや靴などを持ってきたので、運転と筋トレとどっちがいいかと迷ってしまった。

どっちをするべきなのだろうか?
と考えたところ、やはり健康のためには筋トレをやるべきだと思って、筋トレに向かった。筋トレが終わると、やっぱり暗くなっていた。
買いものをしようかと思ったけど、なまじ店に寄ると、衣類など、要らないものを買いたくなってしまうので、まっすぐ家に帰ることにした。

帰宅したら、天気予報で大雪が降ると言っていた。
となると、明日は家にこもっていることになるだろう。雪ではクルマの運転もできないし、自転車にも乗れない。寒いから外に出るのは嫌だ。
いや、まてよ、そうなると、買い物に行かないってことだ。じゃあ、何を食べる?
何にも無いぞ。
今夜は自分1人なので、残り物でいいけど、明日明後日はどうしようか、やっぱり今日中に買っておいたほうがいいだろうな。

肉やら野菜やらいろいろと買っておけば安心だ。
ということで、車で買い物に行くことにした。行き先は、昨日行こうと思った青梅街道沿いのスーパーである。今日は、遠回りはしないで、普通の経路でそこに行こうと思った。

クルマに乗ると、昨日見忘れた走行距離を確認した。14.4kmだった。あんまり走ってない。

さて、青梅街道を西に向かって走る。
ところが、なんか渋滞している。しかも、その渋滞はだんだん激しくなっていった。
杉並区の桃井あたりでは全然進まない。元日産工場の跡地があったあたりだ。そのあたりで右折したり左折したりして、青梅街道から横道に入っていく車が続出しだした。
いったい何が起きているのだろうか?青梅街道がこんなに渋滞することは滅多にないと思う。単なる夕方の自然渋滞ではなさそうだ。先のほうで工事でもしているのか、事故でも起こったのだろうか?
私は第二車線を走っていたので、横道にそれるとすれば右折しかなかった。青梅街道の交差点にはだいたい右折車線があるが、矢印信号が出るとは限らなかった。それに、たまたま右折した路地がどのように続いているかまではよくわからない。右折車線に移動するのになんとなく気遅れしながら直進を続けたが、それにしてもこのままでは延々進まないだろうと思えた。

すると、斜め前の第一車線に自動車学校の教習車が走っていた。
教習中の車もこれでは練習にならないだろうなあ~、教習時間中にほとんど走れないで終わったら、その分もう1回教習させてくれたりするのかな~?などと思っていた。
運転してるのが中年男性で、助手席が若い女性に見えたのだが、先生が運転してたんだか?それとも、オジサンが生徒でお姉さんが先生だったのか?
すると、その車が右ウィンカーを出し始めた。わずかずつ進む状況だったので、進まずに車間を空けると前に入ってきた。そうしたら、サンキューハザードのサインを出してくれた。
その後、教習車はまたすぐに右ウィンカーを出し始めた。教習車というのは、かなり早くからウィンカーを出すものだけど、前には何もないようだし何だろうと思っていた。
はるか前方に狭い道路との交差点の信号があった。そこを右折するための右折車線が確かにその先にありそうだった。
そうだ、指導員の先生の適切な判断で、この渋滞から脱出しようとしているのだろうと思った。私のクルマからはまだ見えないが、その先に右折専用レーンができているに違いなかった。そこで、私も右ウィンカーを出しつつ、教習車の後を進んでいくと、確かに右折レーンがあった。その信号で、青のうちに対向車が途切れたので、右折することができた。

少し進むと教習車は左折していったが、金魚のフンのようにくっついていくわけにもいかないので、とりあえずまっすぐ進んでみた。その道は、環八と交差していた。しかし、そこでも信号が青なのに列を作ってなかなか前に進まなかった。きっと、青梅街道をよけたクルマたちがウヨウヨしているのだろう。そして、環八もまたかなり混んでいるのである。交差点先の対向車も非常に多い。その交差点は、何回か通ったことがあるが、普通なら対向車は2~3台くらいしかいないはずなのに、今日は、5~6台以上、列の最後が見えないほど並んでいた。こちらからは直進できず、右か左に曲らなければならない標識がついている。

こちらは、信号は青でも、車列は進み切れずに、信号が変っては何回も止められていた。そして、私が先頭になっていた。矢印の出ない信号だ。前方の対向車の列を見たらとたんに、そこを右折するのは不安になったので、赤信号のうちにウィンカーを左に変えた。
どうやら、あっちこっち渋滞してるようだった。

それから、適当に回ってまた青梅街道に出てきた。今度は空いている反対方向の車線だった。
ところが、なんと、さっきまで全く動かなかった青梅街道の下り車線がスイスイ動いているのであった。
なんたること、そのまま並んで待っていれば、程なく動いて、すでにスーパーに着いていたかもしれなかった。

気が短いのがいけないのだな。

そのまま、どこにも寄らず帰宅してしまったので、食料は買えないままだった。
明日は大雪で自宅にこもる見込みだが、何食べて暮らすかな~

あのスーパーにはなかなか行けないものだ。行くなってことかあ。

これでは、仕事帰りに買ってくればよかったなあ・・・。
自転車だったら、目的地に着かないなんてことはないんだけどね。
車って不便だなあ。


今日の運転は約10kmでした。


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駐車場・車庫入れ

2014-02-06 23:40:58 | 車・運転・道路・駐車場2014
今日、想定外に入ったスーパーは、基本的には有料駐車場であるが、30分以内の買い物客は無料の駐車場がある。そこは、いつもはあまりクルマが置いてないのに、今日は結構たくさん駐車してあった。
だから、バックして入れるのに、向かい側のスペースがふさがっているため、通路部分だけしか使えない。そうすると、かなり狭い。
前と後ろを、駐車中のクルマにぶつけないようにバックして入るのに、かなり神経を使った。接近距離には、まだ余裕があるのかもしれないが、実際見えないので難しい。
切かえしたりしながらようやく入れた。
やっぱり、広い駐車場のあるスーパーがいいとつくづく思う。

それから、買い物を済ませて自宅に帰ってきた。
スーパーの駐車場で通路が狭かったので、そういう場所でのバックの入れ方を研究しておかねばと思った。うちの駐車スペースの前は、敷地内の広い通路なので、いつもは斜め前に余裕を持って出てからバックしている。
しかし、仮にその通路部分が狭いとすれば、自動車学校で習った方向変換のように、90度でバックしなくてはならない。その場合はどのくらいまで進んでから、ハンドルをめいっぱい回して下がればよいのか、やってみようと思った。

で、通路をそのまま進んで、いよいよバックするぞとシフトをRに入れたところ、後ろから明るい光がさしてきたのを感じた。
見ると、なんとトラックのような自動車が、後ろに近付いてくるではないか。この敷地内の通路は道路のように見えるが通り抜けはできない。入ってくる車の大部分は住民のものであるし、たまに宅急便などの業者のクルマが来ても、そんなに奥まで入らなくとも用が足りる。
しかしその見慣れない車は、遠慮する様子もなく、普通の道路のごとくさらに進もうとしているのであった。それで、私は急遽バックするのをやめてまっすぐ奥へと進んだのだが、その車もどんどんついてくるのだった。その先は行き止まりだというのに、いつまでもどんどん付いてくるのである。しかたなくさらに何もない行き止まりになるほうに曲がったら、その車は反対側の建物のあるほうの行き止まりへ進んでくれた。
ああよかった。ほっとして方向転換して自分の駐車スペースに戻った。見ると、その車は程なく出ていった。

もう、ビビりまくりだ。自分の土地に他人が来たのに、自分が遠慮して、他人がそこのけそこのけみたいなのってどうなんだろう。ま、その人が、どけとか邪魔だとか言ったわけではなく、私が勝手に逃げただけなんだけどね。普段、クルマなんかこないから驚いた。
それも、いつもの入れ方だったら、車庫入れしているのはすぐにわかるだろうし、簡単に入れることもできるのだけど、たまたま、いつもと違う入れ方をやってみようと、その場にはそぐわない動き(スペースがあるのに、無い場合のような動き)をしていたので、相手から見たら変だろうと思って、あせってしまった。

夜の運転と、それから車庫入れは難しい、とつくづく思った。
そして、今日何キロ走ったか?焦っていたので見るのも忘れた。
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井の頭通り→環七???

2014-02-06 22:55:00 | 車・運転・道路・駐車場2014
先週末、忙しくてクルマの運転ができなかったので、今日の夕方運転をすることにした。
最近は寒くて最低気温が氷点下、最高気温が6度くらいになっている。車も、少なくとも週に1回は、エンジンやらオイルやらが、ある程度あったまるくらい動かさなきゃならないような気がする。大型犬を運動させなくちゃいけない、というような感じだ。それに、運転しないと、運転の腕も落ちてしまう。

そんなわけで、無駄に遠回りをして夕飯の買い物に行くことにした。行き先は青梅街道沿いの駐車場の広いスーパーにしようと思ったのだが、その前に、環八を南に進み、井の頭通りに左折し東に進み、それから環七に左折し北に進み、青梅街道に出るという超遠回りの経路を考えた。
今日は昼間から曇りで暗かったのだが、時間的にもすでに日が暮れて、夜の暗さになっていた。平日の夕方の環七というのはどんなだろう?混むのかな?と思った。

環八は普通に進んで行った、それから井の頭通りに左折した。第一車線には時々駐車車両があるので、第二車線を走っていった。道路はそれほど混んでいなかった。気づくと50キロくらいで走っていた。第二車線だから、そうゆっくりもしてられないと思って速めに走った。その道路は、片側2車線でカーブもないので法定速度の60キロだとばかり思い込んでいたのである。
しかし、しばらく走るうちに、40キロの標識に気がついた。わっ、20キロのオーバーだった。60キロで走るのは慣れない道路で落ち着かなかったので、40キロと知ってほっとした。

私のアタマの中の記憶では、井の頭通りは東西に延びていて、環七や環八は南北に走っていると思っていたので、井の頭通りを走っていれば、環七にぶつかると思い込んでいた。

環八から井の頭通りに曲がって、程なく浜田山になった。そこで人見街道と斜めに交わっている交差点があった。それからさらに進むと、西永福で斜め左に進む方南通りがある。以前走ったときには方南通りのほうに進むのが常だったが、今日はまっすぐ進んだ。というか意識的にそうしたわけではなく、第二車線を走っていた成り行きでそうなった。

その先は、やはり初めて走った道路だったのか、記憶にはないようなカーブがあったり、車線が減ったりした。

そして、大きな道路に突きあたったので、左折した。それが環七だと思った。
ところが、どうも様子がおかしい。上にあるのが環七で側道からそこに上っていくのであろうと思ったがそうではなかった。

上に走っているのは高速道路であり、その下に走っているのが甲州街道であることに気がついた。そして、私は側道を走っているのだった。それから、甲州街道本線は地下に入っていくようだった。
側道は混んでいて、車列に並んで停まっていた。
あっ、ここ知ってる。代田橋だ。一度電車できたことがある、あの沖縄っぽい商店街のあるところだった。左に商店街の入り口があった。
ああ、あの道路を今クルマで走ってるんだ、と思った。
となると、環七はその先だった。

なんで甲州街道に出るんだ?と思ったが、帰宅してから地図をみると、井の頭通りはだんだん南東方向に向いていき、東西に走る甲州街道にぶつかっていた。さらに進むと京王線を超えていずれは環七にぶつかるが、そのあたりでは道路も狭くなり、それまでの井の頭通りとは違っている。井の頭通りとは、もともと水道道路だそうで、まっすぐに進んでいるのだが、この代田橋のところに和田堀給水場の水道施設があるため、そこだけは地上を道路として進むことができず、迂回するしかないそうだ。そのあたりから環七を過ぎるとまた広くてまっすぐな道路になる、ということを思い出した。

そんな狭い部分は走りたくないので、甲州街道にぶつかって、そこを通って環七に出てしまえてよかった。
環七と甲州街道は立体交差しており、甲州街道が地下にもぐっているので、甲州街道の側道から環七には普通に地上の交差点を左折した。環七は側道から合流するということはないのだった。

さて、それで、あとは環七をまっすぐ北に進めば、高円寺あたりで青梅街道に出るんだと思っていた。それで、環七の第一車線を走っていた。

ところが、ちょっと進んだところで、あれっ?この車線は側道だ、本線じゃないぞ~、と気づいたのが遅すぎ、行きたくもないのに早々と側道に進んでしまったのだ。
そこは「方南町」だった。本線は地下に下りていく。そっちに進めない、残念だ~。
私は左の側道に行ってしまった。側道を直進すれば、また本線に入れたのかもしれないが、あえなく左折。これは方南通りだ。

つまり、元来たほうに戻るってわけだ。まあ、いいか・・・。
方南通りを西に進むと、西永福で、そこで走ってきたばかりの井の頭通りを戻ることとなった。そして、また環八に戻る・・。

ああ、またもや、思わぬ方向に。
やはり夜の道路はわからないなあ~~~。

信号に書いてある交差点名も暗くて見えなかったりするし、かなり情報が確認しづらい。
夜、知らない道路を走るって難しいもんだ。

それで、最初に行こうと思ったスーパーは中止して、別のスーパーに入った。
まあ、ある程度クルマに乗り、夕飯を買いに行けたからいいか。
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交通心理学1-3(交通心理学の成立)

2014-02-05 23:09:03 | 車・運転・道路・駐車場2014
自動車は交通手段の中でも一番モビリティが高い。自由裁量性が高く、いつでもどこでも乗れて、ドア・ツー・ドアの利便性が高く、個人で利用できる。

しかし、自動車の操縦は、人間の生物的な限界を超えている。人間の視覚や聴覚や運動機能は、せいぜい時速4キロから6キロ程度の歩行に適したものである。だから、自動車の運転には大変な困難がつきまとう。

自動車の運転は、自由裁量性が高い反面、状況のコントロールが困難で事故が発生しやすい。多種多様なドライバーがいるので、様々な問題行動も行われる。また、道路も複雑な状況であるため、交通状況に応じた運転は難しい。ドライバーの一瞬の油断や間違いで事故が発生してしまう。

自動車の運転は典型的なマン・マシン・システムである。ドライバーの心の動揺がクルマの挙動となって表れる。ドライバーの欲求や疲労、態度などが増幅されて運転行動となる。
自動車はエネルギーの増幅装置であるが、心の増幅装置でもある。

人・クルマ・道路の三者で道路交通システムが成立している。中でも人の役割が大きい。
事故が起こったときは、人のエラーや怠慢が原因となっていることが多い。

事故の発生理由の見かたとして、人的要因の立場と環境要因の立場がある。

第一の立場は、個人の特性や行動が事故を招くという考え方である。例えばリスクテイキング傾向を特定しようという考え方がある。
若者と高齢者のような「個人間差」(個人差)も存在するが、同じ人でも疲れると反応が鈍るなどの「個人内差」がある。

第二の立場は、事故原因を環境要因に求めるものである。例えば、事故を起こしやすい道路構造などである。

しかし、現実には事故は人間と環境の相互作用で起こっている。
例えば、カーブで雨天という環境のもとで、ドライバーが高速運転をすることで、結果としてスリップ事故が起きる。交通環境の変化と交通行動のミスマッチが原因である。

交通環境には、「道路交通環境」「意味的交通環境」「対人的交通環境」がある。
道路交通環境は、道路、その幅員、勾配、ガードレール・分離帯などの構造物や建造物のことである。
意味的交通環境とは、道路の上の信号や標識・路面表示のことである。
対人的交通環境とは、乗用車・自転車・歩行者が共存して作り出す関係である。

道路交通環境と意味的交通環境は「物的交通環境」に含まれる。
意味的交通環境と対人的交通環境は「社会的交通環境」に含まれる。

交通環境の定義自体に対人的相互作用が加味されている。

(放送大学「交通心理学」教材より)

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この中で、印象に残ったのは、まず「自動車の操縦は、人間の生理的能力を超えている」ということだ。
特に、自分自身、50年近くも徒歩か自転車の暮らしをしてきたので、それ以上の速さになかなかついていけない。クルマの運転では、せいぜい時速60kmくらいが、自分の判断や反射能力の範囲内かと思える。これは個人的な特性とも言えるかもしれない。だから、そういう人間が無理をして高速道路などを走ることもなかろうと思ったりしている。
ペーパードライバーの知人は、過去に運転をしていたことがあるようだが「高速道路は命がけですよ」などと言っている。そんなことを言うと、ベテラン男性や若い人には笑われるかもしれないが、おばさんでは普通のことだ。高速のほうが楽だと言う人もいるのだが、やはり時速100kmの速さに慣れるのは難しい。また何事もなければいいが、もし何かあった場合に、咄嗟の判断ができる自信はない。

私の場合、生まれつきの運動神経が、運転に向いているとも思えないので、必死に適合しようと努力している。無謀な運転はしないし、交通ルールはしっかりと守り、体調もよく整え、イライラしたりしないから、精神面ではそれほど不適合ではないような気もするが、やはり予期しない突発的な出来事によって、注意力が散漫になったりし、影響を受けることもあるから、常に冷静で安全な運転ができるとも限らない。

道路環境の悪さもよく感じる。だから、道路構造にはかなり関心がある。

運転をするうえで役に立つよう、様々な状況に注意を向け、いろいろと考えて行きたいと思う。
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靴を買ったのだが・・・

2014-02-04 23:20:53 | 日記
先日、感じ悪いと思って買うのをやめた靴屋さんだったが、また通りかかったらバーゲンセールをやっていて、20%~70%引きとなっていたので、ちょっと立ち寄ってみた。

そして、良さそうなデザインのを履いてみたりしていると、店員さんがやってきた。
今度は他に客がいなかったので、やたらにサービスがよかった。
さすがに靴の専門家なので、このデザインは細くできているとか、幅広の人はこういうカットがいいとか、色はこういうのがこういう色の服に似合うとか、教えてくれた。

最初に私が履いてみようとしたのは、普段履いているサイズなのに全然履けないくらいきつかった。つま先のほうの幅がかなり狭くできているからだそうだ。

それで、私のようばんびろ、甲高の足の人には、こっちのデザインのほうが履きやすいですなどと、別のものを勧めてくれたりした。そうしたら、最初のものよりもずっと履きやすかった。デザインは最初は変だと思ったけど、見ているうちに悪くはないように見えた。

2種類くらい候補がせばまってきて、どっちも良いので、どちらかに決めようと値段を見てみた。
すると、それらは思いの他高かった。
靴の値段は、元値が高くても1万2~3千円だと思っていて、それがセールなら、せいぜい8000円くらいだと思っていたのだが、値引き後の値段が1万2~5千円くらいしていて、驚いた。
しかし、「いい靴はやはり違う」とか、「安くて履きにくい靴を買って結局しまったままにしておくよりも、いい靴を毎日履く方がよい」などと言われ、「そうだな」と思った。
内心「安くて履きやすい靴もあるけどな~」とは思っていた。

値札は新しい値段のシールが貼ってあって、元値がいくらなのかわからなかったのだが、結局のところ私が買ったのは1万2千円弱の靴で、元値は1万4~5千円らしく、値引き率は20~30%だそうだ。20%~70%引きという表示を見て、だいたい40~50%くらいは安くなっているだろう等と思ったのは、希望的な思いこみだった。70%引きなんてのは滅多になく、だいたいは20%引き程度である。元値が見えない表示の仕方というのも、本来いくらだったかわからないので、あやしいものである。

こういうとき、値段を見て高いからやめますとも言えない流れであり、まあ、高いなりに良い靴なんだろうと思って買った。

ところがなのだ。
靴屋では履きやすいと思ったが、いざ履いて歩いていると、かなり痛い。
「履き口」っていうのかな?「トップライン」などとも言うようだが、つまりつま先側の履き口の縁が足の甲(指の付け根あたり)に食い込んできて痛いったらないのだ。

いつも安物の靴を買って履いてるけど、これだけ痛い靴はなかった。
そういえば、靴屋さんでは、椅子に座って足を入れてみたりしていたけど、あまり立って歩いてみたりはしなかった。それに、最初に履いた靴があまりにも履きづらかったので、あとで履いたのが、とても履きやすいように感じたが、実はそれほど足にフィットしていたわけではなかったようだ。

店員さんがつきっきりで勧めたりしてくるので、ゆっくりおちついて履き心地を確かめたりできないし、買わないでは出られないような空気になってしまったけど、本当はそんなことで簡単に決めるべきではなかった。

まったく買いものが下手すぎる。というのも、滅多に買いものをしないからだろう。

この靴は、自転車に乗って走っているぶんには、痛くないし、仕事で椅子に座っているぶんにも痛くはないので、まあ、仕事に履いていくくらいなら大丈夫であろう。

なんか高い買いものをしちゃったよ。
いつも履いている5000円以下の靴だったら、3足は買えたな。

安物の靴のほうが私の足に合うのかも。

安物買いの銭失いというけど、高いものを買っても失敗だ~
なんだかな~~~

靴と時計で3万超えちゃったから、自転車は買えないなあ・・・
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恵方巻だったらしい

2014-02-04 19:00:13 | 日記
どこもかしこも恵方巻き
今日は、駅ビルに行ったら、ものすごい人だかりだった。それに、どこの店にも恵方巻きが売っているのだ。ふだんお寿司を売っている店に恵方巻きがあるのは不思議ではないが、全く関...




昨日は節分で、お店では恵方巻がいっぱい売られていたらしい。
いつも、たくさんの恵方巻を見て、買おうか買うまいかといろいろと影響されるわけだけど、今年はなんと恵方巻を売っている様子を全く見ずに終わってしまった。
昼食はお弁当を持って行ったので,コンビニに買いにいかなかったし、夕飯も、夫がいない日だったので、買いものをしないでまっすぐ帰ったため、店の様子を知らない。
やっぱり、昨年と同様にいろいろな恵方巻が売られていたのだろうなあと思う。
しかし、見ないものは、無いのと同じだ。

恵方巻っていうのは、関西の方からやって来た風習らしい。
私が子どものころは無かったし、数年前までもなかったような気がするが、そういえば毎日のようにスーパーやコンビニに買い物に行くようになったのも、フルタイムで働きだしたここ10年くらいのことである。もしかしたら、それ以前も売っていたのかもしれないが、たまたま2月3日にお店に行かなかったのかもしれない。

今年は前もって福豆だけは買っておいた。小袋が20個くらい入ったもので、蒔く気もないし、ただ食べただけである。年の数だけ食べるとかいうが、数えてはいない。
伝統行事はほとんど何もしない、といういいかげんさ。

恵方巻は、今日の店には影も形もなかった。
そうなると、恵方巻を食べ損ねた感じもして、少々つまらない気分だ。
売っているのが目に入ったら、1本くらい買っただろう。

節分が終わると、いよいよバレンタインデーであり、それからひな祭りである。

そして、春になる。
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