記憶では、小学の4年の秋だったと思います。
ある日の休日の朝に、母親が急に「海がみたい」と言い出したのでした。
そうして、父にコースを委ね、家族4人は自宅を出発しました。
母はおにぎりをたくさん握って、車の中でお腹が空くと皆で食べ、父の運転する車はひたすらした道を走ります。
私は車の中で本を一冊読み終えてしまいましたが、途中トイレ休憩するものの、なかなか海が見える場所にたどり着きません。
ワンピースにエナメルの靴を履いて、ドライブを楽しみにおしゃれをしてきたというのに、時間が経つにつれ、ガッカリな気分に陥るばかり。
やっとどこかの海岸に着きましたが、ただそこに海があるだけ。
父がもう一ついい場所があるというので、立ち寄ったのが、気仙沼の「唐桑半島」。
日の暮れを待つばかりの時間になっており、車から出ると、ヒューヒュー風が吹いてます。
子供の目にはただの岩柱1本にしか見えない景色をバックに、家族写真を撮るのに夢中になっている父の姿に、こんなに遠くまで連れて来られて、何なんだろう?と思いかました。
私にとって、あまりいい思い出ではありません。
でもずっと忘れられなくて。
夫が気仙沼に行ったことがない、というので宿泊するのを機に、思い出を上書きすべく、数十年ぶりに「唐桑半島」を訪れました。
整備された遊歩道を歩きます。
昔は、松林の中を歩いた記憶があります。
海蝕により奇石が連らなり、よい眺めです。
ベンチもあり、ゆっくり海を見ながら過ごすこともできそうですね。
かつて、父がこれをバックに家族写真を撮った「折石」。
高さ16m、幅3mの大理石の石柱で、観光のシンボルとなっています。
明治29年(1896年)の三陸大津波の際、先端部分が2mほど折れたことから折石と呼ばれているそうです。
小学生の頃見た時のほうが、もっと高さがあったような記憶があります。
あの頃は子供だったかも。
折石、半造から巨釜にかけての海岸線は遊歩道が整備されていましたが、車で少し移動して、「半造」へ。
「半造」へは、駐車場から整備された遊歩道を歩きます。
海の資源が豊富で、あわび等の貝類を取って生活し繁昌したことから「繁昌」と呼ばれていましたが、その後「半造」 となまりが入ったと言われています。
また、半造と言う名は釜が半分だけ完成したような形であることから、そのようにも呼ばれているそうです。
私の記憶の上書きは完了しました。
夫が初めての気仙沼をふたりで旅行したおだやかな日和、青い海に浮かんだ奇石群を眺めながら、子供心に戻ったような気分になって、少しの時間を過ごしました。
その後、ランチして気仙沼のホテルで温泉に浸かり、リフレッシュしました、と。