大江健三郎 中公文庫
シイの木のうろ(千年スダジイ)が夢見る人のタイムマシンになっていて、それは童子しか乗れない。三兄妹が江戸時代の逃散で活躍した少年に会いに行ったり、近未来の同じ場所がどうなっているのか見に行ったりする中での友情や、細やかな兄妹愛が表現されている。この三兄妹(兄、妹、弟)とその親、叔母、祖母は他ならない大江健三郎の子供達と、自身と妻、姉、母である。互いの存在や個性を認め、大切に思う子供達の心を上手に育てたのだなぁ、さすが大江健三郎だと思いながら読み進めたが、「あとがき」で自分は親として良い教育者ではなかったと書いている。
[逃散]
年貢米の取り立てが厳しすぎて、生活できなくなった農民がみんなで逃げだし新しい土地に移ろうとすること。
*ヴァレリーという大詩人が、私の生まれた年に、母校の中学生に公演してるのね。ヨーロッパのいくつかの場所で、国家につかえる国民を作ろうとしている。計画し、仕込み、ひとつ方針の教育をして、社会の仕組みや経済にそのまま着いてくる国民を育てている。…精神の自由と、繊細な教養が、子供への押しつけで壊される。私はそれを恐れる、とヴァレリーはいうんだ。
いつの時代にも、政治の世界や実業界や、マスコミで権力を握る連中は、この種の「新しい人」を作ろうとするんだよ。
そして、こういう「新しい人」がつかえて繁栄した国家は、いつの時代にも長続きしなかった。周りの国々を悲惨なことをした上で、滅びた。ヴァレリーの時代では、ナチス・ドイツがそうだった。この国も私が十歳の時、戦争に負けるまでそうだった。ところが今また、もう一度やろうとする連中が出てきているんだ。
私がきみにいいたいのは、こんな型にはまった人間とはちがう、ひとり自立しているが協力し合いもする、本当の「新しい人」になってほしいということね。どんな「未来」においても。
*私らの大切な仕事は、未来を作るということなんだ、私らが呼吸をしたり、栄養をとったり、動きまわったりするのも、未来を作るための働きなんだ。ヴァレリーは、そういうんだ。私らはいまを生きているようでも、いわばさ、いまに溶けこんでいる未来を生きている。過去だって、いまに生きる私らが未来にも足をかけているから、意味がある。思い出も、後悔すらも…
*あたえられたイメージを、自分で作りかえるのが、想像力の働きだ
昨日はいつものオケ練習、残暑でまた家では練習が出来ないでいたので練習会場で予め個人練習しようと早く着いたら、夕焼け空がきれいだった。また帰りは途中で見える水平線に沢山の漁り火が、これまた美しかった。これだけでも出かけて良かったと思う。