気温が低くて、外に干したタオルケットが乾かない
去年と同じ株なのに、何故か今年はチト違います。
ひとつの株から色んなしっぽ。
ユニークですね~、みんな可愛い。
花言葉:細かな気配り。
気温が低くて、外に干したタオルケットが乾かない
去年と同じ株なのに、何故か今年はチト違います。
ひとつの株から色んなしっぽ。
ユニークですね~、みんな可愛い。
花言葉:細かな気配り。
今年もまた株が一回り大きくなったラベンダー、根付くまで年月がかかったものの、一度根付くと元気良すぎで、スペースはもう限界。
撫でた手の移り香は、心を穏やかにしてくれます。
これ↓は先月末。光る蕾?! いえいえ雨粒です。
ラベンダーの花言葉:繊細、優美。
風のガーデン・貞三先生の花言葉:アポロンの奏でる竪琴の音色。
今日は嬉しいことが。
今月に入って初めてフルートを吹くことができた。
自分の出す音を聴く新鮮さ。
明日も明後日も吹けたらいいな。
今年は春が暖かかったお陰で、庭の様子がいつにない賑やかさ。
いつもは咲いたことに気づかないうちに終わってしまうイボタノキの花も、いっぱい。
ちょっぴり甘い香り、落葉樹です。
30年近く前に苗を頂いた時、「エボタ」と教えられたけれど、
この度、花言葉を検索していて、本名は「イボタノキ」と知り、びっくり。
名前の由来が面白い。
その木には蝋(ロウ)を分泌する虫がついた。
蝋はイボをとる薬だったので、その木は「イボトリノキ」という名前がつけられ、変化して「イボタノキ」となった。
ちなみに蝋を分泌する虫は「イボタロウムシ」と命名された。(だからロウには虫偏がつく)
笑ってしまいました、ずっと間違って呼んでいたことにも。
さてイボタロウムシに会えるかな。
花言葉:良い友をもっている。
日陰を好むらしいので、サラサドウダンツツジの根元に植えた小さな苗。
いつまでも小さいままで、ひっそりと雑草に紛れながら、3年目。
と、何やら花らしきものが出現!
これで終わりか、まだ伸びるのか。
ホスタ(別名ギボウシ)の花言葉:沈静、静かな人
新鮮な赤紫蘇が手に入りました。
半分はジュースに。
少し煮て(長時間煮るのはアクが出るようで嫌い)、グラニュー糖とキビ糖とりんご酢をどどっと投入。
量は適当、味見しながらバランス調整。
冷めるのを待ちきれない、たくさん氷を入れて直ぐに試飲。
う~ん、たまりませぬ
もう半分は梅干用に塩揉みして(本当はこちらがメイン)、来月には干しませう。
朝から夕景! 昨日のです。
久しぶりの青空に、まん丸お月さん。
これだけで清々しい気分に。
みんな自然の一部です。
その移ろいを眺めていると、家デンが鳴る。
知らないセールスマン「奥様でいらっしゃいますか」
「ハイ」
「近くに若い方かご主人はいらっしゃいますか」
「イマセン」
「では、かけ直します」
……
なんか失礼じゃありません?
今朝は太陽がお目見え、急いで洗濯、外へ干す…が、もう曇り。
楽器を独学でやっていた大昔、「楽譜は必ず暗譜するように」という記述を読んでへこんだ、暗譜は大の苦手。
それはその著者の考えだから読まなかったことにしようと気を取り直した(フフ)
フルートメーカーが出している季刊誌に「暗譜ってなに?」と題した印象的な随筆が掲載されていたので、最後の方だけ抜粋します。
著者は大嶋義実氏
あまり意識されることは少ないのかもしれないが、楽譜は作曲家の欲望そのものだ。作曲者自身も手にすることができなかった音楽への欲望が、記号としてそこには定着する。だから楽譜を演奏することは、奏者が作曲家の欲望に等しく重なり合おうとすることだ。すなわち、自身の内側に欠落している音楽を愛し、それを求めてやまない存在として演奏家はある。同じように作曲家も、自身に欠落した音楽をもとめて楽譜を書く。「どこかにわたしの探す音がある」と信じないことには五線に音符をしたためることなどできはしない。このことは、奏でられるべき音楽が、他者として外部に存在していることを意味している。作曲家にとっても演奏家にとっても事情はおなじだ。だからこそ音楽にたずさわる者たちはみな、他者である音楽と一体化したいと切望している。
その望みは、音楽自身から「あなたとひとつになりたい」という声を聞くまでは癒されることのない渇きでもある。ひとは、狂おしいまでに自身の欲する存在から欲されることを夢見る。わたしたち音楽家は音楽から欲されることを渇望している。「自分を必要として欲しい」と音楽にもとめている。ならば、なすべきことはひとつしかない。音楽に礼節をつくすことだ。それゆえに、音楽家は音楽を前に居住まいを正す。いわば暗譜は音楽という他者と真剣なまなざしで向かい合うための、内なる《かまえ》ともいうべきものだ。
浅はかな虚栄心から始まったのかもしれない。でも聡明なクララ(クララ・シューマン)のことだ、音楽からの承認をもとめる己がこころの渇きを、やがて自覚したはずだ。「とぶ」ことに怖れを抱きながらも彼女が暗譜を続けた理由がここにある。
同じ理由で、つまり音楽に愛されたいという切なる願いから、リヒテルは目の前に楽譜を置いた。共通するのは音楽に対する畏れと謙虚な態度だ。
ふたりの選択は、どちらもが、楽譜の向こう側に生きる音楽にさしだす己が「誠(まこと)」を表したものではなかったか。
どうやら、楽譜がそこにあるかどうかは問題の本質ではなかったようだ。どのような作法であれ、楽譜という音楽への扉はこころからの敬意をもって開かれなければならない。そのときこそ音楽は惜しみなくその姿をわたしたちのまえに現してくれるにちがいない。
愛するものには愛されたいがゆえに礼節を尽くす、そして畏れと謙虚さ…音楽に。
となれば、暗譜は大した問題ではない、この解釈に賛成(フフ)
今朝の一枚はオシロイバナのつぼみ。
渋いですね~
黒百合の良さが、若い頃はわからなかったように、
チョコレートコスモスも昔出会っていたら素通りだったろう。
出会いは時期が肝心。
いやいや、チョコレートの香りにはびっくりして惹かれたかも。
去年は身近でいつも見ていたいという身勝手さで室内に置き、病気にしてしまった…
やっぱり雨、風、日差し、寒暖差を経験させないとダメなのよね~
今年は庭で次々咲きまくり、元気の良いことといったら。
赤黒い色は、つぼみの時から枯れるまで変わらない。
花言葉:移り変わらぬ気持ち、恋の終わり
台風が北上してくる気配です。
先日のだるさは暑いせいではなく、風邪のせいでした。
思うに、気管の調子が快復したのは、症状が薬によって抑えられていただけで、治ったのではない。
それが証拠に2ヶ月に渡る病院の投薬をやめた途端にぶり返し、
更に悪いことに弱った気管から風邪の菌まで入り込む始末。
薬に頼るのではなく、少し状態が良くなったら、体質改善に取り組もう。
よりによって、先週から今週にかけ予定が7つも集中、
すべてキャンセル、の~んびり過ごすことに。
雨の降る前、ラムズイヤーに花が付いているのを発見。
植物の楽しみは、美しさや香りが主流、
でもラムズイヤーはまずは指で撫でて楽しむ…ふわふわで柔らかい。
初めて触った何年か前の驚きが毎回蘇る。
本物の子羊のお耳も、きっとこんなんなのね。
魅力はそれだけじゃないわよと言いたげに、可憐な花がお目見え。
ラムズイヤーの花言葉:あなたに従う。
風のガーデン貞三先生の花言葉:生まれたばかりのまごの耳たぶ