プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

佐藤昭夫

2014-01-20 22:09:41 | 日記
1972年、入団時
・阪急ブレーブスは11月13日、昨年ドラフト2位指名していた佐藤昭夫投手の入団発表を行った。佐藤はオーソドックスの本格派投手で長身から投げ下ろす速球は威力十分。将来楽しみな選手である。

1976年
・一軍で2ホーマーを打ったとたんにファーム落ち。この、あまり例をみない演出者は阪急の佐藤外野手。6月28日のロッテ前期最終戦に佐藤は2本もスタンドにアーチをかける大活躍。後期はあわよくば常時ベンチ入りかと思わせた。しかし、そんな思惑とは逆に試合後の上田監督の話はふるっていた。「後期はファームにやります。一軍にいるとどうしても練習不足になるので二軍でみっちり鍛える。それからでも遅くはありません」いかにも層の厚い阪急ならではの措置といえるだろう。

ファーム成績
1976年・打率293、7本塁打
1977年・打率244、6本塁打

年俸
1977年「300万」、1978年「240万」
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荒川俊三

2014-01-20 22:08:55 | 日記
1970年

・キャンプが終わり、オープン戦が始まろうとするころ、スポーツ紙の片隅で「退団=近鉄・荒川俊三」という一行が目についた。希望に満ちたはずの春を迎えたというのに、なぜ球界を去って行ったか・・・。若い世代の野球人生を考えさせる一例だった。荒川は4年前、神戸二中ー兵庫高を経て近鉄に入団した。入団までのいきさつが、また変っていた。卒業後カマボコ製造業に就職したが、野球をやってみたいとテストを受け合格した。ボール拾いから始まって昨年はウエスタンで捕手や外野をかけ持った。昨年末の契約更改のさい、捕手転向を強力にすすめられ、不本意ながら踏み切った。ところが阪神から辻が移籍、球団職員だった石山もユニフォームを着ることになり荒川は自然はみ出す形となった。こんなところにいつまでもいたって・・・と荒川はキャンプ途中、自ら身を引き、球界を去り船員として再出発をはかっている。
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