フォーム・・・オーバースロー 球種・・・速球、カーブ、シュート、アメリカ仕込みのチェンジアップ
古賀は熊本工から近畿大へすすみ、三十七年に巨人へ入団した。三シーズン在籍した選手である。最初はオーバースローの速球投手だったが、入団してすぐ首脳部にアンダースローへの改造を命じられた。中継ぎ、救援用に小まわりのきくアンダースロー投手が当時の巨人では必要とされていたからだ。
だが、この無茶な改造がもとで古賀は肩を痛めた。外野手に転向した。一時は宮本敏雄、国松彰、高林恒夫らと競い合って、あと一歩でポジションを手中にするところだった。ところでが新入団した柴田勲がシーズン途中から外野手に転向して、センターへ定着した。古賀はチャンスをうしない、関根潤三、末次民夫らの入団のあおりをうけて、三十九年かぎりで自由契約になったのである。
その後、古賀はアメリカへわたった。野球にまだ自信と未練をもっていた。本場で再起をはかろうとしたのだ。東京ドラゴンズの先駆者といってよい勇敢な夢の多い青年だった。S・ジャイアンツの極東担当スカウトであるキャピー原田に身柄をあずけた。イリノイ州サバナに本拠をおくジャイアンツの1A級ファームへ入団することになった。
古賀はここで、本格派のピッチャーとして再出発した。一年目は八勝七敗。シカゴ・カブスの3A級のファームと契約することができた。だが、その年交通事故で首の神経を痛め、一年を棒にふる不運に見舞われた。渡米三年目、古賀はシカゴ・カブスの1A級に籍をおき、カリフォルニア・リーグで一年間プレーをした。監督は日本にきていたジム・マーシャルだった。古賀はマーシャルの監督就任最初の試合に登板、相手をシャットアウトして一勝をプレゼントしている。その後3Aへふたたび昇格する予定でいた。そこへジョージ吉永からグローバル・リーグへ加われという勧誘があったのだ。現在の給料の倍額を支払うという口説き文句だった。古賀は参加の決心をし、三日まえ、デイトナ・ビーチへ着いた。ひとりトレーニングをつんで一行を待っていたのだ。戦力としての古賀は森には未知数である。だが、アメリカの野球界で三年もメシを食った経験は貴重だ。チームにとって得がたい人材であることはたしかだった。
「古賀さんか。よろしくたのみます。全然勝手がわからないので」「大丈夫。なんとかなりますよ。きょうはゆっくり休養して、あしたから猛練習しましょう。相手は3A級ですが、日本チームはまとまりがよいから、けっこう対抗していけると思う。
日本を出て三年間、古賀は一度も帰国していないという。生きた英語をしゃべる人に特有の巻き舌で彼は日本語を話した。
古賀は熊本工から近畿大へすすみ、三十七年に巨人へ入団した。三シーズン在籍した選手である。最初はオーバースローの速球投手だったが、入団してすぐ首脳部にアンダースローへの改造を命じられた。中継ぎ、救援用に小まわりのきくアンダースロー投手が当時の巨人では必要とされていたからだ。
だが、この無茶な改造がもとで古賀は肩を痛めた。外野手に転向した。一時は宮本敏雄、国松彰、高林恒夫らと競い合って、あと一歩でポジションを手中にするところだった。ところでが新入団した柴田勲がシーズン途中から外野手に転向して、センターへ定着した。古賀はチャンスをうしない、関根潤三、末次民夫らの入団のあおりをうけて、三十九年かぎりで自由契約になったのである。
その後、古賀はアメリカへわたった。野球にまだ自信と未練をもっていた。本場で再起をはかろうとしたのだ。東京ドラゴンズの先駆者といってよい勇敢な夢の多い青年だった。S・ジャイアンツの極東担当スカウトであるキャピー原田に身柄をあずけた。イリノイ州サバナに本拠をおくジャイアンツの1A級ファームへ入団することになった。
古賀はここで、本格派のピッチャーとして再出発した。一年目は八勝七敗。シカゴ・カブスの3A級のファームと契約することができた。だが、その年交通事故で首の神経を痛め、一年を棒にふる不運に見舞われた。渡米三年目、古賀はシカゴ・カブスの1A級に籍をおき、カリフォルニア・リーグで一年間プレーをした。監督は日本にきていたジム・マーシャルだった。古賀はマーシャルの監督就任最初の試合に登板、相手をシャットアウトして一勝をプレゼントしている。その後3Aへふたたび昇格する予定でいた。そこへジョージ吉永からグローバル・リーグへ加われという勧誘があったのだ。現在の給料の倍額を支払うという口説き文句だった。古賀は参加の決心をし、三日まえ、デイトナ・ビーチへ着いた。ひとりトレーニングをつんで一行を待っていたのだ。戦力としての古賀は森には未知数である。だが、アメリカの野球界で三年もメシを食った経験は貴重だ。チームにとって得がたい人材であることはたしかだった。
「古賀さんか。よろしくたのみます。全然勝手がわからないので」「大丈夫。なんとかなりますよ。きょうはゆっくり休養して、あしたから猛練習しましょう。相手は3A級ですが、日本チームはまとまりがよいから、けっこう対抗していけると思う。
日本を出て三年間、古賀は一度も帰国していないという。生きた英語をしゃべる人に特有の巻き舌で彼は日本語を話した。