プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

新井智博

2014-01-26 22:47:22 | 日記
1978年
・クラウンのキャンプ地にジャンボ投手が悲壮な決意で参加している。昨年、巨人を自由契約になった新井智博投手で、現在採用テストを受けているのだ。25歳、巨人には7年在籍したが1軍登板はゼロ。「二軍でもほとんど投げる機会がなかった」とかで、はるばる九州に新天地を求めやって来たという。192センチの長身で、左腕という希少価値。このため、
クラウンは「うまくいけば使えるかもしれない」ということで、テスト参加を認めたそうだ。誰も頼るところのない九州・
福岡。「泊まるところも決まってない」と何とも心細い話だが、本人にしてみれば悲壮な覚悟。「これが最後の勝負です。力いっぱいやって、それでダメなら仕方ありません。」こう話すノッポ投手の表情には、追い詰められた者だけがもつ人一倍の厳しさが漂っていた。
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茅場考史

2014-01-26 21:28:40 | 日記
1980年

昭36.12.4生 右投右打

強肩強打、三塁手だが、外野もやれる。昨秋の関東大会で4割をマーク。
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乗替寿好

2014-01-26 20:47:59 | 日記
1971年

・西鉄ライオンズのファームに故障とツキの無さに泣かされている3年目の投手がいる。もちろんチーム期待の星として迎えられた男だ。乗替寿好投手。彼はドラフト2位で1969年、西鉄入りした。しかし球団としてはトップにランクするはずだった。というのはドラフト直前の国体で、乗替の好投により若狭高校「福井」は優勝している。そのため「条件や、他球団との競争もあるだろうから、口説きにくい」という理由で、東尾「箕島」を1位。乗替は2位にランクされることになった。いってみれば、1位の東尾より、西鉄としては是非欲しい投手だったわけである。しかしプロ入りしてからの彼は不遇だった。
1年目、ライバル東尾がオープン戦の対巨人戦「熊本」で好投したというニュースが伝わった百道寮で、3位同期入団の宇佐美と夜間練習中、その宇佐美が不慮の死を遂げるというショッキングな場面に遭遇した。乗替はまだ故郷を離れたばかりの、スタートに、こんな哀しい思いをしたのである。それでも、先攻する東尾に闘志を燃やし連日激しいピッチングを続けた。だが、張り切りすぎからか、若い肩を腕が上がらぬほど痛めてしまったのである。こうして西鉄の星は、その1年まったく光も見せずじまい。ファームはおろか、休養だけの1年目を過ごした。そして肩が治った翌年、稲尾監督就任で指導よろしくフォーム矯正、キャンプ当時から期待されたところに持ってきて、池永ら3人の主力投手が永久追放となり、ようやく陽の目をみようとしたのだが、どうしても肝心の1勝があげられない。「1勝のチャンスはあった。近鉄戦に4安打、完投した時だ。だが、どうしても味方の援護が得られなかった。その前日、東尾がボクの救援で初勝利を挙げたというのに・・・このときからボクと東尾との差が出来たのです」単にツキというが、若い投手には勝つか負けるかでピッチングの自信が違ってくるのだ。それでも、今季、乗替は1軍に上がったことはある。だが、5月7日、同じ左腕の佐藤と交代でファームに落ちてから1軍の距離は遠くなった。佐藤はロッテ戦「6月20日」で好投し腕を上げつつあるというのでは、なかなかファームに戻ってくる気配はない。ファームでは乗替は6月1日現在、防御率2位「3,21」という好成績なのだが、悲しいかな球威は乏しく、カーブだけが頼りの投球では首脳陣の評価は得られず、力不足は明らかである。故障と不運と、そして未知の世界の中での実力不足が乗替を3年目の苦しい闘いの場に置いている。だが焦ってはならない。力がつきツキがまわってくれば、3年目でも、まだスターの道は残っているのだから・・・。
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