プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

宮田征典

2017-07-09 22:58:30 | 日記
1964年

延長にはいった十回、中日は宮田に二死後、河村が左前安打を浴びせたあと、高木守、中の連安打でサヨナラ勝ちを収めた。試合は宮田ー河村の息づまる投手戦が続いた。宮田は外角のスライダーと、内角ギリギリいっぱいのストレートのコースがよかった。河村はストレートに伸びがあるので勝負どころで使う落ちるタマが効果的だった。二回、互いに1点ずつとった。巨人は森の中前安打と広岡、須藤の連打によるものだが、会心の当たりは内角直球をたたいた森だけで、広岡の打球はアスプロのスタートがおくれてその右をゴロで抜き、須藤はバットが折れた中前打だった。一方、中日も真ん中の低めからさらに落ちるシンカーを、右翼にたたき込んだマーシャルの一発だけだった。宮田は三回にも中に、シンカーを痛烈な一直されたように、左打者へ落ちるタマに威力がなかったことはいなめない。しかし四回から左打者には外角球で勝負する投法にすぐかえた。そして、この均衡は容易に破れず、延長にはいった。巨人は三回以後、九回王が三塁前にバント安打するまで無安打が続いた。それでもチャンスがなかったわけではない。しかし、五回一死後四球に出た柴田がみずからの足におぼれて大きくリードを奪い、再三にわたる投手けん制の末に刺されたのは痛かったし、六回無死四球の長島を置いて、王の左中間痛打が江藤の攻守にはばまれたのは惜しい。しかも、このとき一塁走者長島が二塁を越えながら、二塁を踏まずに一塁に帰って併殺されるボーンヘッドが重なった。しかし、巨人はよく守った。五、六回に再度二盗を刺した森の好送球をはじめ、七回無死一塁の二ゴロを須藤が判断よく、まず一塁に送球してから併殺したプレー。また八回、小川敏の右中間を破るかにみえた難飛球を好捕した柴田の超美技など、中日の追加点をがっちりとはばんだ。しかし、先発三度目の宮田はスタミナ不足で、試合後半から回を追って球威が落ち、なんとか気力で持ちこたえていたが、十回。刀折れ矢尽きた感じであった。
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倉田誠

2017-07-09 21:59:34 | 日記
1968年

身長1㍍85、体重75㌔。この二十二歳になる大男について、巨人の中尾二軍監督が親心をもらしたことがある。「倉田って男は、すごく速いタマを持っている。捕手のミットにずしりとくるようなタマを投げる。速いといえば、堀内も速い。堀内のタマは、ホームプレートの所で、グーンと伸びる。倉田のは、もっと重い感じで、グイグイ押してくる。タマの速さだけなら十分一軍で使える。しかし、倉田本来の実力からみると、一軍入りした当時は、70点台の出来で、もう少し手元においておきたかった。七月の半ばごろ、完全な姿の倉田を送り出したかった・・・」かわいい子には旅をさせろ、という。中尾二軍監督は、非力な投手陣に悩む川上監督の要請で、予定より一ケ月も早く倉田を旅立たせたが、子は親が心配するほど弱くなかった。中尾二軍監督はテレビとラジオの二本立てで倉田の活躍を知り、いまホッと胸をなでおろしている。6回1/3を投げて、1安打6三振。五回、ジャクソンに2点本塁打されているが、中尾二軍監督が太鼓判を押したスピードは最後までおとろえなかった。登板は三回表、二死二塁のピンチ。金田を救援してマウンドに立ったとき、打席には豊田が薄笑いを浮かべていた。だが倉田の右腕から飛び出したストレートはいきなり豊田をから振りさせ、1球ボールの1-1から、一邪飛に打ち取っている。以後、倉田は「悔いのない投球をしよう」と念じながら、長身からストレート、カーブ、フォークボールを投げおろした。「グラウンドにきて、二番手投手をいわれた。それからは、思い切り投げることしか考えなかった。あとで、ああすればよかった、と後悔するのはいやだった。ボクたち、若いのだから、失敗を恐れたらいけないと思った・・・」試合後、倉田は悔いのない投球を強調している。エース堀内の3試合連続KOで、お先真っ暗だった巨人の投手陣に、いま一条の光がさし込んだ。さる四十年に一度、そして六日前の十一日、大洋戦に一度登板しただけの倉田が、巨人の8連敗を救った。二十歳の堀内、この六月には二十二歳になったばかりの倉田。金田と城之内のベテランに代わって、またイキのよい投手が誕生した。二軍の北川コーチによると「悪い日とよい日が極端」だそうだから、まだまだひどいパンチをあびて立ち往生することがあるかもしれない。しかし、8連敗の危機に直面した巨人をささえたこの日の自信は、倉田の心の中に深く刻み込まれているはずである。巨人は若い二人の投手を押し立てて、きょう十八日から中日、広島を相手に再出発を期している。
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宮本幸信

2017-07-09 20:22:09 | 日記
1975年

連敗をストップさせようと懸命に食い下がる巨人を広島は宮本の負けじ魂で辛くも抑えることができた。「ウチのチームができたことは相手側にもやれるということ。警戒心だけは常におう盛でなければならない」と古葉監督はいつも思っている。この夜、外木場が六回までノーヒットノーランで切り抜けたというのに、ベンチの古葉監督は前夜(十三日)のことを思い出していたという。小川に、やはり六回までノーヒットノーランに抑え込まれていた広島が、七回巨人のミスをきっかけに一挙6点を奪ったことである。だから七回無死で王の2ラン、淡口の左前打が続くと迷うことなく渡辺ー宮本のリレーに入ったのだ。「力んでカーブが決まらなかった」宮本が、押し出し四球を与え1点差となったものの何とかこのピンチを切り抜けた。八回に入ると、ブルペンでは前夜7イニングを投げた池谷が投球練習を開始していた。宮本は先頭の末次に左前打を許したが、ブルペンの池谷を見て「なにくそ!」という気持ちを一層高めたという。リリーフの切り札である宮本が投げているとき、主戦投手が待ち構えているといった光景は、今シーズンかつてみられなかったことなのだ。試合後、宮本は「ぼくの気持ちとしてはそりゃねえー、何かありますよ」と、胸のあたりに手をあてて目くばせするのだった。切り札としてのプライドを強調したかったのだろう。宮本は、このピンチに前の打席にホームランした王を三振、淡口を一塁ファウルフライ、ジョンソンを投ゴロに仕とめた。決め球は三人とも鋭いカーブだった。イニングが一つ変わっただけでカーブの威力はまるで違っていたのだから不思議である。ここらあたり気の強い宮本の奮起をみることができよう。九回に入るとブルペンでは池谷のほかにもう一人、二日前完投勝ちした佐伯が加わっていた。この日は阪神が破れ、中日が引き分けた。しかし、古葉監督には、試合後も高笑いするゆとりはなかったようだ。「まだまだトップ争いは三強間で行った日からの大洋戦は怖い。なにしろ相手は打ち出すと止まらないチームだから・・・」
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宮本幸信

2017-07-09 19:03:47 | 日記
1975年

木俣がバットを振った瞬間、もう山本浩は背中を見せた感じだった。打球は、バックスクリーン目がけて一直線に走る山本浩の頭上を越え、あっという間にフェンスにはね返った。同点の九回裏、無死で木俣が二塁に立った。ローンのバントで一死三塁。勝負の時である。与那嶺監督がベンチを飛び出すと「代打飯田」を告げた。飯田は、昨年のこの日、同じ広島を相手に、九回裏代打で登場し、サヨナラ満塁ホーマーを放っている。この一打で中日は巨人と並び、待望の首位に立ち、優勝への一歩を踏み出した。広島の投手は宮本。外野フライ、あるいは緩い内野ゴロでもサヨナラだ。だが、ここから宮本のピッチングがさえた。「三振取るほかありませんからね。悪くても内野ゴロ。だから、強気にコーナーいっぱいを速球で攻めた」。初球のストレートを飯田が力いっぱい振ったのを見ると、シュートで内角を攻め続け、2-3から真ん中高めへストンとカーブを落とすと、飯田はぼう然と見送った。与那嶺監督は、この時、スクイズを考えたそうだ。ところが、広島が満塁策をとってくるという気がして、ためらっているうちに飯田がたちまち2-1と追い込まれてしまい、スクイズを断念したのだという。「一本出れば同じだから、満塁策は考えなかった。飯田がストレートをねらっているのがわかったから、真ん中にカーブを投げた」宮本はそう語る。続く大量にボールを散らし過ぎて0-3。しかし、結果的にはこれでよかった。大島の打ち気をそいで、2-3と持ち込み、再び大島の打ち気が高まると、ワンバウンドになりそうな低いカーブを投げて空振りさせた。「あそこは歩かせてもいいと、思い切り低めをねらった。ストライクコース低めいっぱいからぐっと落ちたので、バットが出たのでしょう。振ってくれと祈ってましたよ」負けムードの試合だっただけに、引き分けると古葉監督は勝利投手を迎えるように宮本の手をしっかり握った。「この引き分けが星勘定のうえでプラスかマイナスかわからない。でも苦しい試合を追いつき、ピンチを切り抜けたのは、今後の試合に大きなプラスになると信じている」と古葉監督。「惜しかった。でもあす勝てば、この引き分けは生きてくるからね」と与那嶺監督。ともにきょう四日の試合に希望をつなぐ引き分けとなったが、試合が終わったとき、首位にいるのはどちらだろうか。
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宮本幸信

2017-07-09 17:50:00 | 日記
1969年

熱を帯びた舞台ー。押しも押されもせぬ名優が期待はずれの演技をし、ワキ役が名演技を見せたのだから、ファンはあっけにとられた。名前は、両リーグ最高の20勝をあげている鈴木。ワキ役は先月三十日の西鉄18回戦でやっと3勝目をあげたばかりの阪急の二年生投手宮本である。一回鈴木も、宮本も三人でかたづけたが、実はこのスタートで早くも二人の距離は球速にひろがる要素があった。鈴木は阪本、ウィンディにいい当たりの外野飛球を打たれ「リズムに乗れないという不安を感じた」のに、一方の宮本はファウルフライ二つと永淵をから振りの三振にとって「タマが走る。いけそうだ」と自信を強めている。しかも鈴木は、この日「サインを見破られないため」指さきだけでなく、からだをゆさぶったりする複雑な動作を、岩木との間で特別に組み立てている。不必要に神経をいらだたせていたのだ。四回長池に3ランホーマーを打たれたタマ(外角直球)も、鈴木は「内緒のことだから」と明かさないが、どうやらサインの手違いにあったようだ。長いインターバルをとったことも失敗だった。ていねいに投げようと一球一球かなりの時間をかけたつもりだが、阪急に読む時間を与えてしまった。「あの一打がショックだった」という二回一死一塁からの岡村浩の右前打は「エンドランをはずすつもりの外角低めのボールを見事にねらい打たれた」という。鈴木は「くふうをこらしたことと、慎重さが裏目になってリズムに乗れず、調子が出ずじまい。完敗だ」とくやんだ。これとは逆に阪急・宮本は無欲だった。首脳陣は前日、米田、梶本、水谷と宮本の四人を先発候補にあげ、考えに考えた。結局「西鉄に完投勝ち(18回戦)した気分だけを買って」(真田コーチ)イチかバチかで宮本。真田コーチは「若いから緊張して四球を出し、つぶれやしないか」と成否は五分五分の気持ちだったという。それが4安打の完封勝ちという降ってわいたようなラッキー。四回無死一、二塁に土井を内角シュートで三塁ファウル・フライ、伊勢を外角攻めで三振(併殺)にとり、六回二死一、二塁にまた土井を中飛にうちとったのは、いずれもタマが生きていた。宮本は言う。「一回でも二回でも押え込もうなどという考えなど全くない。自分の力を岡村さんの言うとおりに出したのがよかった」必勝を期して小細工をし、それに自ら落ち込んだ鈴木と、ワキ役らしく軽い気持ちで投げ抜いた宮本。二人の演技者の心の持ち方が勝敗を分けたように思える。
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山下律夫

2017-07-09 14:34:24 | 日記
1969年

巨人はすんでのところで四年ぶりの不名誉な記録を残すところだった。七回まで長島の2四球だけ。しかも、山下を予想しての五番以下に三人並べた左打者にまったく快音が出ず、長島を二塁に進めることもできなかった。これでは川上監督でなくても、手の打ちようがあるまい。荒川コーチは「ノーヒット・ノーランも仕方がない」と一時はあきらめたそうだ。八回二死で、川上監督は代打に金田を起用した。おそらく三万六千人の観客の大半を占めるだろう巨人ファンへ、せめてものサービスだったのかもしれない。ところが、これが巨人唯一のヒットになったのだから皮肉な話である。「ああ、ヒットだな」山下はワン・バウンドで頭上を越えていく打球を見ながら、思ったそうだ。「がっくりしなかったといったらウソになるでしょう。でも完投が目標だったから・・・。なかなか出来る記録じゃないですからね」と少しも無念さを表情に出さない。ストレート、カーブ、シュート、すべて満足できる出来。とくにコントロールのよさが、巨人打線をキリキリ舞いさせたピッチングをささえていたようだ。ことしの大洋について、長島は「投手がいいね。とくに山下」と山下の名を一番にあげていたし、この日の巨人も山下の先発を予想して、対策も十分練っていたはずである。だが「高橋スコアラーもいっていたが、あれだけ威力のあるタマをコーナーいっぱいに決められたら、打てないよ。まあ一年に一度や二度はこんなこともあるだろう」荒川コーチも完全にお手上げだったようだ。マークし、対策を立て、試合中にエンジンを組んでも、絶好調の投手を攻略するのはむずかしかった。しかし、荒川コーチは「江夏や安仁屋みたいにしようがないという感じじゃないよ。いまに20安打も浴びせて、打ち込んでみせる。苦手とか、こわい存在じゃない。きょうだってベンチで指示するまで、だれもバントをしようとしなかった。こんどは一塁側バントでゆさぶるよ」と山下攻略に新たな意欲をもやしている。一方の山下は「なんとなく自信があるんです。点をとられる気がしませんね」と巨人への自信をすっかり深めたが、くふうを重ねた巨人打線と山下の次の対決が見ものである。
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小谷正勝

2017-07-09 13:32:47 | 日記
1972年

「いやな風だなあ。あれっ、あんな当たりでもはいっちゃうんだから。こりゃ、注意せんといかんな」。試合前、ネット裏で打撃練習を見ていた巨人牧野コーチは、こうつぶやいた。右翼から左翼へ向けて10㍍近い風が吹き抜け、時折り雨がまじるというこの日のコンディション。事実、多少つまった当たりでも、レフトへ飛んだ打球はスタンドに飛び込んでいた。関本、小谷という両先発投手が、この風を計算に入れたピッチングをしたのは当然。ただ、小谷のそれは、きわめて徹底したものであり、関本のはやや中途はんぱだった。この差が結果的には勝負に現れることになった。小谷が右打者には内角を捨てて、外角一本やり、左打者にはその逆で勝負しよう、と決めたのは、一回柴田に打たれたとき。ふつうなら中堅フライになるはずの柴田の打球が風に流され、左中間を抜けたからだ。ベンチの青田コーチも、この回1点とられたあと、小谷に「風の影響が思ったよりある。それに巨人の練習を見ていた感じでは、外角球を引っぱれる打者はいない。内角には絶対投げるな」と指示している。この小谷のピッチングに巨人は、まんまとはまった。当然、外角球をさからわずに右へ打つべきなのに、やたらと引っぱるバッティング。病みあがりの小谷が、松島と代わるまで右方向へ飛んだ打球は3本。二回の吉田、四回の末次はうまく右へ飛ばして安打としている。これ以外は土井のライト・フライ1本だけ。おそらくレフトに打てばホームランになるという誘惑もあったのだろう。「小谷は、いつもだと近めから斜めにはいるカーブがいいんだが、きょうは風を考えて、真ん中から外にスライダーを使っていた。うちの選手は、みんなそれを引っぱったので打てなかった」。福田コーチは、小谷のピッチングをほめると同時に、味方打線に工夫のなかったことを指摘している。一方の関本も「風のことは十分考えて投げた」という。だが、小谷のように内角攻めを完全に捨てきれなかった。三回、松原に1-2から内角のシュートを左翼ポールぎわに打ち込まれ、六回にはシピンに内角から真ん中にはいるスライダーを、これまた左翼ポールの根元にとどめの本塁打を浴びた。松原の一打はつまっていたし、シピンのもふつうなら平凡な左飛という当たり。それを風がスタンドまで運んでしまった。「松原さんの好きなスライダーを外角へ投げてからシュートと思ったが、1球早くシュートを投げたのがいけなかった。シピンのは真ん中のスライダー。でも、外角ばかりで内角を攻めないというわけには、なかなかいきませんからねえ」と関本。だが、この日の風を考えれば少なくとも長距離打者に対し、内角球を勝負ダマに使うのは冒険過ぎた。2本のホームランが証明している。
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