プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

宮本幸信

2017-07-17 19:54:16 | 日記
1968年

中大のハワイ遠征にも加わらず、阪急の秋の練習に参加したが、いきなり「いまの球威ではプロで通用しない」(真田コーチ)ときめつけられた。東都大学のエースといわれたプライドもありなにくそと反発したが、考えてみると、注意された以上フォームを変えて球威を増すことだと気づいた。宮本は中大時代から何度もヒジを痛めた。捕手が投げるようにヒジを曲げたまま、いわゆるかつぐ投球フォームなのである。真田コーチはひと目見て「これはヒジを痛める投げかただ」とわかったそうだ。腕の振りが悪いから1㍍82の長身を生かしきれない。すぐにフォームの改良をすすめたという。真田コーチは腕を大きく伸ばして投げさせるために、ひとつのアイデアを思いついた。長さ三十㌢、第五㌢のブリキ板にスポンジを巻き、それを宮本の右ヒジの内側に包帯でしばりつけた。これだとヒジを伸ばしたまま投げねばならない。速いタマを投げたいという気持ちをおさえて、いまは新しいフォームを身につけることが先決だと山なりのゆるいタマを投げつづけている。こんな状態だから、いますぐ第一線は望めない。すでに西本監督もファームでゆっくり鍛えるハラのようだ。しかし本人は「あくまで早く第一線に出たい」という希望をすてていない。宿舎の鏡の前で夜おそくまでシャドー・ピッチングをくりかえしている。線の細い高校出の選手と違って、胸幅の厚い、立派な体格の持ち主。新フォームをマスターすれば、比較的早く一軍のマウンドに上がるかもしれない。
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宮本幸信

2017-07-17 19:34:56 | 日記
1968年

でっかい。そばによると圧倒される。182㌢、75㌔もあるのだから当然だが、上体にくらべ、腰のあたりにいま一つ張りがない。「下半身がちょっと弱そうだな」これが宮本の第一印象だった。そこで、気の毒だったが、いきなり「その弱点」を指摘したら「ええ自分でも知っています。だから公式戦までに鍛えます」と、くったくのない笑顔がかえってきた。もう軽い投球練習をはじめている。宮本の投手歴はまだ若い。市神港時代は二年生まで外野手。それが三年になったばかりのある日、当時監督だった清水現報徳学園監督から「投手をやってみろ」と転向させられたのが初めての経験。その年の春、選抜大会で準決勝に進出、下関商の池永(西鉄)と投げあった。中大では四年生の春のリーグ戦で七勝、続いて全日本大学選手権大会優勝の立役者となった。ドロップを身につければ直球がさらに生きてくるだろう。真田コーチの評価を聞く。「上体ばかりで投げている。腰が残るんだなあ。あれでは完投はむずかしい」ときびしい。「目標は十勝。オールスター戦までに。夢は大きいほどいいでしょう。でも本当は背番号の14だけは勝ちたい」とまたほがらかな表情を浮かべた。
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畠中良雄

2017-07-17 14:58:48 | 日記
1959年

二十四日付けで畠中良雄内野手と山下清治捕手を任意引退選手にするむね発表された。畠中は一昨年人見とともに東都(日大)の優秀選手として阪急へ入団、当初は人見以上に期待されていた。しかし瞳が肩の故障にもめげず打力を生かしてレギュラーにのし上がったのにひきかえ、畠中は打力がいま一つ足らず、あたら俊足と好守を生かしきれなかった。いっぷう変わった顔だち、赤みがさして外人を思わす風ぼうだったが、根はいたって人なつこかった。大の風呂好きで合宿では暇さえあれば湯ぶねにつかっていたものだ。「一日に三度」というのが日課で、三度の食事は欠かしても入浴は欠かさぬとひやかされた畠中だ。前二軍監督酒沢氏のいる日本楽器へ就職の予定だが、再出発にあたって、「力の限界を悟った。しかし一度は優勝の感激を味わいたかった。来シーズンからは戸倉さんの下でナインが心機一転、Aクラスに返り咲くよう期待したい」と別れのことばを残して住み慣れた合宿を去って行った。
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KHライト

2017-07-17 10:25:01 | 日記
1974年

ファームの人気者K・ライト投手がついに退団することになった。山下取締役に「プロ野球生活を続けていく自信がなくなった」と退団を申し入れたのは昨年暮れ。寝耳に水の球団側は「そういうことはいわずに考え直せ、君には将来がある」と説得を続けていたが、翻位させることができなかった。ライトはオーストラリア人を父親に持つ異色投手として四十六年秋のドラフト会議で阪急に指名され入団。長身で体力的に恵まれていることから球団側はじっくり育てて、投手陣のスター選手への躍進と期待していた。しかし、ファームの試合にすら登板のチャンスが回ってこないなどライトにとってはプロのカベは厚かったようで「このまま阪急にいても伸びることはない」と将来を悲観、ユニホームを脱ぐ決意を堅めたらしい。テレビのコマーシャルにもチームでただ一人出演するなどタレント性十分のライトも、わずか二年で球界から消える。
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鬼頭洋

2017-07-17 09:57:15 | 日記
1970年

目標にしている投手は?

人並みですが、大投手・金田さんです。野球ばかりでなく生活とかすべての面で。

ライバルは?

そうですね、ボクの場合は左投手、全部がライバルです。

一番苦しかった時期は?

一年目から四年間ファームにいた頃がずっーと苦しかったです。その間もヒジや腰を悪くしたりして、自分でも悩んでいましたし、一時はもうこれきりで野球を諦めて、故郷へ帰ろうかと思ったこともありましたよ。

プロ野球の魅力は?

自分の力でがんばれば、それだけの報酬がもらえるから、たいへんやりがいのある世界。でもひとつ間違えれば非常にみじめな生活を送らねばなりません。男としてはやりがいのあることです。ファームに落とされてもすぐ上がってくる雑草のような強さをもった選手になりたくて、プロにはいったのですけど・・・。

これからの課題

充分走り込んで、いま以上のコントロールをつけること、努力以外なにもないと思う。

目標?

ノーヒット・ノーラン試合をきっかけに、自分にたりない課題をひとつひとつ着実には握っていくのが、目標につながる最大の近道だと思います。

家族構成は?

父(清五郎)母(みつ)と弟二人(孝、久)の五人家族。なんかたよりない長男ですよ。ボクは。(笑)家ではずいぶん心配してるようですね。この三年間、手紙を全然書かないんです。新聞やその他で何かしっているから平気です。それに便りがないのは元気でいる証拠などといわれてますから。でも、この間記録たてたときは電話しておきました。

趣味は?

レコード聞くぐらい。それと海が近かったせいか釣りが好きです。最近はほとんどやってません。

酒、タバコは?

酒は飲むことは飲みます。適度な量を、タバコはやらんです。

自己の性格分析?

よく人から気が小さい、小さいといわれてるんです。監督さんや鈴木さんからも、おとなしく人がいいからプロ向きではないといわれるんですが、これもオヤジがお人好しだから、それがうつったのだと思いますよ。人づき合いはいいですよ。その場の雰囲気にすぐなれます。

好きな言葉?

努力この二字です。

ツキをかつぐほうか?

ツキというんですが、そういったものはやってますよ。この前ノーヒットやったから、そのときブルペンで受けてくれた捕手にまた試合前に受けてもらうとか、靴下は左からはいたほうがいいからとか、食堂で何を食べたとき次の試合のときも食堂でまた食べるというようなことはしてます。平松もアンダーシャツがどうのなどとやってますよ。

ナインによばれる愛称?

目が大きいからでしょうね。出目とか目玉とかいわれてます。そんなに目が出てないのでみんなに文句いってるんですが。

日本や外国で行きたいところは?

行けるものならスイスへ行ってみたいですね。日本はオープン戦などでほとんど回ってますから、山陰のほうへこんど出かけてみたいです。

小遣いの使いみち?

ボクの場合、お金そのものが生活費ですね、アパートの一人暮らしだから外食がほとんですから、わりとかかります。プロですからカラダには金かけなければいけないと思い、しょっ中ピーピーいってやりくってます。今シーズンはひとつがんばって、来年は上げてもらわんといけません(笑)

とくに取るスタミナ食は?

食事は肉類と野菜をたくさんとるようにしてます。栄養剤としてアリナミンをつづけています。外食ですから思うようにいきませんが、肉だけは欠かしません。

ガールフレンドは?

いないといえばうそになるかな。(笑)

初恋の思い出?

学生時代から野球ばかりやってたもので。(笑)中学千年ぐらいになって同級生にちょっと気があった。でも遅かったでしょう。(笑)

適齢期だが、結婚について?

もう二十七でしょ。ナインにヒヤかされるんですよ。でもいままでパッとしない成績だったのでふんぎりがつかなかった。できれば、今シーズンのオフぐらいにはやりたいと考えてます。

好きなタイプは?

やっぱり健康な女性がいちばんいい。ヒッピーみたいな恰好をしているハレンチは好かんです。心の優しい女性がいいですね。そんな子がいたら、いますぐにでもプロポーズするのですがね。(笑)

野球はどのくらいまで?

とにかくプロの世界です。一年でも長くやっていければいいと思っております。

ー将来のユメは?

将来のユメとえがいているのは太く短くではなくて、できれば太く長く野球人生を送ることです。
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鬼頭洋

2017-07-17 09:33:22 | 日記
1970年

ノーヒット・ノーランを達成したときの感想?

勝ったときは完封できたということがうれしかった。なにしろ初完封ですから、ゲームセットした瞬間はそんなに考えなかったが、あとになってどえらいことだったなあと思ったです。試合中もボク自身はノーヒットを意識しなかったです。フォアボールを出してランナーも三塁までいってました。しかし、七回ぐらいから、スタンドのお客さんがわいわい騒ぎはじめたので、意識はしなかったが、やってやれという気持ちでした。多分にツキもあったですよ。それにバックのみんなが助けてくれましたし、特に捕手の大橋さんのリードがよかったです。一球一球投げるごとに声をあげて励ましてくれたし、近藤昭さんも後から声かけて、がんばれよといってくれました。とにかくナインみんなのおかげです。それまで一勝五敗で、大事なときポカばかりやってましたのでこの試合に先発させてくれた監督さんに感謝してます。この日の登板は、北海道から帰ってくる飛行機の中でいいわたされたんです。あくる日も球場についたとき、鈴木さんに「こんど変なピッチングしたらファームに落とすゾ」とハッパかけられ、それがかえってよかったです。そしてこのノーヒット・ノーランをひとつの契機として、これから出るたびにいいピッチングをしたいです。

昨年オフに米国に野球留学したがその成果のほどは?

技術的にどうというような学んでくるものはなかった。細かいボールの握りとかは習いましたが、これは二本でも毎日練習していることですから、向こうの若い選手の野球に打ち込む真剣さと野球にのぞむ姿、バッターボックスに立って打てなければ、くやしいとヘルメットを投げつけ、ピッチャーも打たれるとくやしがって、こんどこそ打ち取るんだという気迫、これらは絶対見習うべきだと痛感しました。一球一打が真剣勝負というのがありありうかがえた。こっちからいかなければ教えてくれないようでしたね。そしてこっちのいい特徴を生かしたアドバイスをしてくれました。日本でもその選手にあった特徴を指摘してくれるんですが、ひとつの型をきめつけてしまうようです。しかし、この米国留学があったので、今シーズンはよけい大変ですよ。球団が、ボクを指名して教育リーグに参加させてくれたのですから。

今季とくに重点をおいた事?

今シーズンは勝ち星を幾つというのではなく、平岡が欠けて左がボク一人になったので、監督、コーチに信頼されるピッチングをしようと心がけました。でもシーズン初めがパッとしなくて、気持ちばかりがあせって、それについていけず、カラ回りの状態だったです。

野球歴?

小学校四年でソフトボールをやり始めたのが野球やった最初でした。正式にやるようになったのは中学(伊勢市立厚生中)からでしたが、中学一年の一学期の中間テストの成績が悪く、一時オフクロにやめさせられてしまったこともあったが、学校の先生が説得してくれ、夏休みにはいってから夏の練習から参加しました。それから名古屋商科大の付属高に進み、そこの大学へそのまま行きました。ポジションはずーっとピッチャーをやってました。当時で思い出に残っている試合は、大学二年の春のリーグ戦で対南山大学戦で六回までパーフェクト、七回にヒットを打たれてしまったが、十七奪三振の記録をたてました。その試合ぐらいですね。

プロ入りの動機は?

ボクはちょっと変わってるんですよ。最初は大洋の藤井さんが大学へ来て、そのときは高井(現ヤクルト)を見に来たんですが、ボクがとなりで投げていてそれが目にはいったらしいです。そして春のシーズンに望むとき、話があって入るようになったのです。しかしオフクロは大反対したですよ。三年で学校をやめ、プロへ入るのが気にいらなかったらしいんです。大学もちゃんと出ないで、カネのためにプロへはいったなどと世間体を考えてのことだったらしいですが、ボクは強引にオフクロを口説いたんです。

決めダマは?

変化球は全然ダメ。内角にくい込んでくるストレート一本。あとはフォーク・ボール。これはここぞというときだけであまり投げない。ストレートで押していくだけです。それが打たれたらしょうがないです。

相性のいい打者、ニガ手は?

短くバット持ってコツコツ当ててくる大塚とか東条みたいのは嫌いですね。大塚などファーム時代からニガ手。力のあるバッターは攻め易いです。

球場の好き嫌いは?

川崎球場が投げ易いです。それから東京球場、時々大洋のゲームなどもやりますが、ここも好きですね。後楽園は嫌いです。あとの球場は、まあまあです。

初先発、初勝利は?

入団三年目の年のオールスター前、七月の巨人戦が初登板。初勝利はやはり同じ年の八月。いつだったか日付は忘れましたが、東京球場の対阪神戦で五回と三分の二を投げて勝ちました。
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