1968年
中大のハワイ遠征にも加わらず、阪急の秋の練習に参加したが、いきなり「いまの球威ではプロで通用しない」(真田コーチ)ときめつけられた。東都大学のエースといわれたプライドもありなにくそと反発したが、考えてみると、注意された以上フォームを変えて球威を増すことだと気づいた。宮本は中大時代から何度もヒジを痛めた。捕手が投げるようにヒジを曲げたまま、いわゆるかつぐ投球フォームなのである。真田コーチはひと目見て「これはヒジを痛める投げかただ」とわかったそうだ。腕の振りが悪いから1㍍82の長身を生かしきれない。すぐにフォームの改良をすすめたという。真田コーチは腕を大きく伸ばして投げさせるために、ひとつのアイデアを思いついた。長さ三十㌢、第五㌢のブリキ板にスポンジを巻き、それを宮本の右ヒジの内側に包帯でしばりつけた。これだとヒジを伸ばしたまま投げねばならない。速いタマを投げたいという気持ちをおさえて、いまは新しいフォームを身につけることが先決だと山なりのゆるいタマを投げつづけている。こんな状態だから、いますぐ第一線は望めない。すでに西本監督もファームでゆっくり鍛えるハラのようだ。しかし本人は「あくまで早く第一線に出たい」という希望をすてていない。宿舎の鏡の前で夜おそくまでシャドー・ピッチングをくりかえしている。線の細い高校出の選手と違って、胸幅の厚い、立派な体格の持ち主。新フォームをマスターすれば、比較的早く一軍のマウンドに上がるかもしれない。
中大のハワイ遠征にも加わらず、阪急の秋の練習に参加したが、いきなり「いまの球威ではプロで通用しない」(真田コーチ)ときめつけられた。東都大学のエースといわれたプライドもありなにくそと反発したが、考えてみると、注意された以上フォームを変えて球威を増すことだと気づいた。宮本は中大時代から何度もヒジを痛めた。捕手が投げるようにヒジを曲げたまま、いわゆるかつぐ投球フォームなのである。真田コーチはひと目見て「これはヒジを痛める投げかただ」とわかったそうだ。腕の振りが悪いから1㍍82の長身を生かしきれない。すぐにフォームの改良をすすめたという。真田コーチは腕を大きく伸ばして投げさせるために、ひとつのアイデアを思いついた。長さ三十㌢、第五㌢のブリキ板にスポンジを巻き、それを宮本の右ヒジの内側に包帯でしばりつけた。これだとヒジを伸ばしたまま投げねばならない。速いタマを投げたいという気持ちをおさえて、いまは新しいフォームを身につけることが先決だと山なりのゆるいタマを投げつづけている。こんな状態だから、いますぐ第一線は望めない。すでに西本監督もファームでゆっくり鍛えるハラのようだ。しかし本人は「あくまで早く第一線に出たい」という希望をすてていない。宿舎の鏡の前で夜おそくまでシャドー・ピッチングをくりかえしている。線の細い高校出の選手と違って、胸幅の厚い、立派な体格の持ち主。新フォームをマスターすれば、比較的早く一軍のマウンドに上がるかもしれない。