プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

井上勝巳

2019-08-16 21:40:29 | 日記
1963年

逆転勝ちから思わぬ勝ち星が舞い込んできた井上は大喜び。それもそのはずプロ入り四年目の初勝利なのだ。七回代打策のために退いたが、ダッグアウト裏の通路でたばこを吸いながらも落ち着かない表情。「スピードには自信があるのだが、コントロールが悪いのでダメだった」とソワソワ。試合が終わったあと、ナインの握手攻めにあって「昨年まで大毎にいただけになんとなくやりにくかった」とてれていた。
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福原勝

2019-08-16 19:17:15 | 日記
1958年

さきに近鉄パールスへ入団が確定していた益田産業高福原勝投手(18)は二十六日大阪阿倍野の同球団事務所で大北代表、実父孫一氏立会いのもとに正式契約を行った。同投手は今夏の甲子園大会に出場一回戦で松阪商に敗れてはいるが持前の本格派投球は山陰球界随一と定評があり、巨人をはじめ西鉄、大毎、広島が早くからねらっていた。とりわけ巨人は早くから勧誘の手をのばし、ほとんど決まりかけていたが、家庭の事情、本人の希望で今回の近鉄入りとなった。長身から投げこむ速球は威力があり、また中学時代二百㍍24秒6の島根県最高記録をもつ俊足でもある。身長1㍍82、体重72㌔、右投右打。

福原投手の話 巨人をはじめ西鉄、大毎、広島からも話があったが、近鉄といつチームがボクには働きやすいと思い近鉄を選んだ。こんごはできるだけ早く第一戦に出られるよう、またいっしょにプロ入りした板東君や河村君に負けないよう努力したい。

大北近鉄代表の話 夏の大会が終わったあとすぐ勧誘したが、実にスムーズに話が決まった。福原君は本格派の投手だし、いい素質をもっているので、将来を大いにしょく望している。
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田中清美、吉田孝

2019-08-16 17:35:21 | 日記
1958年

西鉄は二十九日、次のテスト二選手の採用をきめた。

投手 田中清美(19)田代中(佐賀県)サロンパス勤務、1㍍77、72㌔、右投右打。

外野手 吉田孝(18)大濠高三年(福岡市)1㍍73、71㌔、右投左打。
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岩間章泰

2019-08-16 17:27:08 | 日記
1958年

阪神はテスト採用者一人を二十九日、発表した。

投手 岩間章泰(あきひろ)(20)神戸市工出身、1㍍81、77㌔、右投右打。
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田辺修

2019-08-16 17:19:31 | 日記
1963年

「おい、きょうの先発ピッチャーを当ててみろよ。当てたら賞金出したる」記者連を集めて別当監督が、妙なクイズをやり出した。これにつられて、みんなが思い思いの投手の名を出したが、正解はなし。謎の投手ーそれは田辺だった。田辺といってもピンとこない。出身校の美馬商(徳島県)だってまったくの無名校だ。昨秋テストを受けて入ったことがわかっているぐらいで、このクイズ、宝クジを当てるよりもまだむずかしい。おまけに田辺は、ウエスタンでコンディションをくずして、七月以来ずっと休んでいた。「わからんはずやろ・・・」人の悪い笑みをみせた別当監督、そのまままたひとくさり。「でもなあ、あいつは村山クラスになるぜ。ピッチング・フォームもそっくりやないか。いまはストレートだけで、むちゃくちゃな投げ方をしているが、あいつが投法をマスターしたら、二、三年先きは村山も顔負けやろ。テストで入ったのがよくて、スカウトがフーフーいってとった選手があかんとは皮肉や」なんのことはない。クイズで客を寄せておいて、田辺の大ゲサなPRをやっているのだ。そういえば別当監督は、土井を同じ手でPRしておいて成功させた前科がある。田辺も同じ手で大いに売り込む魂胆らしい。一杯食わされた記者連こそ、いい面の皮だが・・・その後の田辺はいいところで使われて持ち前の速球をグイグイ。PRの効果は百パーセントだ。売り出された覆面投手ー別当演出家のお陰で、餓然フットライトを浴びてきた。
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岩上江笠

2019-08-16 16:19:44 | 日記
1963年

岩上が対大毎3回戦で若生からホームランを奪った。しかも代打。この投手の代打ホーマーに後日談がある。ある日別当監督が感心しながら語った。「岩上のバッティングはいいだろう。投手で使えなかったら、打者に転向させるよ。体が柔らかいうえに、足が速い。だから粘っこいバッティングをするし、右へでも左へでもうまく打ち分わけている。理想的なトップ・バッターになるよ」岩上は高校(八鹿高)時代、9連続三振の兵庫県新記録、18奪三振の植村(現大毎コーチ)とタイ記録。立命大では連続9三振奪取の関西六大学新記録など多くのレコード・ホルダー。バッティングでも関西六大学のベスト・テンに名を連ね、三十六年、卒業のとき声をかけた巨人も、「投手でダメでも、バッターとして十分使える」といっていた。不振の投手陣をふり返った野口コーチが、せめて岩上ぐらいの度胸がみんなにあったら・・・というほど、勝負根性は図抜けている。もっとも本人は、「投手として、やれるところまでトコトンやってみる」と意欲をかきたてているのだが・・・。
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小川康雄・菊地秀之

2019-08-16 16:08:45 | 日記
1958年

西鉄ライオンズは、このほど東北高の小川康雄捕手(18)=右投右打=および菊地秀之三塁手(18)=右投右打=と契約、二十四日発表した。小川捕手は身長1㍍80、体重72・4㌔と体格に恵まれ、強肩で堅実なリードに定評があり、菊地選手は俊足好打を誇り、将来性ある選手。身長1㍍82、体重74.3㌔。
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麻生実男

2019-08-16 15:56:14 | 日記
1958年

セ・リーグ大洋ホエールズは一日かねて入団を勧誘していた倉敷レイヨンの麻生実男遊撃手と岡山で正式契約を行なった。同選手は昨年ノンプロ全日本の一員としてデトロイトの第三回ノンプロ世界選手権に出場、優勝に貢献し、最優秀内野手に選ばれた。1㍍68、67・5㌔、右投、右打。
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土井文夫、別所真三、鴨志田仙

2019-08-16 15:49:43 | 日記
1958年

松坂商業の土井文夫捕手(18)は十日午後広島カープ事務所で伊藤球団社長が立会い広島カープと正式契約した。同選手は身長1㍍72、体重73㌔、右投右打、今夏の甲子園大会で強打強肩の折り紙をつけられ、南海、近鉄、大毎、阪神、中日の各球団からもさそわれていた。年間打率は四割四厘。また同日島根県滝川産業の別所真三投手(18)(大阪勝山中出、右投右打、身長1㍍78、体重75㌔)と茨城高、鴨志田仙投手(18)(右投右打、身長1㍍84、体重73㌔)の広島入りが決まった。両投手はさきに広島で行なわれた新人テストに合格したもの。
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田中清美・吉田孝

2019-08-16 15:41:13 | 日記
1958年

西鉄ライオンズは二十九日、新入団選手二人を発表した。両選手とも先月九日、平和台球場で行なわれた新人テストに参加、百六十人のなかから選ばれたもの。

投手=田中清美(19)田代中ーサロンパス、1㍍77、72㌔、右右。

外野手=吉田孝(18)大濠高、1㍍73、71㌔、右左。
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井上勝巳

2019-08-16 15:21:03 | 日記
1963年

記者に取り囲まれて、強心臓のはずの井上投手が逃げ腰になった。「ボクわかりません。何を投げたか・・・。吉沢さんに聞いてください」「手からはなれたあとはボールまかせ。どこへ球がいったかは吉沢さんがごぞんじです」何度も吉沢さんが飛び出し、さっぱり要領を得ない。大毎8戦でプロ入り初勝利をマークしたときのことである。三年間大毎で下積み生活をつづけ、ことし近鉄へトレードされた。一度は足を洗おうとまで思いついた井上が四年目に花を咲かせたのだから、このうわの空もわからぬでもない。メガネ越しに涙が光っていたフチの細いメガネの印象から、質屋のオッサンーが井上に与えられたニックネーム。「若いヤツはどんどん出してきっかけをつかませる。大毎は古巣やし、代打を使うケースでもそのまま投げさせた。この1勝、ミケンズのカムバック以上に大きい」と別当監督はご機嫌。岩本コーチや同僚の握手攻めにあって井上の顔はくしゃくしゃ。えらく涙もろい質屋のオヤジである。
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稲尾義文

2019-08-16 15:11:45 | 日記
1961年

かねて広島カープ入りが内定していた日炭高松の稲尾義文三塁手(22)は、十九日午後、広島市民球場内のカープ事務局で正式契約を行なった稲尾三塁手は身長1㍍77、体重70㌔の大型内野手で、鎮西学院高校卒後、日炭高松に入社、三塁手・四番打者として三十四年と三十六年の都市対抗に出場した。ノンプロ時代を通じての打率は三割、本塁打も十二、三本放っており、白石重役が手首の強いところを見込んで勧誘に成功したもの、なお背番号は48と決まった。

稲尾選手の話 西鉄からも話はあったが広島には古葉さんや宮川さんなどノンプロ時代に試合した人たちがおり、チームカラーも好きなので広島に決めた。守備より打撃のほうに自信がある。とにかく一生懸命やるだけです。

門前監督の話 とりあえず二軍で練習させる。今シーズンは間に合わないが、体もいいので大型内野手として活躍してくれるだろう。
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