1959年
大洋は二十七日午後三時、丸ビルの球団事務所で、近畿電電の西山英人捕手(22)=徳島海南高出、1㍍71、67.5㌔、右投、右打=の正式契約を発表した。同球団では手薄な捕手陣を強化するために、昨年暮れから補強に乗り出していたが、三原監督から一切をまかされていた江田スカウトが、二十五日大阪で西山選手と話し合った結果、正式契約の運びとなったもの。二十七日朝、上京した西山は午前十一時契約に先立ち、川崎市等々力の大洋多摩川グラウンドに出て、トレーニングを熱心にみていた。なお西山は二十八日からトレーニングに参加する予定。
西山捕手の話「東映、阪神からも話があったが、大洋の若さに魅力を感じた。大洋から直接話があったのは、ことしの正月休みのあと、郷里の徳島から大阪へ帰ってきたときだ。プロの試合はほとんど見ていないが、できるだけ早く慣れ、にが手のシュートを打てるようになりたい」
三原監督の話「大洋のウィーク・ポイントは攻撃力とバッテリーだが、攻撃力の方は素質がある人が多いから徐々に地力をつけるとして、バッテリーの量が不足していることは致命的だ。とくに捕手は土井君ひとりだから、彼につづく捕手として西山君には期待している。鋭い中距離ヒッターで昨年の都市対抗での二割八分六厘という打率を見てもその素質がうなずける。あとはプロの投手に早く慣れ、相手の長所欠点をつかむことだ。私が調べた範囲では西山君は現在のノンプロ界では超A級、直接戦力にプラスする力を持っていることはまちがいない」
大洋は二十七日午後三時、丸ビルの球団事務所で、近畿電電の西山英人捕手(22)=徳島海南高出、1㍍71、67.5㌔、右投、右打=の正式契約を発表した。同球団では手薄な捕手陣を強化するために、昨年暮れから補強に乗り出していたが、三原監督から一切をまかされていた江田スカウトが、二十五日大阪で西山選手と話し合った結果、正式契約の運びとなったもの。二十七日朝、上京した西山は午前十一時契約に先立ち、川崎市等々力の大洋多摩川グラウンドに出て、トレーニングを熱心にみていた。なお西山は二十八日からトレーニングに参加する予定。
西山捕手の話「東映、阪神からも話があったが、大洋の若さに魅力を感じた。大洋から直接話があったのは、ことしの正月休みのあと、郷里の徳島から大阪へ帰ってきたときだ。プロの試合はほとんど見ていないが、できるだけ早く慣れ、にが手のシュートを打てるようになりたい」
三原監督の話「大洋のウィーク・ポイントは攻撃力とバッテリーだが、攻撃力の方は素質がある人が多いから徐々に地力をつけるとして、バッテリーの量が不足していることは致命的だ。とくに捕手は土井君ひとりだから、彼につづく捕手として西山君には期待している。鋭い中距離ヒッターで昨年の都市対抗での二割八分六厘という打率を見てもその素質がうなずける。あとはプロの投手に早く慣れ、相手の長所欠点をつかむことだ。私が調べた範囲では西山君は現在のノンプロ界では超A級、直接戦力にプラスする力を持っていることはまちがいない」