1958年
大洋ではこのほど兵庫県報徳学園の高松延次捕手(18)=1㍍76、69.5㌔、右投右打=と徳島県海南高富田孝佳投手(18)=1㍍75、67.5㌔、右投右打=の入団がきまった。高松は一年生からレギュラーで三年間に13本塁打を記録した大型捕手。地元阪神、阪急、大毎、近鉄、広島、西鉄の六球団からねらわれ、八月末にはノンプロ川崎重工に就職がきまったが、本人の希望でプロ入りすることになり、条件のよい大洋にきまった。富田は関大進学が内定していたが阪急と大洋が最後までせり合い、大洋入りしたもの。
報徳学園・沢井野球部長の話 高松は川崎重工に就職が決定してから、プロにいきたいといい出したので、川崎重工には了解してもらった。プロでも十分やれると思っているので、技術的には心配ないが、気の弱い性格なので、プロの空気にのまれないかと気がかりだ」
大洋ではこのほど兵庫県報徳学園の高松延次捕手(18)=1㍍76、69.5㌔、右投右打=と徳島県海南高富田孝佳投手(18)=1㍍75、67.5㌔、右投右打=の入団がきまった。高松は一年生からレギュラーで三年間に13本塁打を記録した大型捕手。地元阪神、阪急、大毎、近鉄、広島、西鉄の六球団からねらわれ、八月末にはノンプロ川崎重工に就職がきまったが、本人の希望でプロ入りすることになり、条件のよい大洋にきまった。富田は関大進学が内定していたが阪急と大洋が最後までせり合い、大洋入りしたもの。
報徳学園・沢井野球部長の話 高松は川崎重工に就職が決定してから、プロにいきたいといい出したので、川崎重工には了解してもらった。プロでも十分やれると思っているので、技術的には心配ないが、気の弱い性格なので、プロの空気にのまれないかと気がかりだ」