プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

高松延次・富田孝佳

2019-08-29 20:59:26 | 日記
1958年

大洋ではこのほど兵庫県報徳学園の高松延次捕手(18)=1㍍76、69.5㌔、右投右打=と徳島県海南高富田孝佳投手(18)=1㍍75、67.5㌔、右投右打=の入団がきまった。高松は一年生からレギュラーで三年間に13本塁打を記録した大型捕手。地元阪神、阪急、大毎、近鉄、広島、西鉄の六球団からねらわれ、八月末にはノンプロ川崎重工に就職がきまったが、本人の希望でプロ入りすることになり、条件のよい大洋にきまった。富田は関大進学が内定していたが阪急と大洋が最後までせり合い、大洋入りしたもの。

報徳学園・沢井野球部長の話 高松は川崎重工に就職が決定してから、プロにいきたいといい出したので、川崎重工には了解してもらった。プロでも十分やれると思っているので、技術的には心配ないが、気の弱い性格なので、プロの空気にのまれないかと気がかりだ」
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森光正吉

2019-08-29 15:17:54 | 日記
1958年

阪神ではこのほど高知商森光正吉投手の獲得に成功した。正式契約は十一月上旬大阪梅田の球団事務所で行なう。森光は巨人入りがほとんど内定していたのだが、ある事情でご破算になり、阪神、大洋、広島三球団がねらっていたが、一番好条件(税込み六百万円)の阪神が射落としたもの。

阪神・戸沢代表の話「一時巨人から話がかなり進んでいたらしいが、十月はじめ巨人との話がまとまっていないことを知ったので、佐川君が様子をみにいって話をまとめた。高校野球ではなじみな選手だし、この夏にはノーヒット・ノーラン・ゲームを記録して、大試合の経験があるのですぐ使えるのじゃないかと思う。契約は十一月はじめに本人が来阪して行うことにしている」

須崎中ー高知商中学時代は遊撃手。高校二年から投手に転向、その秋(三十二年)の四国大会で優勝、今春の選抜大会では一回戦で海南高に延長戦で敗れたが、夏の高知大会で優勝、甲子園の全国大会に出場した。甲子園では二回戦松阪商にノーヒット・ノーラン勝ち(四球3)四回戦の対平安高戦では安打一本で完全試合を逃している。準決勝で優勝チーム柳井高に1-0で敗れたが、下手気味サイド・スローで内角に浮きながら食い込む鋭いシュート。高低、横の変化と多彩なピッチングでプロ野球各スカウトからねらわれていた。今秋の国体に選抜されたが、プロ入りが内定していたため出場を辞退している。右投右打、1㍍71、69㌔、十八歳。
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