プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

青木勝男

2019-11-09 21:51:16 | 日記
1965年

広島は一日、キャンプ地日南市営天福球場で青木勝男捕手(18)の入団を決定した。同捕手は昨春飯塚商を卒業後、社会人野球山門鉄工所に就職していたが、野球部が解散したため、カープ入団にふみ切ったもの。身長1㍍76、体重78㌔、背番号52。
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田村政男

2019-11-09 15:45:25 | 日記
1961年

広島カープは二十七日午後二時から広島市基町の球団事務局会議室で白石常務、門前監督、久森事務局長、久野スカウトが立ち会い、田村政男選手(長門高、十八歳、1㍍79、76㌔、右投、右打)と正式に契約した。同選手は中国高校球界の逸材、九月十日に行われた山口県の東西対抗で西軍の四番を打ち、4打数4安打、そのうち一本は130㍍の場外ホーマーを記録して注目を集め、西鉄その他の球団からさそいがあったが、八月中旬から久野スカウトを派遣、勧誘していた広島が優先的に獲得したもの。ことし四月以降の通算打率は4割8分6厘、6ホーマー。スパイクなしで百㍍を11秒9で走る俊足のもち主。

広島門前監督の話 外野手が不足しているからこのまま伸びてくれればいいと思っている。

田村選手の話 ボクは広島が好きだ。それに一番ヤリやすいチームだと思ったからはいった。
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豊永隆盛

2019-11-09 10:26:13 | 日記
1965年

中日ドラゴンズは二十日、熊本県八代一高の豊永隆盛投手(18)と正式契約を行なった。同選手は、本格派の速球投手として定評があり、中日は選択会議でトップにランクしていた。在学中のおもな成績は、百三十試合で百二十勝し、また二十一本の本塁打を記録している。181㌢、75㌔、右投げ右打ち。

【豊永投手の話】契約が終わりすっきりした気持ちになった。得意はストレートだが、もっとスピードがついたら変化球をいろいろ覚えたいと思っている。中学生のときからあこがれていたプロにはいれてこんなうれしいことはない。一日も早くチームのためになる投手になりたい。目標は阪神の村山さんのような力で勝負する投手になるということです。

【西沢監督の話】中日の本格派投手といえば中山一人だったが、豊永の入団で投手陣に幅ができた。指の長い大きな彼の手を見ただけでも杉下、金田、稲尾といった投手におとらない大物の素質を持っていることがわかる。あとは登板のチャンスをいつ与えるかだけだ。きっと期待にこたえてくれる投手になってくれると思う。
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