1964年
昨年暮れ西鉄ライオンズから自由契約をいい渡され、去就が注目されていた後藤修投手(30)は、このほど阪急との話し合いがまとまり、十五日から西宮球場で行われるトレーニングにテスト生として参加することになった。
昨年十一月三十日、球団から自由契約の宣告をうけた後藤は「中日と広島に紹介してくれ」と申し出たが、中日、広島ともに今シーズンは大物トレードを希望していたので、後藤クラスの投手では交渉がまとまらなかった。たまたま阪急は牧田を中日に出し、左投手は梶本ひとり。さいわい西本監督と若林コーチは毎日オリオンズ時代同じカマのメシを食った間柄で話はとんとん拍子に進んだ。後藤投手が阪急のテストに合格すれば、これで十三年間に八球団を渡り歩くことになる。
阪急・西本監督の話「若林さんから話があったので、さっそく検討してみたが、いちおう十五日からの練習に参加してもらうことにしている。採用するかどうかは練習を見なければわからないが、コンディションのぐあいもあろうから、ある程度の期間を与えてみたい。ワンポイント用とか、人情的なものでテストするのではなく、あくまでピッチングが通用するかどうかだ。ことしの成績を見ると投球イニングのわりに四球が多いが、ボクの見る限りではスピードも死んでいないし、ナックルのコントロールもいい。練習でじっくり見きわめたいと思っている」
後藤投手の話「ボクが左の本格派でありながら大成できなかったのはどんな人の意見でもすぐにピッチングに取り入れてみたからです。その結果、いつまでたっても自分のフォームをつかめなかった。野球には向いていないから他の職業に変えたらといってくれる人もいますが、ボクはいつまでも野球をやりたい。遠投やスピードではまだまだ自信はあります。野球はボクの天職と思っています」
昨年暮れ西鉄ライオンズから自由契約をいい渡され、去就が注目されていた後藤修投手(30)は、このほど阪急との話し合いがまとまり、十五日から西宮球場で行われるトレーニングにテスト生として参加することになった。
昨年十一月三十日、球団から自由契約の宣告をうけた後藤は「中日と広島に紹介してくれ」と申し出たが、中日、広島ともに今シーズンは大物トレードを希望していたので、後藤クラスの投手では交渉がまとまらなかった。たまたま阪急は牧田を中日に出し、左投手は梶本ひとり。さいわい西本監督と若林コーチは毎日オリオンズ時代同じカマのメシを食った間柄で話はとんとん拍子に進んだ。後藤投手が阪急のテストに合格すれば、これで十三年間に八球団を渡り歩くことになる。
阪急・西本監督の話「若林さんから話があったので、さっそく検討してみたが、いちおう十五日からの練習に参加してもらうことにしている。採用するかどうかは練習を見なければわからないが、コンディションのぐあいもあろうから、ある程度の期間を与えてみたい。ワンポイント用とか、人情的なものでテストするのではなく、あくまでピッチングが通用するかどうかだ。ことしの成績を見ると投球イニングのわりに四球が多いが、ボクの見る限りではスピードも死んでいないし、ナックルのコントロールもいい。練習でじっくり見きわめたいと思っている」
後藤投手の話「ボクが左の本格派でありながら大成できなかったのはどんな人の意見でもすぐにピッチングに取り入れてみたからです。その結果、いつまでたっても自分のフォームをつかめなかった。野球には向いていないから他の職業に変えたらといってくれる人もいますが、ボクはいつまでも野球をやりたい。遠投やスピードではまだまだ自信はあります。野球はボクの天職と思っています」