プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

崎山嗣盛

2019-11-27 12:47:42 | 日記
1975年

エース・崎山は5試合に完投、被安打29、奪三振27、防御率0.40と安定しており、カーブの切れがいい。

どちらかといえば、投手力のチーム。主戦崎山は地方大会五試合で3失点。速球と切れのよいカーブが武器。配球もうまい。
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井上勝巳

2019-11-27 12:46:38 | 日記
1960年

十六日、対南海戦の試合前、練習する大毎選手にまじって、眼鏡をかけた背番号「30」の見なれぬ選手が、練習にはげんでいた。兵庫県育英高を中退して、大毎に入団した井上勝巳投手である。野口コーチの話によると、「すぐ戦力にプラスするとは思えないが、左の少ない大毎で小野、荒巻、三平に次ぐ投手として育てたい。若いし、体もあるし、期待の持てる投手だ」とのこと。「大毎が好きだから入りました。まだ何もわかりません。得意とする球ですが、別にありません。まだ、あったとしても、プロの選手に通じるはずもありません。ただガムシャラに練習するだけです。小野さん、荒巻さんを目標に頑張ります」と記者の質問に、学生服の彼は、直立不動の姿勢で答えていた。球団の発表によると、身長1・79メートル、体重75㌔。

1960年

打線のあげ潮に乗っているがどうも大毎の投手陣はサッパリ。そんなとき、宇野を喜ばせる明るいニュースが二軍にある。その人物は、ことし育英高から入った井上勝巳投手。野口ピッチング・コーチは「球速の速いことはナイターにもってこいだ。スピードの点だけなら小野より速い。しかしコントロールと、打者のかけ引きはまだまだ、だから、夏場ごろから一軍に上がるようにしたいと思っている。しかし、一軍からSOSがくれば、いつでも送れるよ。井上だけでなく、長谷川もいいしね。だが、一軍にやってもバッティング・ピッチャーや、ベンチばかりおかれては、調子が狂うから、この辺がむつかしいよ。ぼくの考えからすれば、もっと練習させ、勉強してからやらせたい」と、眼鏡の奥の瞳を輝かせながら語っていた。さらにいまの大毎にもっとも必要なのは、「エースを作ることが、第一だよ」と力説していた。「エースを作るのはわれわれの仕事さ」と、いった野口コーチの胸中には、一軍にかんじんのエースがいない不安が、つねに心の中にあるのだろう。
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倉高新始

2019-11-27 12:45:44 | 日記
1960年

「坂井は別として、長谷川、佐々木、それにこんど入団した倉高がいいですよ」二軍の本堂監督は、倉高投手をかっている。去る二十七日、入団を発表された倉高新始投手(21)は、平安高から同大に入ったが、家庭の事情でことし五月に中退、ノンプロ辻和商店を経て、この度、大毎と契約したものである。「入団するまでの約三か月ボールを握らなかったので、いまはランニングと体操を主にやっています。まだなにもわかりませんが、大毎はすぐれた左投手が多いので、その人たちを手本に頑張ります」という倉高投手を評して、本堂二軍監督は、「まだ六分くらいのできだが、一週間もすれば、カーブも投げられるようになろう。まずゲームになれることが先決問題だが、順調にいけば、秋ごろには一軍に登用されるかもしれない体はあるし、期待できるピッチャーだ」と語っている。
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