1960年
長身の原田は後半、やや球威が落ちるが速球にノビがあり、素質十分の二年生。
球速のある原田はスタミナ配分のまずさから後半は自らピッチングを不利にしているので、原田で前半を乗り切りそのあとはコントロールのよい小島に継ぐものと思われる。
1962年
身長1㍍79といえば、カープのなかでは長身の部類にはいるしかも十八歳の伸びざかりだけにまだ伸びそうだ。これまでまっ向上段から投げおろすと相当の角度がついてそれだけでも大きな威力になろう。だが64㌔という体重がいささかものたりないそのためヒョロ、ヒョロとした感じで森捕手からキンピラというアダ名をつけられた。長身を利してオーバースローからくり出す速球は、ビシッ、ビシッと気持ちのいい音をたてて捕手のミットに飛び込む。みていても気持ちがよいほど速い。しかしフォームはまだ完ペキなものではなく長身選手にみられる下半身の弱さも目立つ。そのため広島市民球場のトレーニングでは毎日午前中の二時間はランニングが日課となっている。ランニングが一番きついという原田も、これも自分のためですからねとフウフウいいながら走り回っている。若手投手陣につきっきりの藤村コーチは中日の権藤のようなタイプで、ドロップにいいタマを持っている。またスピードがあるうえに、まだ余裕がある。ただ下半身が弱いためにタマが浮くが、みっちり鍛えればいい投手になるだろうと話していた。原田は戸畑高から福岡商高に転校、中途退学したが、久野スカウトの目にとまり昨年の新人テストで見事合格したひとり。ボクは大きな舞台も踏んだことがないし、まだまだこれから。からだも作らなくてはならないし、ピッチング内容としてはコントロールをつけるようにしなくては・・・。としなくてならないことがたくさんありそうだが、その澄んだ瞳は希望に燃えていた。