1951年
バックの好打に気をよくした薮本はシュートを内外角にきめて好投八回姫野にバトンを渡すまで近鉄の打線を僅かに三安打におさえシーズン初の白星をあげた。
1952年
近鉄は攻めては藪本の低目にきまる速球、シュートを打てず、四安打を散発したのみ。
1953年
藪本は低目の速球がよくきまり四回二死一、三塁、六回無死一二塁のピンチもなんなく切り抜けた。
藪本投手談「はじめはカーブを投げたが、これが思うようにいかないので後半はシュートを投げた。毎日の各打者はたしかに変ですよ。みんな芯に当たっていないようでした。このなかで西本さん一人がよかった。八回ごろから疲れて手首がきかず、ボールに伸びがなくなった」
藪本は五回以後も毎回のように安打の走者を出したが急所を速球とカーブで攻めに私鉄に追加点を許さず投げきった。