1953年
関学から南海に投じた藤江君は関西六大学では鳴らした投手だが、昨年八月の全日本大学野球選手権以外には神宮のマウンドを踏む機会がなかったので東京のファンには馴染みの薄い選手である、藤江君のピッチングは廿四五年ごろ五井(現近鉄)大沢(現熊谷組)両君とともに立大の投手陣にあって活躍した実兄藤江重幸君(現富士製鉄室蘭)を思い出してもらえばわかる、実に兄弟ともよく似かよったフォームで、サイド、アンダースローの技巧派投手である。私の見てきた範囲内での藤江君は初対面の打者には成功するが、二度目ではだめだったり、試合前半は好投していても、後半あえなく潰れ去るといった種類の投手のように思われた。それは彼が非常に多種類の球を持っており、しかも配合よろしく投球するので一度は必ず打者を幻惑することが出来ても、あまり多くの球を投げるため、球そのものの威力にとぼしく、ために一たびなれられると全く無力なものとなってしまうからだ、それにもう一つあまり多くの球を投げようと無理をするため知らず知らずのうちに身体に無理をさせ疲労を早めてしまっているのだ。彼は身長こそあれ、ヤセ型でいかにも弱弱しい感じを与える、大投手となるには体力的に大きなハンディキャップを背負っている、彼はこの自分の体をよく知っているからこそ、あのように多種類の球を投げるのだろうが、このようなピッチングにも体力が絶対条件だということを悟っていなかったことが、これまで彼が永続きのしなかった原因だと私は断言する。私はサイドスローからのクセのあるシュート、あるいは沈む球、浮く球と投法、球道、球質の技巧のあらゆる限りをつくして投げ込んで来る藤江君の現在のピッチングをもってしてもここ当分は十分プロの世界で通用すると思う、しかしそれだけでは先にいったとおり一度は成功しても二度、三度するにはきっと失敗してしまう。南海の投手陣をみるとエースの柚木君をはじめ中谷、大神と技巧派型の人が多く、またその人たちが効果をあげているようだが、決して先輩たちに追随する必要はない当分の間はただ一途威力のあるウィニング・ショットを投げ得るよりに努力してもらいたい、そうすることが藤江君の大成への正しい道であろう。
関学から南海に投じた藤江君は関西六大学では鳴らした投手だが、昨年八月の全日本大学野球選手権以外には神宮のマウンドを踏む機会がなかったので東京のファンには馴染みの薄い選手である、藤江君のピッチングは廿四五年ごろ五井(現近鉄)大沢(現熊谷組)両君とともに立大の投手陣にあって活躍した実兄藤江重幸君(現富士製鉄室蘭)を思い出してもらえばわかる、実に兄弟ともよく似かよったフォームで、サイド、アンダースローの技巧派投手である。私の見てきた範囲内での藤江君は初対面の打者には成功するが、二度目ではだめだったり、試合前半は好投していても、後半あえなく潰れ去るといった種類の投手のように思われた。それは彼が非常に多種類の球を持っており、しかも配合よろしく投球するので一度は必ず打者を幻惑することが出来ても、あまり多くの球を投げるため、球そのものの威力にとぼしく、ために一たびなれられると全く無力なものとなってしまうからだ、それにもう一つあまり多くの球を投げようと無理をするため知らず知らずのうちに身体に無理をさせ疲労を早めてしまっているのだ。彼は身長こそあれ、ヤセ型でいかにも弱弱しい感じを与える、大投手となるには体力的に大きなハンディキャップを背負っている、彼はこの自分の体をよく知っているからこそ、あのように多種類の球を投げるのだろうが、このようなピッチングにも体力が絶対条件だということを悟っていなかったことが、これまで彼が永続きのしなかった原因だと私は断言する。私はサイドスローからのクセのあるシュート、あるいは沈む球、浮く球と投法、球道、球質の技巧のあらゆる限りをつくして投げ込んで来る藤江君の現在のピッチングをもってしてもここ当分は十分プロの世界で通用すると思う、しかしそれだけでは先にいったとおり一度は成功しても二度、三度するにはきっと失敗してしまう。南海の投手陣をみるとエースの柚木君をはじめ中谷、大神と技巧派型の人が多く、またその人たちが効果をあげているようだが、決して先輩たちに追随する必要はない当分の間はただ一途威力のあるウィニング・ショットを投げ得るよりに努力してもらいたい、そうすることが藤江君の大成への正しい道であろう。