プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

金山晃士

2023-04-29 16:15:06 | 日記
1978年


金山は上手からの本格派。183㌢、80㌔と恵まれた体格からくり出す快速球はすばらしく、変化球も縦、横二種類を使い分けることができる。性格は比較的おっとりしており、ピンチになってもあまり動じない。福田監督は「本当は金山をエースとして使いたいのだが、ちょっと肩を痛めてドクターストップがかかっている」とやや不安気味。新チーム編成後の投球内容は、16試合、55イニング、自責点4、投手の安定度のバロメーターとなる防御率は0.65。この数字は参加全投手の五位にランクされている。「センバツには間に合うようにしたい。肩の故障回復の見通しはついている」と福田監督。センバツで初白星を飾ることができるかどうかのポイントを、金山が握っているようだ。


リリーフ、一塁手の金山はチームのけん引車。1・83㍍、八十㌔で三番打者。公式戦4ホーマーを記録、打率四割五分八厘で全国スラッガーの№1と評判。好調な日は軽々と百三、四十㍍の場外に十本以上たたき込む。おかげでセンター後方の職員室二階や武道場の窓ガラスを破ることもたびたび。これほどの体力だけに食欲も盛んでギョウザ百二十五個を食べ、先輩加倉勝馬(クラウン)の百二十二個、野田雲平(近鉄)の百二十四個を更新、ウドン三杯にすし五人前をケロリと平げる。最近は投手としての腕もメキメキと上達、腰高の欠点を直し上からの球は速くなり、制球力もついてきた。


金山は大きいカーブ、直球に威力はあったが走者が出ると動揺。好球をねらい打ちされた。ファンは金山の一発を期待したが第一打席は鋭い三塁ライナー、続く二打席は二塁、左翼飛で凡退に終わった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新谷祐二

2023-04-29 16:02:50 | 日記
1971年


チームの中軸は、エースで四番の新谷。豪速球、切れのいいシュートを武器に防御率一点台を誇る右腕本格派。打っては四割台。春の市長杯でセンバツ出場の福井商エース上浜から左翼にライナーのホームランを打っている。


1973年


福井高のエースとしてならした新谷祐二投手(19)が巨人から6番目に指名された。新谷投手は四十四年、金津中から福井高に進学、一年生から中軸打者として活躍した。二年生秋から投手としてもめきめきと台頭し、エースで四番打者とチームを背負って立った。175㌢の長身から繰り出す速球は威力十分。県内一の本格派として各チームからマークされたが、バックが不安定だったことも手伝って全国大会へは一度も、勝ち進めなかった不運のエース。昨年春の卒業時にはプロやノンプロのスカウトから声がかかったが本人が進学を希望。福井工大へ入学した。しかし夏に、大学生活を断念、巨人の一般テストを受けて合格し東京でドラフト待ちの生活を送っていた。新谷投手の高校時代の恩師、真鍋福井高総監督は「巨人の指名待ちだったが6位指名とは思わなかった。かなり期待されているのだろう。新谷投手は素質では申し分ないが気が弱い一面がある。これからプロ野球の選手として精神的にもたくましく育って欲しい」と話していた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする