1959年(高校時代・東筑)
県北のシードナンバー2。打棒のさえでまず順当に勝抜いて来た。三年振りの二次予選出場だ。投手陣はどんぐりの背比べと悪口をいわれるが、五人の球質の違う投手をそろえている。まず主戦合谷はコーナーワークを武器とする頭脳的ピッチング。左投の村上はシュートが決め球、青は一年生ながらチーム一の長身からのスピードボールで真向から勝負する。この三人で一次予選をリレーして来たがこのほか、下手投の小川、一年生で球の重い佐藤がいる。しかし、これなら絶対という切札投手のいないことが悩みの種。
1965年
阪急は七日、阪神村上俊義投手(23)=1㍍75、66㌔左投左打=を獲得した。阪急はすでに戸沢代表の了承を得ており、近日中に入団発表を行う。村上投手は一昨年5勝4敗(防御率1・64)を記録、ウエスタン・リーグの最多勝利投手になった左腕投手。昨年トレード要員に指名された村上には阪急のほかに西鉄も獲得に乗り出していた。阪急が村上に目をつけたのは梶本、三平、浜崎の三人の左投手ではコマ不足ということと、東映が左打線を編成する点も考慮に入れ岡野球団社長、西本監督が検討した結果入団を決め、阪神に村上の譲渡を依頼していたもの。
県北のシードナンバー2。打棒のさえでまず順当に勝抜いて来た。三年振りの二次予選出場だ。投手陣はどんぐりの背比べと悪口をいわれるが、五人の球質の違う投手をそろえている。まず主戦合谷はコーナーワークを武器とする頭脳的ピッチング。左投の村上はシュートが決め球、青は一年生ながらチーム一の長身からのスピードボールで真向から勝負する。この三人で一次予選をリレーして来たがこのほか、下手投の小川、一年生で球の重い佐藤がいる。しかし、これなら絶対という切札投手のいないことが悩みの種。
1965年
阪急は七日、阪神村上俊義投手(23)=1㍍75、66㌔左投左打=を獲得した。阪急はすでに戸沢代表の了承を得ており、近日中に入団発表を行う。村上投手は一昨年5勝4敗(防御率1・64)を記録、ウエスタン・リーグの最多勝利投手になった左腕投手。昨年トレード要員に指名された村上には阪急のほかに西鉄も獲得に乗り出していた。阪急が村上に目をつけたのは梶本、三平、浜崎の三人の左投手ではコマ不足ということと、東映が左打線を編成する点も考慮に入れ岡野球団社長、西本監督が検討した結果入団を決め、阪神に村上の譲渡を依頼していたもの。
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