プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

1966年 プロ野球退団後

2023-09-17 14:42:42 | 日記
1966年
自家営業では、サンケイをやめた高林恒夫氏が、巨人コーチ補佐の誘いを断って、東京・神田にある東陽堂という古本屋の若旦那におさまった。「野球に全然、未練がないわけではないが、いつまでもやれるわけではありませんから。家では男がわたし一人なので、どうしても店をつがなくてはいけないんです。古文書の鑑定なんか全然ダメですが、これからが大変ですよ」とバットをハタキに持ちかえて、古本屋修行を始めている。同じくサンケイの星山晋徳氏は名古屋で、大洋の篠田荘平氏は横浜で、それぞれ喫茶店を経営している。このほか、洋服屋さんになるのが東映の伊東邦男、南海の伊藤則男両氏、家具屋さんに西鉄の下川満康氏、ペンキ屋さんにサンケイの高橋勝氏など、稼業がある人は恵まれている。阪急では、新阪急ホテルに大宮健資、藤野智成両氏が就職した。大宮氏は第二営業部宴会課勤務。白い制服に黒のちょうネクタイのボーイさんである。「去年のシーズンはじめに右ヒジを痛めてしまって、さっぱりでした。医者が長い目でみないといけないというので、球団から整理の話をきいてもそうショックとは思わなかった。いま、ウェイターをしていますが、これまでは人にサービスすることなんかなかったんで、いい勉強になります。まだはじめて二週間だから、神経が疲れてしょうがないです。給料は基本給が1万7千円ぐらい。いまままでの半分以下だけど、それ相当の働きしかしていないのだから、仕方ないですよ」と新生活を割り切っている。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小木曽紀八郎 | トップ | 1966年プロ野球退団後 セリーグ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事