1963年
中日の双生児バッテリー、兄の泰一捕手、弟の克公投手が別府キャンプ入りして間もなく、夕食後舞台のある大広間で、隠し芸大会をやったことがあった。名物江藤慎一の黒田節、山中巽の物マネ・橋幸夫に拍手がわいたあと、舞台に上がったのがこの二人、さすが双生児、ぴったり息の合ったコーラスに声があった。「ようーッ、ドーナッツ」「さすがだね。声もきれいだ。道を語ったのと違うか」とはそのときの江藤の評だったが、以来二人はピーナッツの無効を張ってドーナッツと呼ばれることになった。泰一・克公両君は福岡県飯塚商の出身。飯塚商からは松竹ロビンス時代のホームラン王小鶴誠ほか、幾多の名選手を世に出している。中日の柴田スカウトもそこの出身で、同スカウトが飯塚市の運動具店主に紹介されたのがきっかけだった。八月テストした結果は「兄の泰一君は筑豊大会で2ホーマーしているだけに使えそうだが、弟の方は…」ということだったが、高田代表はそれを聞き「双児のバッテリー、それはおもしろい。成功したら人気倍増だ。十年かかってもいい。まだ十八歳だ」とめでたく採用されることになった。これまで阪神の藤村、中日の野口、国鉄の金田と兄弟選手はかなりあるが、プロ球界初の双生児のバッテリー誕生にはこんないきさつがあった。兄の泰一君は身長1㍍71で、弟の克公君より1㌢小さいが、肩幅もあり、どっしりしている。だが克公君の方はなんともたよりない。カーブ中心の変化球で、昨夏の県予選三回戦で敗れるまで19勝5敗の好成績だったそうだが、ブルペンではファイター江藤に「コラッ!それでもプロ野球のピッチャーか。もっと力を入れて投げろ」と一カツを食ったこともある。「ノンプロへ行くつもりだったが、せっかくテストに合格したので…。プロにはいった以上、なんとかして一人前になりたい」と兄の泰一君がいえば弟の克公君も「いままでは考え方が甘かった。郎何年かかってもいい。公式戦で1勝でもいいから、勝利投手になるまでがんばる」と闘志を燃やしている。もちろん、合宿で同室の二人が仲がよいのは無類。どこへ行くのもいっしょで背番号も62と63で「ニイサン」と並んでいる。
中日の双生児バッテリー、兄の泰一捕手、弟の克公投手が別府キャンプ入りして間もなく、夕食後舞台のある大広間で、隠し芸大会をやったことがあった。名物江藤慎一の黒田節、山中巽の物マネ・橋幸夫に拍手がわいたあと、舞台に上がったのがこの二人、さすが双生児、ぴったり息の合ったコーラスに声があった。「ようーッ、ドーナッツ」「さすがだね。声もきれいだ。道を語ったのと違うか」とはそのときの江藤の評だったが、以来二人はピーナッツの無効を張ってドーナッツと呼ばれることになった。泰一・克公両君は福岡県飯塚商の出身。飯塚商からは松竹ロビンス時代のホームラン王小鶴誠ほか、幾多の名選手を世に出している。中日の柴田スカウトもそこの出身で、同スカウトが飯塚市の運動具店主に紹介されたのがきっかけだった。八月テストした結果は「兄の泰一君は筑豊大会で2ホーマーしているだけに使えそうだが、弟の方は…」ということだったが、高田代表はそれを聞き「双児のバッテリー、それはおもしろい。成功したら人気倍増だ。十年かかってもいい。まだ十八歳だ」とめでたく採用されることになった。これまで阪神の藤村、中日の野口、国鉄の金田と兄弟選手はかなりあるが、プロ球界初の双生児のバッテリー誕生にはこんないきさつがあった。兄の泰一君は身長1㍍71で、弟の克公君より1㌢小さいが、肩幅もあり、どっしりしている。だが克公君の方はなんともたよりない。カーブ中心の変化球で、昨夏の県予選三回戦で敗れるまで19勝5敗の好成績だったそうだが、ブルペンではファイター江藤に「コラッ!それでもプロ野球のピッチャーか。もっと力を入れて投げろ」と一カツを食ったこともある。「ノンプロへ行くつもりだったが、せっかくテストに合格したので…。プロにはいった以上、なんとかして一人前になりたい」と兄の泰一君がいえば弟の克公君も「いままでは考え方が甘かった。郎何年かかってもいい。公式戦で1勝でもいいから、勝利投手になるまでがんばる」と闘志を燃やしている。もちろん、合宿で同室の二人が仲がよいのは無類。どこへ行くのもいっしょで背番号も62と63で「ニイサン」と並んでいる。
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