プロ野球 OB投手資料ブログ

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田中(吉川)達彦

2025-01-23 08:25:45 | 日記
1963年
たまりかねた銚子商ベンチはここで三塁の田中達を呼びよせ、マウンドに送った。静岡は前田の中犠飛で1点差と追いあげた。しかし静岡の反撃はこれまで、田中のアウト・シュートに七、八、九回凡打を重ね、結局銚子商勝浦ー田中達のリレーにヒット1本に押えられ、むなしく姿を消した。


田中君は県予選の前、担任の花岡先生に誓った。「甲子園大会が終わるまで就職のことは考えずに全力を尽くします」と。プロのスカウトがねらっている金の卵だから就職とはプロ入りのことだろう。西宮での対柳川商戦に今大会初ホーマーを放って田中株をグンと上げたそれにこの日の活躍だ。六回無死満塁のピンチにリリーフ。中犠飛を打たれたが、あとはピタリ。ノーヒットに押える快投だった。「夢中でしたよ。カーブは自信がないからまっすぐばかり。余裕もなにもなかった」田中君はただ投げるだけだったという。自信があったのはバッティング。「大会にはいってからファウルで粘ると不思議に打てるんです」左翼を守る田中勝敏君とは同じクラス、席も隣同士の大の仲よしだ。「僕と区別してタツ(達彦)と呼んでいる」さしずめ銚子のタツといったところ。応援席でも大騒ぎ。「田中さんてね、快活で明朗でおとなしいし…」同校の女子生徒は手放しのほめようだ。花岡先生は「うちに秘めたファイトがいい。実にいい子です。それに尽きるんじゃないですか」予選から付きっきりの父親、七之介さん(57)は少々てれていた。「家では野球の話をしない子がよくやってくれた」魚商を営む七之介さんは次男坊に甘い。「将来も好きなようにさせてやる」というのだ。町内の少年相撲大会で優勝したのは小学校四年生の時、「体が大きかっただけです」と田中君はインタビューのイスにどっかとすわって答えている。花岡先生との約束を果たすために全力を尽くし切ったのだろう。無心でプレーした疲れがどっと出てきたのか、快い勝利の疲労感を背中の汗に見せていた。

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