1966年
甲子園の全国高校野球大会にはいつも県予選の決勝戦で高知商に負け、出場できなかった。しかし、土佐高の看板選手として高校を卒業するとき阪急、近鉄から誘いがあった。父親のすすめで慶大に進学。明大の辻(現阪神)、立大の岡本(現産経)とならび、六大学の捕手三羽ガラスとなり神宮をわかせた。入団後は森の控えだったが、昨シーズンは30試合に出場して徐々に頭角をあらわしてきた。「坊ちゃんタイプでプロの世界には珍しいくらいの引っこみ思案」といわれているが、ことしはガメツイ野球をするそうだ。ひとツブだねの敬太郎君(1つ)の写真を肌身はなさず持っている。背番号7のユニホームをつけた敬太郎君をみながらパパのはファイトを燃やすそうだ。「昨年、自由契約になるかもしれないので、息子にユニホームを着せ記念写真をとっておいた。でもことしのシーズン・オフぐらいの成績を残したい」80試合ぐらい出場したいというのが念願だそうだ。
甲子園の全国高校野球大会にはいつも県予選の決勝戦で高知商に負け、出場できなかった。しかし、土佐高の看板選手として高校を卒業するとき阪急、近鉄から誘いがあった。父親のすすめで慶大に進学。明大の辻(現阪神)、立大の岡本(現産経)とならび、六大学の捕手三羽ガラスとなり神宮をわかせた。入団後は森の控えだったが、昨シーズンは30試合に出場して徐々に頭角をあらわしてきた。「坊ちゃんタイプでプロの世界には珍しいくらいの引っこみ思案」といわれているが、ことしはガメツイ野球をするそうだ。ひとツブだねの敬太郎君(1つ)の写真を肌身はなさず持っている。背番号7のユニホームをつけた敬太郎君をみながらパパのはファイトを燃やすそうだ。「昨年、自由契約になるかもしれないので、息子にユニホームを着せ記念写真をとっておいた。でもことしのシーズン・オフぐらいの成績を残したい」80試合ぐらい出場したいというのが念願だそうだ。
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