プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

森山正義

2012-04-05 12:44:31 | 日記
1972年
・河西渉外課長はさる11月27日、ドラフト2位指名の明学大・森山正義外野手と正式契約を結んだ。契約金800万、年俸
120万で合意に達した。「田淵さんを目標にがんばりたい」と森山は抱負を述べた。同選手、首都大学リーグという日の当たらないところで4年間に打ったホームランがなんと26本。「近い将来、田淵と森山で胸のすくようなホームランの打ち合いをやってくれるのを楽しみにしている」阪神首脳陣の期待は大きい。
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川島正幸

2012-04-05 12:44:04 | 日記
1982年

「左の落合」
・鹿児島・指宿市のロッテ二軍キャンプ。1000gのマスコットバットを手に軽々と柵越えを連発する川島。そのバッティングは二軍で群を抜く。185センチ、80キロの恵まれた体とパワーは「左の落合」の名にふさわしい。

「満点デビュー」
・1980年、11月5日「近鉄後期13回戦」に一軍初出場。2打席目に走者を二塁に置き久保から右翼越えの二塁打。なんとプロ入り初安打に初打点がつくオマケつきだった。

「収穫」
・昨年、イースタンで最多本塁打「10本」、最多出塁数「109個」を獲得。またジュニア・オールスターにも5番でフル出場した。
「とにかく昨シーズンは非常に辛かった。夏の絶不調は思い出したくない。でも そんな年にタイトルを取れたのはやっぱり今後の励みになります」
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松崎泰治

2012-04-05 12:43:34 | 日記
1977年

・「ボクの若い頃と比べて?素材なら向こうが上。永尾、渡辺進らに追いつくのは時間の問題」と、広岡監督がシーズン前から目をかけていたルーキーの松崎内野手が確実に伸びている。守備よし、肩よし、足よし・・・と評判をとったのはシーズン前。目下、巨人と帯同中の「九州・中国シリーズ」でも6番、遊撃手でなかなかのハッスルぶり。防府高時代から俊足、強肩の選手として注目され、ノンプロ協和発酵時代はベストナインの常連で、1試合3ホーマーの実績もある。課題の打撃にもう少し磨きがかかれば、守備は名手・広岡監督の折り紙つきだけに一軍入りもそう遠くはない。177センチ、75キロとバランスのいい体は内野手向き。「若松さんのような、相手チームから嫌がれるようなバッターが目標」という、松崎のジャンプ一番はこれからだ。
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竹之内徹

2012-04-05 12:43:09 | 日記
1982年、イースタンのベストテン2位。ベストナイン外野手に選出される。8月22日、中日の星野投手からプロ初ホーマーを放つ。
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釘谷肇

2012-04-05 12:42:42 | 日記
1975年

・一、二軍ともジリ貧のヤクルトで、最も「実戦向きで一軍昇格が近い」といわれているのが、2年生の釘谷外野手。昨年は
打率182、1ホーマーに終わり「当たればピンポン玉だが、変化球に弱い」と評価された。しかし、今年は打撃10傑の常連で確実性が身につき、長打力「3ホーマー」にさらに磨きがかかった感じ。「足もあるし、体格もいい。打者としての素質は抜群だけにもう少し鍛え上げて大きくジャンプさせたい」と首脳陣。
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鍵谷康司

2012-04-05 12:42:06 | 日記
1980年
・チビッコ軍団の中でも鍵谷の体格「166センチ、62キロ」は一般人と変わりない。だが守備にかけてはチームでも指折り。昨年は、二塁と遊撃を守って241守備機会ノーエラーと「鉄壁の守り」でプロ入り以来、はじめて1年間を一軍で過ごした。この7月2日で30歳になる。決して若くはない。柳井高から大昭和製紙を経て51年にプロ入りして5年目。今シーズンは「内野の一角を」と燃えてきた。それが、古屋、高代、菅野へのライバル意識だった。打席に立てば「何が何でも塁に出てやろう」というひたむきな姿が昨年、29安打ながら20個の四球を選んだ選球眼にも現れている。今季は14打数6安打。不調の菅野、高代に代わるチビッコ旋風の目玉。鳴門キャンプで練習中、打球が顔面に当たって右眼球を傷つけ、一時は視力が0,3まで落ちたが、そこから這い上がってきた。小さい体をなお小さくして、相手投手をけん制する。これまで最も多く出場したのは昨年の90試合。今シーズンこそ、100試合以上の出場を記録したいところだ。


1981年・10月20日・日本シリーズ・巨人ー日ハム第3戦「後楽園」観衆・3万6180人・試合時間・3時間23分
日010002000・3
巨200000000・2
勝ち・工藤・・セーブ・・江夏・・負け・定岡

鍵谷選手・・途中から8番セカンドに入る。2打数1安打、2打点。

「ツキの鍵谷、興奮」
・逆転打を放った鍵谷は「直球だったら三振でした」と興奮気味。6回1死1,2塁で巨人の定岡は3球続けてのボール。この時、鍵谷は「待て」のサインで2球ストライクを見送ったあとの6球目スライダーをファウルした。「定岡は次も得意のスライダーを投げる」とヤマを張ったら、その通り内角へ。これをとらえて右翼線へ二走者をかえす二塁打。今季6年目の鍵谷だが、公式戦では代走、守備要員で69試合に出ているが、わずか3打点。この一打が、シリーズ初打席でプロ入り初の勝利打点。「最高にうれしいです」と笑顔も最高だった。
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