プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山田裕

2014-01-21 20:41:05 | 日記
フォーム・・・右投げスリークォーター 球種・・・カーブ、シュート

1969年 グローバルリーグにて

山田はスリークォーターから速球、カーブ、シュートを投げ分ける本格派のピッチャーだった。突っ立ち気味の投球フォームなので、ストレートにやや伸びは欠く。それでも球は速い。ベネズエラの強打線を向こうにまわしても、中盤までは無失点でふんばれるはずの男だった。なんとかクインタナから先取点をとって山田を擁護し、後半は下手投げの千葉久をくりだして逃げ込む作戦である。
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佐藤昭夫

2014-01-20 22:09:41 | 日記
1972年、入団時
・阪急ブレーブスは11月13日、昨年ドラフト2位指名していた佐藤昭夫投手の入団発表を行った。佐藤はオーソドックスの本格派投手で長身から投げ下ろす速球は威力十分。将来楽しみな選手である。

1976年
・一軍で2ホーマーを打ったとたんにファーム落ち。この、あまり例をみない演出者は阪急の佐藤外野手。6月28日のロッテ前期最終戦に佐藤は2本もスタンドにアーチをかける大活躍。後期はあわよくば常時ベンチ入りかと思わせた。しかし、そんな思惑とは逆に試合後の上田監督の話はふるっていた。「後期はファームにやります。一軍にいるとどうしても練習不足になるので二軍でみっちり鍛える。それからでも遅くはありません」いかにも層の厚い阪急ならではの措置といえるだろう。

ファーム成績
1976年・打率293、7本塁打
1977年・打率244、6本塁打

年俸
1977年「300万」、1978年「240万」
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荒川俊三

2014-01-20 22:08:55 | 日記
1970年

・キャンプが終わり、オープン戦が始まろうとするころ、スポーツ紙の片隅で「退団=近鉄・荒川俊三」という一行が目についた。希望に満ちたはずの春を迎えたというのに、なぜ球界を去って行ったか・・・。若い世代の野球人生を考えさせる一例だった。荒川は4年前、神戸二中ー兵庫高を経て近鉄に入団した。入団までのいきさつが、また変っていた。卒業後カマボコ製造業に就職したが、野球をやってみたいとテストを受け合格した。ボール拾いから始まって昨年はウエスタンで捕手や外野をかけ持った。昨年末の契約更改のさい、捕手転向を強力にすすめられ、不本意ながら踏み切った。ところが阪神から辻が移籍、球団職員だった石山もユニフォームを着ることになり荒川は自然はみ出す形となった。こんなところにいつまでもいたって・・・と荒川はキャンプ途中、自ら身を引き、球界を去り船員として再出発をはかっている。
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迫田七郎

2014-01-19 22:32:22 | 日記
1965年

迫田は第一の壁に苦慮

五月半ば4勝目をあげるまで順調にきた迫田も、最近は一進一退といった状態だ。本人は「コントロールが悪くなった」ことを原因にあげているが、その原因はシンカーの多投とフォームにある。腰に相当の負担をかけるインステップをしているうえに、シンカーを多投するので疲労のくるのが早いのだ。いくらタフだといっても、このままで1シーズンを通すのは無理。いつかはバテてしまう。海育ちで腰にねばりはあるが、なにせ体力がない。自分の弱点をよく知り、それに応じたピッチングを良く覚えること。いま第一の壁に突き当たっている感じ。これさえ抜け出せば、またぐんと飛躍できそう。今後がその試練のときであり、迫田ならりっぱに突き破れると思うのだが・・。
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釜野照義

2014-01-19 17:18:43 | 日記
フォーム・・・左腕・かなりのスピードをもつ本格派。 球種・・・大きなカーブ

1965年 川西高校時代

釜野ー安部のバッテリーをはじめ七人のレギュラーが残っているが、定時制校で練習不足のため、大きな進歩はみられない。練習は日曜日に総力をあげて行っているが、ほかの日は電灯の下で一時間ほど軽い肩ならしをする程度。守備、打撃の練習などはほとんどできず、守備は前回大敗した市川戦のようにかき回されないかと心配。打撃は昨年も上位を打った安部、池田、釜野に期待されるが、総体に振りが弱い。エース釜野は大きなカーブをもち、制球力は昨年より上達している。守備陣さえがんばれば、善戦も期待できる。


1966年

3年では投手、エースで四番を打つ。

夜間定時制高校のため日曜日しかまともな練習ができないハンディがあるが、投打の中心釜野が三年連続エースとしてがんばっている。釜野(173㌢)はかなりスピードをもつ本格派。不足していたコントロールもついてきている。打っては四番。前回も四番を打って8打数、5安打を記録したが、ことしも一人で打ちまくっている。しかし釜野以外の打者が弱く、釜野が徹底的にマークされると苦しい。守備陣も動きが小さい。このあたりが練習量の不足だろう。
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飯田敏光

2014-01-19 17:17:49 | 日記
1972年

・大洋の新人公募テストが11月26日、川崎球場で行われたが、今話題のジャンボ仲根こと、仲根正広投手に劣らぬ
「巨漢選手」が誕生しそうだ。192センチ、92キロというからとにかくデカイ。静岡県三島の電業社に務めている
飯田敏光君「23歳」。これだけジャンボだから、すぐ人目につき、記者団の中では「あ、またか・・・」という声も聞かれる。と、いうのも飯田君は、いわば有名なテスト・マニア。昨年は東映、西鉄を受け、ことしは巨人を受けている。もちろん、これまでは不合格だったが、11月に行われた三島市のスポーツ祭の軟式野球大会で1回戦19三振を奪い、2回戦では
ノーヒット・ノーラン。「ちょっと自信はついたし、年齢的にもこれで最後ですからね」と、母親から金5千円也をもらってのテスト参加というわけだった。これまで落選していた割には「きょう捕った投手の中では球威抜群」と若手捕手。秋山投手コーチも「荒削りだが、コツというものを心得ているようだ」と楽しみにしていた。
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