プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

江城哲雄

2014-07-27 11:00:36 | 日記
1972年

江城哲雄投手(えしろ てつお)(20)・・投手 1㍍75、75㌔ 左投左打 勝山高 背番号53

・定時制を卒業。採用された軟式野球出身の変わり種。がっちりしたからだつきで馬力は十分。
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新銅次男

2014-07-27 10:54:03 | 日記
1972年

新銅次男選手(23)・・三塁 1㍍76、72㌔、右投右打、常盤高、福岡

・テスト生から合格。高校時代は投手だったが、ノンプロ林建設に入社してから三塁に転向。
シュアな打力が売り物。
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森園孝一

2014-07-27 10:50:10 | 日記
1971年

森園孝一選手(22)=三塁 背番号58 身長1㍍76、78㌔、右投右打、福岡、九州工出身

・向山建設ではクリーンアップを打った。長打力はないが、足も速く、勝負強い中距離ヒッター。
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真部繁敏

2014-07-27 10:42:12 | 日記
1970年

真部繁敏(まなべ しげとし)投手・・西野田工、1㍍82、70㌔、右投右打、大阪

・テスト生。線が細い。まず体力養成が先決。長身から投げおろす変化球はいいものがある。
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倉橋寛

2014-07-26 16:46:56 | 日記
1972年

一度は失敗したが、何年か後にまた売り直すのをレコード界ではクリーニング歌手という。球界にもこれに似たクリーニング投手がいる。大洋の倉橋寛投手(26)で、高校(仙台育英)を出てすぐ南海に入団。三年でクビ。郷里の仙台でサラリーマンぐらしを三年つづけたが、好きな野球が忘れられずに昨年大洋のテスト入団した変わりダネだ。六月末のイースタン、対東映戦で完封勝ちしていちやく注目され、ようやく長いブランクから立ち直ろうとしている。倉橋にとって記念すべき日となった六月二十四日。イースタンとはいえ、プロ入りして初めて完封勝ちを果したその夜。六畳だけの間借りの家(川崎市・新丸子)に帰った倉橋の朗報を洋子夫人(21)は信じなかった。翌朝スポーツ新聞をみて夫のいうことがほんとうだとわかって、あわててごちそうの買い出しに飛び出したという。甲子園で滝川の芝池(近鉄)と投げ合ったのがただ一つの自慢のタネで、南海時代も二年目にウエスタンで3勝4敗だったというだけの球歴。第二の杉浦を目ざし下手投げ投手も、ほどなくガソリンスタンドの店員、タンク・ローリーの運転手、電機メーカーのサービスセンターの修理員とつぎつぎに変身しなければならなかった。このテレビの修理員のころ、喫茶店でサボりながら、何げなく手にしたスポーツ新聞で大洋のテスト生募集を知った。野球の虫がうずいて、矢もたてもたまらなかった。再スタート一年目の昨年はブランクと体力をとりもどすのでせいいっぱい。だが、ことしはちがう。テストで合格したとき64㌔だった体重がいま69㌔にふえた。キャンプの終わったあたりから多摩川で毎朝つづけたウサギとびとランニングのおかげで、足腰に見違えるような肉がついた。同県人のよしみもあって、倉橋をマークしていた島田コーチは「もともと投手としてのセンスはいい。これだけからだができるとこれからたのしみだ」という。シーズンはじめに宮崎二軍監督から「ことし実績をあげないとクビだぞ」と引導を渡されているから、必死だ。いま、何よりのはげみになっているのは東映・加藤捕手の活躍だ。高校時代バッテリーを組んだ仲で、ともに一度はプロ野球の世界から足を洗った間柄。「あいつがバリバリやっているとうれしくて・・・。ぼくも早く追いつきたいですよ」やはり東北人はねばり強い。
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松尾輝義

2014-07-26 09:27:54 | 日記
1972年

来季、真っ先に一軍入りしそうだとみられている巨人・松尾が先発。中村ピッチング・コーチはよく球筋をみきわめ、指導の参考にしようと、わざわざネット裏にやってきたところをみても熱の入れようがわかる。だが大乱調。得意のスライダーはボール一つ低く、カウントをかせぎにいったまっすぐをロッテ打線にねらわれ、一回三分の二を投げただけで3四球、三安打をかまされ、6点を失ってダウン。「一年のしめくくりだと思ってりきんでしまった」と松尾はいうが、このぶんでは一軍への道から一歩遠ざかってしまった。
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合田栄蔵

2014-07-26 08:57:59 | 日記

1965年

毛糸であんだお守り袋を首にぶらさげている。岩清水八幡と住吉神社でもらったお礼が二つ。信仰心もなければジンクスもかつがない男が、この夜は違った。「いまは調子がいいんだ。雨にでも降られたらこんどいつ出番が回ってくるかわからない。なんとしても今夜投げなければ・・・」自信もあったのだろうが、泣き出しそうな雨雲をにらみながらお守り袋に手をやり訴えるような口ぶりだった。三ゲーム半につまった西鉄との差。「マウンドにあがったらゲーム差など忘れてしまった。とにかく勝たなければと思った」という気持ちがプロ入り初完封に結びついた。「ぼくのピッチングと西鉄がもり返してきたということとはなにも関係がない。ただ大事な時期に投げさせてもらったことがうれしい。ベンチの期待を裏切らないように一生懸命投げる。それだけですよ」芽の出なかった五年間の下積みで合田はマウンドに立つ感激を一層大切にしているのかもしれない。男ばかりの四人兄弟の末っ子。二番目の兄、光利さん(32)が市立尼崎高で投手をしていた血筋もあるが「素質より努力がここまで引き上げた」と見る人が多い。近鉄の土井、高木は「あまりいいできではなかった」といいながら、同じような合田評をした。「外角に決まるスライダー、これで泳がされ、つぎにぼんやりしたカーブにやられた。外角を中心に得意のカーブを有効に使っていたようだ」これで通算近鉄には6勝1敗。合田は「近鉄さんとは顔を合わす回数が多かったから・・・」と逃げる。野口コーチは「剛速球でバッタバッタと三振をとるだけがピッチャーやない。相手打者によって組み立てた配球のリズムを持っている。長つづきする投手に成長したといえるな」という。あと東京に勝てば全球団から勝ち星をかせぐことになる。残り二十二試合がすべて優勝に結びつく。チーム事情の中で合田の右腕は「たよりになる」と見るのは戸倉勝城氏。そんな賞賛の声を受けて合田はとまどっている。初めてのナインのバスを待たせ拍手で迎えられ、プロ入り六年生もペコペコ頭をさげどおしだった。
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恒村勝美

2014-07-24 20:35:05 | 日記
1972年

恒村勝美投手(18)1㍍78、65㌔、右投右打、熊本県人吉市下新町

恒村は荒けずりだが、一試合平均二ケタの三振を奪う速球投手。木戸コーチは「球威があるし、ストレートとシュートがいい」と将来性を高く評価している。
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中島弘美

2014-07-22 20:54:12 | 日記
1972年

西鉄グランドホテル一階、花の間で中島は緊張しきっていた。ちょうど一か月前、太平洋クラブの船出が発表された場所とおなじところだ。坂井代表、城島チーフ・スカウトらの笑顔とは対照的に中島の顔は真っ赤。こんなにたくさんの人に囲まれるのは初めてのことなのだ。しかし、ゆっくりと考えながらも、報道陣の質問にはしっかりとこたえた。「プロ野球のきびしさは覚悟しています。自分のすべてを出してがんばるだけです」力強くこういって、坂井代表をたのもしがらせた。甲子園大会に一度も出場しておらず、中央球界ではあまり知られていなかったが、スカウト間では、中島の力は高く評価されていた。ドラフト会議前、阪急を除く十一球団がプロ入りの意思があるかどうかの打診を行っているのをみてもわかる。今シーズンの成績は三十試合で26勝4敗。今年春の八代市長杯争奪戦高校野球大会で、水俣高相手に一安打、23奪三振というみごとなピッチングをやってのけ、中島の名は九州にひろがった。今夏の甲子園大会予選では、中九州代表決定戦で津久見高(甲子園で優勝)と対戦、真っ向から投げおろす内角ストレートを武器に好投したが、惜敗している。中島が本格的に野球を始めたのは中学校(本渡中)二年生からだが、本渡北小時代から新聞配達、牛乳配達を続けていたため足腰の強さは抜群。本渡市中学陸上大会の砲丸投げで13㍍76をマークしたが、この記録はいまだに破られていない。この日、発表の席には父親・丈四郎さん(68)は顔を見せなかった。病弱でずっと寝たっきりなのだ。そのため、一家をささえなければならない中島は、早くからプロ入りを決意していた。それだけに念願がかなってうれしさもひとしお。何度も「一位で指名されて光栄です」を繰り返した。交渉にあたった武末スカウトも「まだ荒けずりだが、きっとものになる」と期待していた。
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野崎恒男

2014-07-22 20:33:44 | 日記
1971年

野崎恒男投手・・富士重工 1㍍76、76㌔、右投右打、立正大出、和歌山県福町出身

同投手は立正大時代から速球派として注目されていたが昨年までは皆川(東映)の控えで一躍中央に知られるようになったのはことしになってから。夏の都市対抗では日立製作所の補強選手として出場。スリークォーターからのシュートは鋭く即戦力として期待されている。
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深代芳史

2014-07-22 20:19:06 | 日記
1966年

阪急の深代芳史投手(20)=群馬・沼田高出、1㍍81、69㌔、右投右打、二年目=は、二十八日のウエスタン・リーグ対阪神八回戦(西宮)でノーヒット・ノーランを記録した。同投手が出した走者は四球2、三ゴロ失の計三人。ウエスタン・リーグのノーヒット・ノーランは昨年九月の西川(広島)いらいで、同リーグ四人目。

深代投手「シュートがいいところに決まったので、決め球のカーブが生きたと思います。最近、やっとコントロールがついてきました。これまでフリー・バッティングで投げるとき、なんとかコントロールをつけたいと心がけてきましたが、その成果が出たと思います」
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辻野欣也

2014-07-22 19:45:19 | 日記
1966年

イースタンでは、毎年実績をあげている辻野が、毎年実績をあげている辻野が、今年も快調なピッチングを見せている。すでに7試合に登板して5勝1敗(完封1)。52回1/3イニングで防御率1.04は、文句のつけようがない内容だ。この辻野、兵庫県洲本実業高校から東京入りしてもう五年目。プロ球界随一の長身(1メートル88センチ)に恵まれながら気が小さく一軍入りすると、委縮して実力が半分位しかでないという内弁慶。辻野は、「二軍なら押えられる自信があるんだけど、一軍のマウンドに立つと意識しすぎてがぜんコントロールが悪くなる自分でわかっていながら、なかなか直せない」と首をひねっている。昨年、一軍の公式戦で投げたのは3試合、一昨年はわずか2試合だけ。首脳陣も、「体はでかいが、気が小さすぎる」と精神面の充実を望んでいるが今年あたりその壁を突き破れるかどうかー。
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高木孝治

2014-07-22 19:16:38 | 日記
1972年

高木孝治投手(20)=1㍍77、70㌔、左投左打、水城高出、ノンプロ日鉱日立 背番号55

・同投手は長身から投げおろすストレートが武器で、高校三年の春、茨城県予選ではノーヒット・ノーランを二回、平均奪三振十個という記録を持っている。ノンプロ時代は鈴木(現ヤクルト)の陰に隠れて活躍のチャンスがなかったが、左投手が鈴木、神部の二人しかいない近鉄は、その将来性を高く評価「リリーフ投手に育てたい」(岩本監督)と期待している。
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松永美隆

2014-07-21 21:06:22 | 日記
1972年

・・松永美隆投手(18)=184㌢、81㌔、右投右打、宇部商

松永は甲子園大会には出場しなかったため、名前は知られていないが、昨夏の県予選、対宇部工戦では長身からの速球を武器に13三振を奪った右の本格派。コントロールにやや難点はあるが、昨年、公式戦十六試合に登板し、防御率は0.80だった。バッティングもよく、五番打者として通算二割五分をマークしている。交渉にあたった渡辺スカウトは「あの上背から投げおろす速球には魅力がある。非常に楽しみな選手だ」といい、大型投手として将来性に期待している。

松永投手「好きな阪神に入れてうれしい。一日も早く田淵さんとバッテリーを組みたい。コントロールには自信はありませんが、小山さん(大洋)のような投手になるのが目標です」
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金橋薫

2014-07-21 20:56:55 | 日記
1972年

阪急は八日午後、大阪、北区垣町の球団事務所でテストで採用した日本熱学・金橋薫投手(21)=1㍍84、72㌔、右投右打、生野工出=の入団を発表した。背番号は未定。同投手は速球、スライダーを武器とする本格派。
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