1965年
嵯峨野昇選手・・同選手は東都大学時代から強打を注目され、三十九年卒業と同時に日立製作所入り、四番打者として活躍。今春の選抜都市対抗野球ではアゴに打撲を負いながらも十九打数十一安打と打ちまくり、最高殊勲選手に選ばれ、プロ球団からマークされていた。第二次選択選手として交渉権を得た東京は、白川スカウトが担当、契約金一千万円(推定)を掲示し、獲得した。
嵯峨野選手「学生時代から田丸監督はよく知っており、また大沢コーチも恩師(国学大・大沢監督)の弟さんということで、東京はやりやすい気がする。プロの世界はなんにもわかりませんが、口でいうよりやることが先だと思います」
1966年
キャンプ・インした初日にガチャというアダ名がついた。ノックを受けるとき、スパイクをガチャガチャいわせるような感じで、小マタに走ることから、前田さんがつけたものだ。しかし最近はガチャの意味がかわってきた。ロボットは手や足をガチャガチャいわせ、ギクシャクと歩くが、ぼくの動作がそれに似ていることから「お前はほんまにガチャだ」というふうになった。
動作にはすべて流動の美がないといけない、といわれるが、ぼくにはそれがない。たとえば、いままでは打球をからだの真正面で受けとり、つぎにやおら振りかぶって一塁に投げていた。ところが捕球と同時に、送球の体勢にはいっていなければいけない、と濃人二軍監督にしかられ、球をとるたびに「濃人、濃人」と考えてやっているのだが、これがそとからみるとロボットのぎこちなさになっているそうだ。そこへいくと、前田さんの守備は、なるほど定評どおり流動美の本家だ。捕球から送球まで、ほれぼれするほどリズミカルにみえる。あんな守備ができるようになるのはいつのことだろう。キャンプ・インしてもう十二日になるが、まだ一度もほめられたことはない。いつも注意ばかりだ。「ガチャ、ヒザの使い方が悪い。左ヒザをもっと鍛えろ」「ガチャ、大振りしちゃいかんと何度いったらわかるんだ」そのたびに悲しくなってケチョンとなる。でも、ふてくされることがないので、注意しやすいのだろう。いろんなひとが「ガチャ」と気軽に呼びつけて、さまざまのアドバイスをしてくれる。高校(鎌倉学園)大学(国学院大)ノンプロ(日立製作所)でもそうだった。カケとたばこはダメだが、自分ではけっこうふまじめな男と思っているのに、ひとはマジメ人間とみてくれるらしい。ありがたいことだ。注意されているうちが花と思えば、頭がクラクラするような練習もたのしい。一日も早く試合に出たいが、しろうとが、前田さんやタマちゃん(児玉)らの動作にたち打ちできるようになるには時間がかかる。下積み生活はくやしいが、日立の田中監督からも「あせるな」といわれてきた。同室のタマちゃんはいい男だし、ホテルの寝ごこちは快適。まずいとおどかされてきた食事もうまい。みんながガチャ、ガチャといってかわいがってくれるし、マウイ・キャンプはパラダイスだ。ところで竹野君(駒大ー広島)キミは、どんなキャンプ生活をやっているの。同じ東都大学出身として、おたがいにがんばろう。
欠点だらけだが将来楽しみ
田丸監督「技術的には欠点だらけの選手だが、球に向かっていくファイトは、いままでオリオンズに欠けていたものだけに高く買う。からだもやわらかいし、鍛えがいのある選手だ。大沢コーチも、いまは前田、児玉に比べて見劣りするが、近い将来必ず出てくる選手と見ている。同感だ。大振りするクセはまだ抜けないが、センスはなかなかいいものをもっている」