1964年
今夏の甲子園大会でいきなり十八回延長試合を演じ、しかもその試合と翌日の再試合を一人で投げ抜いて注目を集めた八代東のエース池田純一投手(17)=1㍍75、77㌔、右投左打=は、その後激しいスカウト合戦の渦中にあったが、このほど阪神入りに踏み切った。同投手は甲子園大会の一回戦で掛川西高に敗れたが、延長十八回の引き分け試合を投げ抜き、再試合では山崎左腕投手から左翼ラッキー・ゾーンに2ラン・ホーマーを放っている。投手としてより、むしろ打者として魅力があり、左打者でありながら、左投手に対する11打数5安打がにわかに注目を集めたものだった。大会前から巨人、東京、近鉄、西鉄などが注目していたが、大会後は阪神、南海も加わって争奪戦が展開された。中でももっとも熱心だったのは阪神で、佐川スカウトが熊本県八代市弥生町12の5の実家を再三訪ねて、実父秀雄氏(芦北郡地方事務所勤務)に入団がたを要請していた。巨人は熊本県出身の武宮二軍監督を派遣、南海は枝川スカウトが担当してしのぎをけずった。当初同投手は進学を希望し、早大野球部の夏季練習にも参加したが積極的なプロ攻勢に意を転じて、プロ入りに踏み切り、早期出場の可能性が強く、またもっとも熱心だった阪神入りに決めたものである。巨人は佐々木代表が「出遅れたから見通しは暗い。交渉は阪神が一番早く積極的だったようだ」といいながらも、七日再び武宮二軍監督を派遣しているが、もはや逆転の余地はなく、同投手が十二日の聖火リレーを終えしだい阪神との間に正式契約がかわされることになろう。
今夏の甲子園大会でいきなり十八回延長試合を演じ、しかもその試合と翌日の再試合を一人で投げ抜いて注目を集めた八代東のエース池田純一投手(17)=1㍍75、77㌔、右投左打=は、その後激しいスカウト合戦の渦中にあったが、このほど阪神入りに踏み切った。同投手は甲子園大会の一回戦で掛川西高に敗れたが、延長十八回の引き分け試合を投げ抜き、再試合では山崎左腕投手から左翼ラッキー・ゾーンに2ラン・ホーマーを放っている。投手としてより、むしろ打者として魅力があり、左打者でありながら、左投手に対する11打数5安打がにわかに注目を集めたものだった。大会前から巨人、東京、近鉄、西鉄などが注目していたが、大会後は阪神、南海も加わって争奪戦が展開された。中でももっとも熱心だったのは阪神で、佐川スカウトが熊本県八代市弥生町12の5の実家を再三訪ねて、実父秀雄氏(芦北郡地方事務所勤務)に入団がたを要請していた。巨人は熊本県出身の武宮二軍監督を派遣、南海は枝川スカウトが担当してしのぎをけずった。当初同投手は進学を希望し、早大野球部の夏季練習にも参加したが積極的なプロ攻勢に意を転じて、プロ入りに踏み切り、早期出場の可能性が強く、またもっとも熱心だった阪神入りに決めたものである。巨人は佐々木代表が「出遅れたから見通しは暗い。交渉は阪神が一番早く積極的だったようだ」といいながらも、七日再び武宮二軍監督を派遣しているが、もはや逆転の余地はなく、同投手が十二日の聖火リレーを終えしだい阪神との間に正式契約がかわされることになろう。