プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

井洋雄

2016-04-24 20:03:40 | 日記
1959年

ことし広島カープは意欲的なチーム強化をみせた。投手陣に新人、移籍を含めた12選手が入団した。しかし大半が無名の高校生だけにすぐ使える投手ということになると井投手ぐらいのものだ。キャンプでは安定したフォームから、現在百五十球前後のピッチング練習を続け、また一方レギュラーのフリーバッティングには自らバッティング・ピッチャーを買って出るなど大変な張り切りようだ。懸念されたスピードも一段と加わり、十五日からは、カーブ、スライダーなど変化球を投げている。井はやせ型で一見、弱々しく感じられるが、それでいてノンプロ時代には連投と見かけによらぬタフネスの持ち主で再三、後楽園のヒノキ舞台を踏んでおり、昨秋の産業対抗野球大会には日鉄二瀬に初の栄冠をもたらす快挙を成し遂げただけに、小細工を使わず真っ向から勝負をいどむ度胸のよさと勝負強いことは定評がある。投手陣の特別コーチに当っている藤田省三氏(元国鉄監督)も「無理のないフォームだし、とくに指摘するような欠点はない。ただ投球する場合、バックスイングが小さいので単調になりがちだから、大きくすることによって是正し、スピードも増すので注意しただけ。さっそくこれを実行しているが好調のようだ」と言っている。白石監督も「井の強味はなんといっても制球力のいいことだ。先発、救援のどちらでも使えるだけにたのもしいし、人間的にもしっかりしている」とべたほめに近い。長谷川、備前につづく待望の第三投手が実現する日も近い。

ー調子がいいようだが。
井 毎日暖かいので非常にコンディションがいいですネ。
ーやせているようだが。
井 体重も変らないし、元気です。だいたいが小食のほうだから、太ろうと思っても簡単にゆきません、気にしないことにしています。
ーそれでスタミナの方は大丈夫?
井 ノンプロ時代と違ってトレーニングも十分積んでいるので心配はない。これで案外連投の自信もあるのですからネ。稲尾さんじゃないけど十分睡眠さえとれば、やれますよ。
ー変化球も投げているようだが。
井 少し早いですがネ。僕のピッチングは技巧派といわれるだけにより以上の制球力をつけねばと思って早めに投げているのです。
ー長谷川、備前両投手のピッチングをみた感じはどう?
井 長谷川さんの球なんか実に軽いようですが、あれで20勝されたのだから、やはりコントロールがいいのでしょう。まだそれにくらべて、僕なんか足元にも及びませんよ。
ーこれからのキャンプの重点は。
井 シーズンに間に合うように仕上げるつもりですが、制球力のほかにシュートボールに、もっと威力をつけたいと思います。
ー目標はどこにおいているの。
井 よくみなさんから言われるんですがネ、本当のところやってみねばわかりませんよ。まず上位球団を倒してみたいことです。オープン戦で各投手のピッチングを見たり、また自分で投げてみて何勝できるかだいたいの見当がつくと思いますが、ノンプロ時代いっしょにやってきた江藤(中日)だけには負けたくないですネ。
ー抱負は。
井 ただ一試合でも多く出て投げたいですネ。最低十勝はマークせねば・・。このたえにもスタートを誤らないようにすることが大事ですが、僕は制球力にはかなり自信を持っているのでなんとかやれそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桂本和夫

2016-04-24 17:34:52 | 日記
1957年

レスリングのオリンピック選手桂本和夫選手(22)がセ・リーグの国鉄スワローズに入団、野球選手として再出場することになった。桂本選手はメルボルン・オリンピック大会レスリング・フリースタイルのミドル級第五位に入賞したほか、一昨年ワルシャワの世界青年スポーツ杯、昨年トルコのワールド杯などに参加、ミドル級の全日本選手権を昭和二十九年から昨年まで三年連続獲得するなど中量級で国際的にも国内的にも活躍していた。高校時代に北海道の増毛高の投手だったことがあり、メルボルンから帰国後急に野球への愛着心を呼び起し、レスリングの先輩で育ての親である中大OB松江氏にプロ野球に転向の相談をもちかけた。そこで松江氏は実妹の夫君である国鉄宇野監督に紹介したところ、同監督も桂本選手のたくましい体力に将来性を感じて国鉄入団の話がまとまりプロ入りの実現となった。同選手は数日前からすでに宇野宅に帰宿し、新しい出発に備えて毎朝ランニングにはげんでいる。

宇野監督の話 桂本君とはかねがね面識があったが、本人に野球界入りの希望があることがわかったので入団を誘った。畑違いのレスリングから選手を入れることはちょっとした冒険だが、かれは高校野球では投手として活躍していたし、まれにみる卓越した運動神経と柔軟な体格の持ち主だけに、大学生時代のブランクもすぐに取り戻すことができよう。いまからのプロ野球は、大型選手の実現が要望されているが、かれはこの期待に応えるだけの精神とハード・トレーニングにたえる数少ない選手だ。そのためには、二年くらい時間をかけてみっちり仕込むつもりだ。ポジションはやはり彼の魅力のある打力を買って外野ということになろう。

森国鉄代表の話 桂本君は、中学、高校時代は野球の選手だったし、あれほどの体だから、これからの猛訓練にも十分たえられる。それに一芸にひいでた者は何をやらしても一流になれるものだ。野球選手だったころの野球のカンを思い出してくれさえすれば、スワローズの中心打者になると期待している。入団の動機は、宇野監督の人柄に惚れこんだからだと聞いている。本人がレスリング関係者のあいさつを済ませてから正式に発表したい。

桂本選手談 オリンピックから帰った当時は四年先のローマ大会を目指すつもりだったが、今春中大を卒業して社会人となれば練習量の差でとても現在の調子を持続できない。野球は中学、高校時代も経験しているし、自信もあり、それに大好きなのでプロ入りを希望した。ぜひ強打者になりたい。

桂本選手略歴 北海道増毛高出、中大在学中。昭和九年九月五日生まれ。レスリング選手として二十八年から三十年まで三年連続して全日本学生ミドル級に優勝。二十九年から昨年まで全日本選手権にも三連勝。二十九年の東京世界フリースタイル選手権ではミドル級第三位に入賞。その他ワルシャワで開かれた世界青年スポーツ祭で第五位、メルボルン・オリンピック大会ではミドル級第五位に入賞している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

榎原好

2016-04-24 15:34:39 | 日記
1958年

昨年の近鉄は投、攻、守にわたって低調だった。旧大映がそれ以上に不振だったので、テール・エンドだけはまぬがれたが、ただそれだけの話。賞されるべき何ものもなかった。その近鉄でしいて何かを求めるとすれば、榎原の健投であろう。武智文、黒田、伊藤といった当然働かねばならぬ投手が全部10勝を割ったなかにあって、かれが最高の12勝をマークしたのは、すでに盛りを過ぎた、むしろ返り咲きの部類に入る人だけに賞されてよい。榎原は二十五年にオリオンズが誕生したときにプロへ入ったと投手。一年目は荒巻、野村らと第一線投手となって16勝、その優勝に貢献した。しかしその後は期待されたほどには伸びず、二十六年から三十一年までの五年間に42だから一シーズン平均が8勝という成績。それで一昨年から近鉄に移籍したものの、5勝5敗でたいした期待もかけられていなかったところへ昨年の好投を見せたのである。往年の速球とドロップはもちろんカゲをひそめている。しかしピッチングの巧味はグンと出てきた。かつて力があったころの榎原はその力にまかせて立ち向かい、かえって乱打を浴びたものだが、現在は速球を要所に投げるだけ。あとはスピードを殺したドロップとシンカーの組み合わせで打者を凡打に誘っている。それだけに味方のエラーにかぎってはムキになる様子も見られず、自分のピッチングを大事に終始しているのは進歩といえる。昨年、榎原が最もよく投げたのは西鉄である。対西鉄戦の勝ち星はわずか2勝、数の上では武智文の3勝に負けているが、こと投球内容にかけては榎原がはるかに上だ。「左投手のほうが打ちやすい」という和田だけには・477とべらぼうに打たれているが、あとは榎原の圧倒的な勝利。高倉、豊田、中西、大下、関口とつづく名うての強打陣を完全にかわしている。西鉄はもともと左腕投手に弱いチーム、二、三年前までは荒巻、梶本兄、阿部に手をあげ、そして最近では小野に痛めつけられているのだが、榎原の場合は緩急で成功した荒巻、阿部と同様、外角低目に落ちるシンカーでもって、西鉄の泣きどころをついているわけだ。荒巻、阿部がすでに通用性を失ったのは変化球の合間に投げる速球がないからで、榎原だけはまだそれがあるからいじめている。おかに榎原の薬籠中となっている打者はやはり左投手にたいする左打者、旧毎日の荒川、榎本、阪急の岡本、東映の毒島ら左の好打者である。これはシンカーの効果。しかし榎原がニガ手としている打者も多い。西鉄では和田、南海では野村と岡本、毎日では山内らだ。これらはそろって一流中の一流ではあるが、インローの速球に限度があるので封じ切れないのであろう。ほかにも阪急の渡辺、中田、東映の石原といったところを持てあましている。榎原は今シーズンはみっちりトレーニングを積んだ。昨年の好成績で自信をもったのであろう。それだけにことしも期待は十分だ。昨年の成績を振りかえっても、コンディションのいいときのピッチングはすばらしい。連投とか、一日おきの登板が多かった後半戦では打たれているが、規則的に三日、あるいは四日の休養をとって投げたときは好成績を残している。ピッチングそのものからいっても、ごまかしとはいえ、まだ速い球を持っているのは大きな強味である。=対右打者被打率・312、対左打者・208
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長光告直

2016-04-24 14:53:50 | 日記


南海は投手を育てるのも早いかわりに、つぶすのも早いと言われる。そう言えば早く育って、早く消えて行った投手はあまりにも多い。江藤なんかは入団する前から土台のできていた投手であるが、大神、服部がそうだし、見新しいところでは宅和、中村も少なくとも昨年まではつぶれかかっていて、もし今シーズンがダメなら、ますます再起はむずかしいとみられている。宅和を例にとれば、二年間で50勝もあげた投手がそれっきりで野球生活を終わるなど不思議でならないのだが、こんなに前例があるのだからなんとも言いようがない。言う人によっては、この原因について、山本監督の使い方を非難している。いわゆる継投策への非難だ。一人の投手が3イニングを受持って、三日間連続した場合、計算では一試合の完投ということだが疲労度は比較にならない。そういうことに山本は無とん着だというのである。がそう言う人があるかと思うと、本人が好成績でテングになり、みずから滅びたとみる人もあって、まちまちだ。ということは、これが原因だというのがはっきりわからないわけで、あるいはその両方かもしれない。長光もまた早く育った投手である。プロ入りするまでは、それこそ名もなき一人の新人、ただ長光という姓が珍しがられるだけであったが、入団の三十年ウエスタン・リーグで過ごしたかと思うと翌年は第一線に登場した。そして初勝利を5月5日の対大映戦で飾って、このシーズンに13勝7敗2分、昨年は12勝6敗1分だった。しかし早く育ったからといって、先人同様、かれが速く消えて行くというのではない。ただこういうことだけはーつまり、これ以上の飛躍は望まれぬだろうーとは言えるのではなかろうか。二年間頭打ちの成績・・・それもそうだが、第一にかれはそれほどに威力をもった投手ではない。かれはサブマリンである。武器といえば下手からのシュート、それに外角低目のスライダーの二つであって、これにはいくらかのスゴミはあるが、何分にも体力がないから、一シーズンもコンスタントに続かない。昨年の西鉄戦がいい例だろう。春先の力があったときに好投したものの、下半身のバネが弱った後半戦ではムチャクチャにたたかれた。長光の得手としている打者は、総体的にシュートに弱い選手が多い。西鉄の河野は9打数で無安打、阪急のバルボンにもヒットがない。東映の増本も11打数で安打なしだから、長光には得手。このほか低率打者を並べると関口(西)小森、衆樹、須藤(毎)あたり。また実力不相応組では中西(西)毒島(東)らがこのなかに入ろう。ニガ手は、サブマリンだから左打者かと思うと、そうではない。三割打者の毒島を・200にかわしているのをはじめ榎本、岡本健らを封じ、しいていえば玉造、関根ぐらいとなっている。アウト・ローのスライダーがあるからだろう。だがニガ手がないわけではなく・500の豊田、・333の山内といった打ち分けのきく打者には弱く、6回の顔合わせで5安打の仰木も長光にはいやな相手である。今シーズンの長光は、さしずめこういった打者を、どうさばくかが肝心だろう。わずか一人や二人といっても、ライバル・チームの主力だけにゆるがせにはできない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊藤博文

2016-04-24 13:47:08 | 日記
1959年

大分県下高校野球界で好守強打の大型三塁手として知られていた大分市私立大分高三年伊藤博文選手(17)は、かねて近鉄の加藤スカウトから入団をすすめられていたが、一日「できるなら近鉄バファローで活躍したい」とはじめて態度を明らかにした。甲子園大会大分県予選がはじまる一か月前の七月はじめ、大分市営球場で同選手の鋭い打撃ぶりを見た加藤スカウトがたえず連絡をとっていたもので三日から大分県中津市営球場で行われる高校野球秋季中央大会に出場するのを機会に加藤スカウトか今久留主スカウトと中津市で落ち合い正式に回答することになっている。伊藤選手は身長1㍍79、体重78㌔の恵まれた体格。右投右打、とくに長打力には定評があり、近鉄入りはレフトに強引に引張るバッティングを買われたもの。今シーズンの平均打率は・320。昨年までは投手だったが打力を認められて四番に固定している。大柄だが身体はやわらかい。とくに遊撃よりの球さばきにうま味をみせている。

西村大分高校野球部監督の話 近鉄から話があった当時から本人は乗り気でいます。野球部創立六年間にはじめて伊藤君がプロ入りするわけですが、伊藤君ならりっぱにプロ球団で働けると思う。

伊藤選手の話 いろいろ考えましたが、西村先生とも相談して近鉄に決めました。家族も賛成していますし、先生方や部員の期待にそいたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

矢ノ浦国満

2016-04-24 13:36:54 | 日記
1959年

高校球界屈指の大型遊撃手として注目された東筑高校の矢ノ浦国満選手(18)は、かねて近鉄バファロー入りをほのめかしていたが二十九日近鉄に入団すると声明、その態度を明らかにした。矢ノ浦選手獲得に乗り出した球団は東映、南海、大毎、阪急、近鉄、西鉄、阪神の七球団で、そのうちもっとも積極的だったのは西鉄、近鉄だった。けっきょく近鉄の掲示した条件と、同選手がもらしていた「同じプロ入りするなら、すぐにでも出場できる球団」という本人の希望が一致したので近鉄入団に踏み切ったもの。同選手は右投右打、1㍍76、体重70㌔で、一見広岡選手(巨人)に似たタイプ。大柄なからだに似ず、軽快なフットワークをみせる守備ぶりは吉田選手(阪神)のようだ。しかしプロスカウト連の注目を浴びた最大の原因は、同選手が持つ先天的なバッティング・アイにある。腕っぷしも強く豪快な長打力を持つ半面、チャンスになんとかして得点に結びつける器用な面もある。甲子園出場の機会を逸した東筑だけに、同選手の評価はまちまちだが、プロでも十分活躍できる既成の遊撃手だ。同選手の年間打率は・311である。

矢ノ浦選手の話 いろいろ考えたが、近鉄が一番働けるのではないかと思って決意した。プロ入りしたからには大いに活躍して先輩たちや先生たちの期待にそいたいと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近藤隆正

2016-04-24 13:27:18 | 日記
1959年

大分県下高校野球界で本格派投手として、知られていた津久見高三年近藤隆正君(17)は、巨人軍入団が内定したもようである。近藤投手は身長1㍍70、体重63㌔、右腕から繰り出す豪速球を主に、ブレーキ鋭いカーブ、アウドロに無類の制球力をみせる。今シーズンはさる五月佐賀県営球場で行われた第二十四回九州高校野球大会では戸畑高を破ったが、優勝校三池に屈した。また甲子園大会中九州代表決定戦では、鎮西のエース井上と投げ合い、惜しくも敗れた。九月下旬宇野巨人軍代表が小島同校監督と話し合い、巨人入りがほぼ内定している。正式決定は十一月初めの見込み。

近藤投手の話 部長や小島監督の意見をよく聞いて、私の進む道をきめたいと考えています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金彦仁重

2016-04-23 20:55:39 | 日記
1959年

投手力、とりわけ力で押さえる本格派にうえている南海に候補者が浮かんできた。野母投手が3点を献じたあと五回から登板して巨人の追加点をはばんだ金彦仁重投手がそれだ。すでに対広島オープン戦でも2イニングを無失点で投げている。このときにくらべて「球が速くなかった」(本人の話だそうだが。ともかく九回藤尾、竹下(右前テキサス)に打たれただけ。・・・1㍍78、72㌔の恵まれたからだ。横手から繰り出す直球は見るからに重そう。カーブ、シュートをまじえるだけのピッチングだが。球の出て来る角度が普通の投手と少し違っているのが効果をあげているようだ。さらにカーブによる高低の変化。直球による左右の幅を出しているため、巨人打線もちょっと打ちあぐんでいた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サディナ

2016-04-23 20:44:47 | 日記
1959年

初登板のサディナ投手は三回まで王の四球以外はきれいに三人ずつ料理、みごとなデビューぶりを見せた。四回の失点は無死から広瀬、半田の失策が足がかりになったもので、自責点にはならない。被安打の二本もよい当たりは十時の一、二塁間を破った一本だけという会心のピッチングだった。球種はスライダー、ナックル、カーブと投げ分けていたが、投球は上手、横手の二刀流。とくにサイド・ハンドからのピッチングは手首が強いだけにスピードもあり、心配された制球難も見られなかった。鶴岡監督も「サルは一線級だ。これで投手陣のめやすはついた」と大喜びだった。また柚木コーチは「下半身がやや弱い感じだ。コントロールに難があるというのもそのためだろう。投球はいくぶん高目に集まるようだが、低目のコントロールをマスターすることだ」と語っていた。
ーきょうの調子は。
サディナ まだ半分くらいの力だ。寒いのでおもに直球ばかり投げたが、これからフォークボールやパームボールも投げる。
ー自信がついたか?
サディナ ハワイより日本の選手のほうが上手だからこれからいろいろ教えてもらう。今シーズン15勝する自信はある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鹿谷幸和

2016-04-23 20:02:30 | 日記
1959年

西鉄ライオンズは、四日の杉町投手の契約につづいて、五日午後十時半、福岡市天神町の球団事務所で鹿谷幸和(よしかず)投手(18)=浪商高=の正式入団を発表した。鹿谷投手は全国高校野球界の古豪と知られる浪商のエース。杉町と同じく1㍍80の巨体からの豪速球を武器とする本格派。昨年春の選抜大会には、出場権を得ながら在校生の非行問題で出場辞退し夏の大会でも池上投手がいたため甲子園のマウンドを踏めなかったが、今春の選抜大会には自らの右腕をもって、念願の甲子園出場を果たし、一回戦で地元芦屋高と対戦、近く西鉄入りが決定する安藤に投げ勝って7-4で下している。同投手のプロ入りにあたっては長男であるため、最初は両親が強く進学を希望したが、豪放な西鉄のチームカラーに魅力せられた同投手が強引に説き伏せたもの。高校時代の記録としては昨年滝川高(神戸)との試合につくったノーヒット・ノーランが一回。東映の山本八とは入れちがいだったが、張本とは一緒にプレーしている。この日父親新太郎氏母親千鶴子さんとともに球団事務所で契約調印した同投手は記者会見にのぞみ「自信はあります」ときっぱり一言。三原監督も「甲子園の仲間に負けぬように・・・」と激励しながら相つぐ大物新人の入団に満足顔だった。

三原監督の話 杉町君につづいて素質のある有望新人鹿谷君の入団をみたのはうれしい。鹿谷君のピッチングは一度見たことがあるが、非常に気力のある投手というのが印象的だった。第二次黄金時代の一環となってくれるのを期待している。

鹿谷投手略歴 昭和十六年五月十五日生まれ、大阪市敷島中、浪商中から三十二年浪商高に進学、一年から投手だった。名門校だけに二年までは池上投手のカゲにかくれたが、三年でエースになり、今春の選抜大会に出場した。今夏は予選前に右足を火傷、泉大津に敗れる番狂わせを演じたが、投げおろしの速球を武器とする本格派。1㍍80、73㌔、右投右打。現住所=大阪市西淀川区柏里町
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小松輝清

2016-04-23 19:31:28 | 日記
1959年

高校野球界のホームラン王とまでいわれた元大淀高小松輝清一塁手(18)の阪急入りがこのほど内定した。同選手は昨年一シーズンで16本(うち2本が練習試合)のホームランを記録したが、ことしの二月練習中に右足アキレスケンを切り、今春いらい公式戦には出場せず、さる六月、大淀高を退学して自宅で治療していた。同校佐村野球部監督の話によると、来シーズンに備えて来年四月に再入学させるつもりだったという。しかし、小松選手の打力に注目した阪急、毎日、巨人は四月ごろから勧誘の手をのばしていた。なお、契約は十一月になるもよう。1㍍77、74㌔、右投右打。

小松輝清選手の話 長い間、足を痛めて治療していたが、やれるという自信がついたのでプロ入りを決心した。阪急を選んだのはもともとこのチームカラーが好きだったのと、また甲子園いらいお世話になった阪急丸尾スカウトの再三のすすめからです。競争相手の多いプロ野球と聞いていますが、入ったからには全力を尽くしてやるつもりです。高校時代、ホームランを打っていたからといってプロではすぐ通用はしないでしょうが腕力には自信があるので、存分に振るってみようと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レイ

2016-04-23 18:41:25 | 日記
1974年

日本ハムに入団したテレンス・リチャード・レイ投手(27)=3A・ハワイアイランダース=は六日午後四時五十七分、羽田着の日航機でマリリン夫人とともに来日した。183㌢、86㌔、左投げ左打ち、背番号3.これで一足さきに来日したケキッチ投手(3A・スポーケン・インディアンス)とともに元大リーガーの両左腕がそろったわけで、中西監督は「ウチの弱点だった投手陣のアナは埋まった」と後期に意欲満々だった。レイは羽田から後楽園球場に直行、球場内の特別室で記者会見した。会見には三原社長、中西監督それにケキッチも加わった。レイは「得意な球はスピードボール。日本の野球のことはほとんど知らない。この二週間ほどチームを離れて一人でランニングをやるていどの練習しかできなかったのですぐに練習をしたい。三、四日あれば投げられるようになると思う。できるだけ多くの試合に投げたい」と大張り切り。何勝が目標かの質問には「相手チームのことなどが全然わからないので断言できない」と慎重な答えだった。オレゴン大出身、大リーグ経験は1971年にヤンキースに一年いただけで勝敗なし。その後ポートランド・ビーバース(3A)を経て昨年からハワイアイランダースに在籍していた。今季は11試合(55イニング)に登板して2勝5敗。ヤンキース時代のチームメイトだったケキッチへ「彼はひじょうにコントロールがいい投手だ」と語っている。契約期間は一年半。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高須正美 大西忠

2016-04-23 18:24:39 | 日記
1970年

阪急は二十七日午後二時から大阪市北区高垣町の中畑事務所でドラフト会議で指名した土浦日大高の高須正美一塁手(18)=1㍍82、84㌔、左投げ左打ち=。同校大西忠外野手(17)=1㍍76、73㌔、右投げ右打ち=両選手の正式入団を発表した。
高須一塁手は超ド級の体力を生かし、左打者の貴重さも加えたスラッガー。三年間での通算本塁打は32本で通算打率も4割2分1厘と高率。また百㍍12秒1の俊足でもある。
大西外野手は百㍍12秒0という足の速い中距離ヒッター。通算アベレージは4割5分7厘でホームランも8本を記録。性格が非常に勝ち気な点も買われている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三宅昇

2016-04-23 18:17:28 | 日記
1970年

阪急ブレーブスは九日午後三時から大阪・梅田の球団事務所でドラフト九位の西濃運輸、三宅昇外野手(24)=1㍍81、80㌔、右投げ右打ち、報徳学園ー中大=の正式入団を発表した。阪急の外野陣は小型化しつつあるので、三宅は大型打者として期待されて獲得した新人。三十九年報徳学園の三年にセンバツ出場、中大を経て四十四年に西濃運輸入社。ノンプロに年間はつねに四番打者として活躍、本年度のアベレージは25試合で本塁打7本、打率3割2分。打球は中堅中心に飛ぶスラッガー・タイプで、神宮のバックスクリーンへたたきこんだことがある。足も速くベースランニングは一周14秒3を記録している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石井高雄

2016-04-23 18:12:39 | 日記
1970年

広島東洋カープは九日、ドラフト会議で3位に指名した石井高雄外野手(19)=柳川商高、171㌢、70㌔、右投げ左打ち=の入団を発表した。同選手は在学三年間で通算4割2分。40ホーマーをマークした。からだにこそ恵まれないが、バッティングに柔軟性があり、ツボにくれば一発の力を持っている。百㍍12秒6と足も速い。左打者の少ない広島にとっては貴重な戦力になりそう。

藤井スカウトの話 三拍子そろった好選手で、ことしの九州高校球界ではナンバー1の打者といっていい。左右どちらへでも打てる器用さがあるうえに一発の力もある。楽しみの多い選手だ。

石井選手の話 プロにはいるのが夢だった。念願がかなってうれしい。プロの力はわかりませんがとにかく相手からきらわれる中選手(中日)のようなタイプを目ざしたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする