プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

種田弘

2016-04-24 23:47:24 | 日記

梶本兄、米田の左、右本格派で代表される阪急の投手陣にあって、種田は非常にユニークな存在である。いつどんなときでも真っ向から打者とわたり合う梶本兄、米田とは対照的に、種田のそれは文字どおりの静かなピッチング。モーション一つにしても、投球術を思わせるように、インターバルの短い、そして無造作なものだし、繰り出す球も軟球である。梶本兄や米田にくらべてかれは決して体力に恵まれた投手ではない。上背こそ1・75㍍だがウェイトが67㌔、だからこういうピッチングに活路を求めたわけであるが、かれの場合は成功だったと言えよう。阪急入りする前の一シーズンをセ・リーグ大洋で送り三十年に入団したが、この年は8勝7敗とグッと伸び、昨年も阿部、柴田らの中堅がふるわなかったなかで面目を保ったのはかれだけであった。阪急が自チームの宣伝ポスターをつくったとき、種田には針のアナを通すほどたしかなコントロールをうたい文句にしていた。力不足の投手が、その不利をカバーするのは、コントロールと変化球であり、とくにかれのコントロールは狂いがない。ど真ん中に投げこむときはほとんどまれで、つねにコーナー三寸のピッチングである。表をみて四球数が他投手より少ないのは、登板数はもとより関係のあることだが、その正確さを裏付けるものである。変化球はカーブ、シュート、シンカーの三種類。低目にきまるカーブはきれがよい。しかしかれの武器といえばカーブよりもシュート、シンカーであろう。種田の場合、横手気味から手首をしゃくるように球を手離すために低目の球がヒザ元あたりに沈み、打者にはあつかいにくい球となっている。表をみてスイングの大きな打者のそろっている西鉄が手こずっているのは、カーブで泳がせてから投げるこの種の球に引っかかっているわけである。西鉄のほかでも大振りする打者は全部かれにかわされている。稲尾に対して4割もの打率を残した野村が・125なのも同様であり、しゃくりあげる山内も19打数3安打で種田には得手の打者となっている。種田が毎日に不思議と強いことをー(三十年1勝0敗)三十一年3勝2敗、三十二年3勝1敗)-別当監督が「あんな投手に負けるのが不思議だ」と言っていたことがあるが、逆に言えば得点源の山内との勝負に勝っているからと言えるのではなかろうか。その代りにバットを短めに握って、コツコツと攻めてくる打者は苦手のようである。同じ毎日でも小森、荒川には散々打ち込まれているし、ピストルの近鉄にも弱いことをみせている。とくに選球眼をともなう打者にはめっぽうニガ手、力のない東映の浜田にも4割を献上しているのはごまかしが通ぜぬためである。このあたりがかれの嘆きであろう。しかし今シーズンもその存在は貴重だ。体力不足から完投能力に欠けるため、ゲームの後半、球の変化に乏しくなるうらみはあるが、リリーフとして、とくにショート・リリーフとしてのピッチングは、力の打者の盲点をつくものであるだけに、上位チームにはクセ者ぶりを発揮しよう。
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安部和春・岩永功・鳥川忠石・初村義治

2016-04-24 22:29:46 | 日記
1959年

西鉄ライオンズは二十一日正午から球団事務所で四人の新入団選手と正式契約を行った。この日契約したのは安部、岩永両投手および鳥川内野手、初村外野手の4人。これで契約をすませた西鉄の新入団選手は十三人になった。安部和春投手(19歳)博多高、右右、1・79㍍、71㌔、岩永功投手(18歳)大濠高、右右、1・75㍍、70㌔、鳥川忠石内野手(18歳)苅田高、右右、1・73㍍、68㌔、初村義治外野手(18歳)柳川商、右右、1・75㍍、70㌔。

安部和春投手・・・フォームはオーバースロー。高校時代は速球とドロップをおもな武器にして投げていたが、プロでどこまでやれるかわかりません。一生懸命やるだけです。

岩永功投手・・・別に記録らしい記録はない。春の九州大会の予選で福岡商をノーヒット・ノーランに押えたほか練習試合で二度ノーヒット・ノーランをやったことがあるが、みな相手が弱いチームだったからです。最初は上から投げていましたが自然に手が下がって、いまではサイド・スロー。シュートとシンカーが武器です。

鳥川忠石内野手・・一年のときピッチャーをやった経験があるが、二年からずっとショートを守ってきました。三年のときの打率は4割5分ちょっとですが、ホームランは三年間に1本だけで、ロング・ヒットは少ない。高倉さんのようなバッターになりたいと思っています。

初村義治外野手・・・ことしの夏の予選では5割打ちました。ホームランは三年になってから4本。百㍍を12秒ぐらいで走ります。バッティングは引っぱるほうです。
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井上忠行

2016-04-24 21:12:03 | 日記
1957年

同じノン・プロでも全国的にその名を知られていた花井、小淵にくらべて、井上はたんに九州の強打者というに過ぎなかった。そのため、ともすればこの二人のカゲにかくれがちなのだが、こと素質という点・・・さらにはそれによって予測される将来性では花井、小淵を上回るのではないかとクロウト筋では、かれの力を買う人が多い。1㍍79、78・5㌔と、プロ選手には理想的な身体に恵まれているのが高く評価される理由の一つだが、大男に似ず身体に弾力性があり、カンも発達していることがかれの魅力のよりどころともなっている。井上は八女工高の出身で、門鉄には三年在籍した。最初の年は、高校時代の経験から投手をつとめたが、二年目から打力を生かして一塁手に転向、これからの成長が素晴らしかった。門鉄の四番打者としてそのご3塁の通算打率をあげたことでもわかるが、それにもまして驚異なのは、二年間に記録したホームラン22本であろう。ただ22ホーマーを検討して、このうちなんとか大会と銘打った試合、つまり大きな試合で打ったのは「せいぜい四、五本・・・」と本人がいっているのは、多分気の弱いためであり、それともう一つは、内角球は滅法強いが、外角球には相当の甘さを残しているためである。それだけに、この二つをどう克服するかが井上の当面の課題であるが、同僚の間では、研究熱心で通っており、三原監督も「きっとのし上がってきますよ」といっている。そしてかれの打力があまりにも素晴らしく、また河野の調子がよい場合は「外野にコンバートすることも考えている」といっている。それというのも、西鉄の一塁手が、河野をはじめ、驚異的成長をみせた田中、さらには三竿と好選手が目白押しのせいである。思えばむずかしいポジションに入ってきたわけであるが「河野さん一人でなく、一塁全部の人を競争相手として・・」といっているのはたのもしい。プロへ入って最初に感じたことは「プロの選手は力である」ということだったそうだが、とくに目標とする打者は決めていないといっている。ただ門鉄で三番を打っていて、同じくプロ入りした指方(毎日)にだけは「どんなことがあっても負けたくありません」のライバル意識だろう。福岡県八女郡が生んだ最初のプロ選手であり、八女工時代は滝内の戸畑高校と試合をよくした仲である。プロ入りにあたっては南海、東映、国鉄からも勧誘されたが「西鉄が自分の力を一番発揮できそうなので・・・」と西鉄を表したそうだ。野球のほかでは卓球、バスケットなど球技もやり、趣味は登山。
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井洋雄

2016-04-24 20:03:40 | 日記
1959年

ことし広島カープは意欲的なチーム強化をみせた。投手陣に新人、移籍を含めた12選手が入団した。しかし大半が無名の高校生だけにすぐ使える投手ということになると井投手ぐらいのものだ。キャンプでは安定したフォームから、現在百五十球前後のピッチング練習を続け、また一方レギュラーのフリーバッティングには自らバッティング・ピッチャーを買って出るなど大変な張り切りようだ。懸念されたスピードも一段と加わり、十五日からは、カーブ、スライダーなど変化球を投げている。井はやせ型で一見、弱々しく感じられるが、それでいてノンプロ時代には連投と見かけによらぬタフネスの持ち主で再三、後楽園のヒノキ舞台を踏んでおり、昨秋の産業対抗野球大会には日鉄二瀬に初の栄冠をもたらす快挙を成し遂げただけに、小細工を使わず真っ向から勝負をいどむ度胸のよさと勝負強いことは定評がある。投手陣の特別コーチに当っている藤田省三氏(元国鉄監督)も「無理のないフォームだし、とくに指摘するような欠点はない。ただ投球する場合、バックスイングが小さいので単調になりがちだから、大きくすることによって是正し、スピードも増すので注意しただけ。さっそくこれを実行しているが好調のようだ」と言っている。白石監督も「井の強味はなんといっても制球力のいいことだ。先発、救援のどちらでも使えるだけにたのもしいし、人間的にもしっかりしている」とべたほめに近い。長谷川、備前につづく待望の第三投手が実現する日も近い。

ー調子がいいようだが。
井 毎日暖かいので非常にコンディションがいいですネ。
ーやせているようだが。
井 体重も変らないし、元気です。だいたいが小食のほうだから、太ろうと思っても簡単にゆきません、気にしないことにしています。
ーそれでスタミナの方は大丈夫?
井 ノンプロ時代と違ってトレーニングも十分積んでいるので心配はない。これで案外連投の自信もあるのですからネ。稲尾さんじゃないけど十分睡眠さえとれば、やれますよ。
ー変化球も投げているようだが。
井 少し早いですがネ。僕のピッチングは技巧派といわれるだけにより以上の制球力をつけねばと思って早めに投げているのです。
ー長谷川、備前両投手のピッチングをみた感じはどう?
井 長谷川さんの球なんか実に軽いようですが、あれで20勝されたのだから、やはりコントロールがいいのでしょう。まだそれにくらべて、僕なんか足元にも及びませんよ。
ーこれからのキャンプの重点は。
井 シーズンに間に合うように仕上げるつもりですが、制球力のほかにシュートボールに、もっと威力をつけたいと思います。
ー目標はどこにおいているの。
井 よくみなさんから言われるんですがネ、本当のところやってみねばわかりませんよ。まず上位球団を倒してみたいことです。オープン戦で各投手のピッチングを見たり、また自分で投げてみて何勝できるかだいたいの見当がつくと思いますが、ノンプロ時代いっしょにやってきた江藤(中日)だけには負けたくないですネ。
ー抱負は。
井 ただ一試合でも多く出て投げたいですネ。最低十勝はマークせねば・・。このたえにもスタートを誤らないようにすることが大事ですが、僕は制球力にはかなり自信を持っているのでなんとかやれそうです。
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桂本和夫

2016-04-24 17:34:52 | 日記
1957年

レスリングのオリンピック選手桂本和夫選手(22)がセ・リーグの国鉄スワローズに入団、野球選手として再出場することになった。桂本選手はメルボルン・オリンピック大会レスリング・フリースタイルのミドル級第五位に入賞したほか、一昨年ワルシャワの世界青年スポーツ杯、昨年トルコのワールド杯などに参加、ミドル級の全日本選手権を昭和二十九年から昨年まで三年連続獲得するなど中量級で国際的にも国内的にも活躍していた。高校時代に北海道の増毛高の投手だったことがあり、メルボルンから帰国後急に野球への愛着心を呼び起し、レスリングの先輩で育ての親である中大OB松江氏にプロ野球に転向の相談をもちかけた。そこで松江氏は実妹の夫君である国鉄宇野監督に紹介したところ、同監督も桂本選手のたくましい体力に将来性を感じて国鉄入団の話がまとまりプロ入りの実現となった。同選手は数日前からすでに宇野宅に帰宿し、新しい出発に備えて毎朝ランニングにはげんでいる。

宇野監督の話 桂本君とはかねがね面識があったが、本人に野球界入りの希望があることがわかったので入団を誘った。畑違いのレスリングから選手を入れることはちょっとした冒険だが、かれは高校野球では投手として活躍していたし、まれにみる卓越した運動神経と柔軟な体格の持ち主だけに、大学生時代のブランクもすぐに取り戻すことができよう。いまからのプロ野球は、大型選手の実現が要望されているが、かれはこの期待に応えるだけの精神とハード・トレーニングにたえる数少ない選手だ。そのためには、二年くらい時間をかけてみっちり仕込むつもりだ。ポジションはやはり彼の魅力のある打力を買って外野ということになろう。

森国鉄代表の話 桂本君は、中学、高校時代は野球の選手だったし、あれほどの体だから、これからの猛訓練にも十分たえられる。それに一芸にひいでた者は何をやらしても一流になれるものだ。野球選手だったころの野球のカンを思い出してくれさえすれば、スワローズの中心打者になると期待している。入団の動機は、宇野監督の人柄に惚れこんだからだと聞いている。本人がレスリング関係者のあいさつを済ませてから正式に発表したい。

桂本選手談 オリンピックから帰った当時は四年先のローマ大会を目指すつもりだったが、今春中大を卒業して社会人となれば練習量の差でとても現在の調子を持続できない。野球は中学、高校時代も経験しているし、自信もあり、それに大好きなのでプロ入りを希望した。ぜひ強打者になりたい。

桂本選手略歴 北海道増毛高出、中大在学中。昭和九年九月五日生まれ。レスリング選手として二十八年から三十年まで三年連続して全日本学生ミドル級に優勝。二十九年から昨年まで全日本選手権にも三連勝。二十九年の東京世界フリースタイル選手権ではミドル級第三位に入賞。その他ワルシャワで開かれた世界青年スポーツ祭で第五位、メルボルン・オリンピック大会ではミドル級第五位に入賞している。
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榎原好

2016-04-24 15:34:39 | 日記
1958年

昨年の近鉄は投、攻、守にわたって低調だった。旧大映がそれ以上に不振だったので、テール・エンドだけはまぬがれたが、ただそれだけの話。賞されるべき何ものもなかった。その近鉄でしいて何かを求めるとすれば、榎原の健投であろう。武智文、黒田、伊藤といった当然働かねばならぬ投手が全部10勝を割ったなかにあって、かれが最高の12勝をマークしたのは、すでに盛りを過ぎた、むしろ返り咲きの部類に入る人だけに賞されてよい。榎原は二十五年にオリオンズが誕生したときにプロへ入ったと投手。一年目は荒巻、野村らと第一線投手となって16勝、その優勝に貢献した。しかしその後は期待されたほどには伸びず、二十六年から三十一年までの五年間に42だから一シーズン平均が8勝という成績。それで一昨年から近鉄に移籍したものの、5勝5敗でたいした期待もかけられていなかったところへ昨年の好投を見せたのである。往年の速球とドロップはもちろんカゲをひそめている。しかしピッチングの巧味はグンと出てきた。かつて力があったころの榎原はその力にまかせて立ち向かい、かえって乱打を浴びたものだが、現在は速球を要所に投げるだけ。あとはスピードを殺したドロップとシンカーの組み合わせで打者を凡打に誘っている。それだけに味方のエラーにかぎってはムキになる様子も見られず、自分のピッチングを大事に終始しているのは進歩といえる。昨年、榎原が最もよく投げたのは西鉄である。対西鉄戦の勝ち星はわずか2勝、数の上では武智文の3勝に負けているが、こと投球内容にかけては榎原がはるかに上だ。「左投手のほうが打ちやすい」という和田だけには・477とべらぼうに打たれているが、あとは榎原の圧倒的な勝利。高倉、豊田、中西、大下、関口とつづく名うての強打陣を完全にかわしている。西鉄はもともと左腕投手に弱いチーム、二、三年前までは荒巻、梶本兄、阿部に手をあげ、そして最近では小野に痛めつけられているのだが、榎原の場合は緩急で成功した荒巻、阿部と同様、外角低目に落ちるシンカーでもって、西鉄の泣きどころをついているわけだ。荒巻、阿部がすでに通用性を失ったのは変化球の合間に投げる速球がないからで、榎原だけはまだそれがあるからいじめている。おかに榎原の薬籠中となっている打者はやはり左投手にたいする左打者、旧毎日の荒川、榎本、阪急の岡本、東映の毒島ら左の好打者である。これはシンカーの効果。しかし榎原がニガ手としている打者も多い。西鉄では和田、南海では野村と岡本、毎日では山内らだ。これらはそろって一流中の一流ではあるが、インローの速球に限度があるので封じ切れないのであろう。ほかにも阪急の渡辺、中田、東映の石原といったところを持てあましている。榎原は今シーズンはみっちりトレーニングを積んだ。昨年の好成績で自信をもったのであろう。それだけにことしも期待は十分だ。昨年の成績を振りかえっても、コンディションのいいときのピッチングはすばらしい。連投とか、一日おきの登板が多かった後半戦では打たれているが、規則的に三日、あるいは四日の休養をとって投げたときは好成績を残している。ピッチングそのものからいっても、ごまかしとはいえ、まだ速い球を持っているのは大きな強味である。=対右打者被打率・312、対左打者・208
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長光告直

2016-04-24 14:53:50 | 日記


南海は投手を育てるのも早いかわりに、つぶすのも早いと言われる。そう言えば早く育って、早く消えて行った投手はあまりにも多い。江藤なんかは入団する前から土台のできていた投手であるが、大神、服部がそうだし、見新しいところでは宅和、中村も少なくとも昨年まではつぶれかかっていて、もし今シーズンがダメなら、ますます再起はむずかしいとみられている。宅和を例にとれば、二年間で50勝もあげた投手がそれっきりで野球生活を終わるなど不思議でならないのだが、こんなに前例があるのだからなんとも言いようがない。言う人によっては、この原因について、山本監督の使い方を非難している。いわゆる継投策への非難だ。一人の投手が3イニングを受持って、三日間連続した場合、計算では一試合の完投ということだが疲労度は比較にならない。そういうことに山本は無とん着だというのである。がそう言う人があるかと思うと、本人が好成績でテングになり、みずから滅びたとみる人もあって、まちまちだ。ということは、これが原因だというのがはっきりわからないわけで、あるいはその両方かもしれない。長光もまた早く育った投手である。プロ入りするまでは、それこそ名もなき一人の新人、ただ長光という姓が珍しがられるだけであったが、入団の三十年ウエスタン・リーグで過ごしたかと思うと翌年は第一線に登場した。そして初勝利を5月5日の対大映戦で飾って、このシーズンに13勝7敗2分、昨年は12勝6敗1分だった。しかし早く育ったからといって、先人同様、かれが速く消えて行くというのではない。ただこういうことだけはーつまり、これ以上の飛躍は望まれぬだろうーとは言えるのではなかろうか。二年間頭打ちの成績・・・それもそうだが、第一にかれはそれほどに威力をもった投手ではない。かれはサブマリンである。武器といえば下手からのシュート、それに外角低目のスライダーの二つであって、これにはいくらかのスゴミはあるが、何分にも体力がないから、一シーズンもコンスタントに続かない。昨年の西鉄戦がいい例だろう。春先の力があったときに好投したものの、下半身のバネが弱った後半戦ではムチャクチャにたたかれた。長光の得手としている打者は、総体的にシュートに弱い選手が多い。西鉄の河野は9打数で無安打、阪急のバルボンにもヒットがない。東映の増本も11打数で安打なしだから、長光には得手。このほか低率打者を並べると関口(西)小森、衆樹、須藤(毎)あたり。また実力不相応組では中西(西)毒島(東)らがこのなかに入ろう。ニガ手は、サブマリンだから左打者かと思うと、そうではない。三割打者の毒島を・200にかわしているのをはじめ榎本、岡本健らを封じ、しいていえば玉造、関根ぐらいとなっている。アウト・ローのスライダーがあるからだろう。だがニガ手がないわけではなく・500の豊田、・333の山内といった打ち分けのきく打者には弱く、6回の顔合わせで5安打の仰木も長光にはいやな相手である。今シーズンの長光は、さしずめこういった打者を、どうさばくかが肝心だろう。わずか一人や二人といっても、ライバル・チームの主力だけにゆるがせにはできない。
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伊藤博文

2016-04-24 13:47:08 | 日記
1959年

大分県下高校野球界で好守強打の大型三塁手として知られていた大分市私立大分高三年伊藤博文選手(17)は、かねて近鉄の加藤スカウトから入団をすすめられていたが、一日「できるなら近鉄バファローで活躍したい」とはじめて態度を明らかにした。甲子園大会大分県予選がはじまる一か月前の七月はじめ、大分市営球場で同選手の鋭い打撃ぶりを見た加藤スカウトがたえず連絡をとっていたもので三日から大分県中津市営球場で行われる高校野球秋季中央大会に出場するのを機会に加藤スカウトか今久留主スカウトと中津市で落ち合い正式に回答することになっている。伊藤選手は身長1㍍79、体重78㌔の恵まれた体格。右投右打、とくに長打力には定評があり、近鉄入りはレフトに強引に引張るバッティングを買われたもの。今シーズンの平均打率は・320。昨年までは投手だったが打力を認められて四番に固定している。大柄だが身体はやわらかい。とくに遊撃よりの球さばきにうま味をみせている。

西村大分高校野球部監督の話 近鉄から話があった当時から本人は乗り気でいます。野球部創立六年間にはじめて伊藤君がプロ入りするわけですが、伊藤君ならりっぱにプロ球団で働けると思う。

伊藤選手の話 いろいろ考えましたが、西村先生とも相談して近鉄に決めました。家族も賛成していますし、先生方や部員の期待にそいたいと思います。
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矢ノ浦国満

2016-04-24 13:36:54 | 日記
1959年

高校球界屈指の大型遊撃手として注目された東筑高校の矢ノ浦国満選手(18)は、かねて近鉄バファロー入りをほのめかしていたが二十九日近鉄に入団すると声明、その態度を明らかにした。矢ノ浦選手獲得に乗り出した球団は東映、南海、大毎、阪急、近鉄、西鉄、阪神の七球団で、そのうちもっとも積極的だったのは西鉄、近鉄だった。けっきょく近鉄の掲示した条件と、同選手がもらしていた「同じプロ入りするなら、すぐにでも出場できる球団」という本人の希望が一致したので近鉄入団に踏み切ったもの。同選手は右投右打、1㍍76、体重70㌔で、一見広岡選手(巨人)に似たタイプ。大柄なからだに似ず、軽快なフットワークをみせる守備ぶりは吉田選手(阪神)のようだ。しかしプロスカウト連の注目を浴びた最大の原因は、同選手が持つ先天的なバッティング・アイにある。腕っぷしも強く豪快な長打力を持つ半面、チャンスになんとかして得点に結びつける器用な面もある。甲子園出場の機会を逸した東筑だけに、同選手の評価はまちまちだが、プロでも十分活躍できる既成の遊撃手だ。同選手の年間打率は・311である。

矢ノ浦選手の話 いろいろ考えたが、近鉄が一番働けるのではないかと思って決意した。プロ入りしたからには大いに活躍して先輩たちや先生たちの期待にそいたいと思っている。
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近藤隆正

2016-04-24 13:27:18 | 日記
1959年

大分県下高校野球界で本格派投手として、知られていた津久見高三年近藤隆正君(17)は、巨人軍入団が内定したもようである。近藤投手は身長1㍍70、体重63㌔、右腕から繰り出す豪速球を主に、ブレーキ鋭いカーブ、アウドロに無類の制球力をみせる。今シーズンはさる五月佐賀県営球場で行われた第二十四回九州高校野球大会では戸畑高を破ったが、優勝校三池に屈した。また甲子園大会中九州代表決定戦では、鎮西のエース井上と投げ合い、惜しくも敗れた。九月下旬宇野巨人軍代表が小島同校監督と話し合い、巨人入りがほぼ内定している。正式決定は十一月初めの見込み。

近藤投手の話 部長や小島監督の意見をよく聞いて、私の進む道をきめたいと考えています。
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