プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

的場祐剛

2016-04-25 23:06:02 | 日記
1961年

高校球界の好選手としてプロの関心を集めた法政二高の的場祐剛外野手は、入団先を大洋、大毎にしぼったまま最終的折衝を行っていたが、二日東京・女塚の下宿先で正式に大洋入りの意思を表明、球団事務所で契約に調印した。なお的場選手は四日から川崎等々力の大洋合宿にはいる。昨夏、今春と甲子園大会に連続優勝した法政二の的場選手は主将、主軸打者として柴田(巨人入り)是久選手らとともに早くから注目を集めていた。二年からレギュラーとして出場、1㍍71、60㌔の小柄ながらシャープなバッティングで当時三割六分ていどをマークした。

的場選手の話 ほっとしました。自分の好意を持っていた球団に思いどおりはいれてうれしい。入団の条件については金の面より常時出場の可能性を一番考えました。
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小松時男

2016-04-25 22:24:55 | 日記
1970年

西鉄は十五日午後一時半、東京八重洲の同球団東京事務所でドラフト七位指名の小松時男外野手(24)=元河合楽器=と契約した。契約金四百万円、年棒百六十万円(いずれも推定)。ことしのドラフト指名選手で契約したのは十二球団を通じて小松選手が初めて、同選手は十六日午後零時二十分、羽田発の日航機で福岡に行き同日、西鉄球団事務所で入団発表のあと、十七日から西鉄の秋季練習に参加する。同選手は172㌢、78㌔、左投げ、左打ち。日大三高ー日大を経て、昨年四月、河合楽器に入社、ことし八月、家庭のつごうで退社した。高校時代は東都六大学の本塁打王から一昨年、ドラフト一位で東映に入団した大橋と同級生。大橋が二番、小松は四番を打ち、三十七年夏と三十九年春の二回、甲子園に出場している。日大時代の通算成績は打率300、本塁打7本。四年生秋のリーグ戦では376(ベストテン2位)本塁打4本を打っている。ノンプロでは、昨年、ことしと二年連続して夏の都市対抗(後楽園)に出場、五番を打った。小柄だが「パンチ力には自信がある」というとおり、長打力もある。左右打ち分けるのがうまく、大学時代の本塁打7本のうち、3本は左、4本は右方向に打っている。ベース一周14秒5と足も速く四十三年春の対立正大戦で、一試合七盗塁を記録している。

小松選手の話 西鉄は好きなチームだった。高校、大学、ノンプロを通じで学んできた自分の野球がプロでどこまで通用するか、全力でやってみたい。左、右に打ち分けるバッティングと足には自分なりに自信を持っている。目標はどんなコースでも安打できる張本さんのような選手になることです。
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米山哲夫

2016-04-25 22:07:29 | 日記
1970年

西鉄ライオンズの渡辺スカウトは、十四日午後六時ドラフト会議で五位に指名した東芝の米山哲夫内野手(21)=168㌢、63㌔、右投げ右打ち=を横浜市中区初音町一丁目二番地の自宅にたずね、父親真一さん(54)にドラフト指名のあいさつをした。米山選手もまじえて、この日が初めての顔合わせだっただけに、渡辺スカウトは指名したいきさつと、西鉄のチーム事情を説明したていどにとどまり、十九日以降に本格的交渉をはじめることになった。米山選手は、日立の補強選手として産別大会にも出場したが「巨人の黒江のようなタイプのファイトマンで、馬力もあり、右左に打ち分けるうまいバッティングをする」(渡辺スカウトの話)好選手。横浜高校では、ことし西鉄に入団した山本投手の二年先輩だった。米山選手自身「プロでやってみたい」希望を持っており、父親真一さんも「好きな野球をやりたいというのだから、反対する理由はない」と好意的。なお渡辺スカウトは同日朝、東京・数寄屋橋の東芝商事に、東芝野球部の春原監督をたずねてあいさつをしたが、同監督も「本人がプロ入りしたいといえば、とめるわけにはいかないだろう」といっており、プロ入りの障害となるようなことは見当らず、条件さえ折り合えば小松選手=元河合楽器=に続いて西鉄入団は間違いなさそうである。

米山選手の話 プロ野球は野球界の最高のものなので、やれるものならやってみたいという気持はある。プロ野球は近鉄の飯田さんやロッテの平岡さんが高校の先輩なので、近鉄やロッテの試合は何度か見た。西鉄に指名されたときはうれしかった。

父親真一さんの話 小学校一年のときから野球をやっているし、西鉄に指名された以上、プロで一生懸命やりたいという気持を持っているようなので、やりたいことをやれといっておいた。別に反対する理由はなにもない。
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緒方勝

2016-04-25 21:56:18 | 日記
1961年

ノンプロ日鉱佐賀関のエース、緒方勝投手(22)は十四日国鉄スワローズと正式契約、同日午後三時から同球団事務所で砂押監督も同席して発表された。緒方投手は三十四年宮崎県高鍋高卒業後、日鉱佐賀関にはいり都市対抗野球大会には三十五年鹿児島鉄道、三十六年九州電電、三十七年大分鉄道局のいずれも補強選手として活躍した。身長1㍍76、体重68㌔、右投げ右打ち。速球、カーブを武器とする本格派。十七日から出場できる。

緒方選手の話 得意なタマはカーブ。プロで活躍できるか、やってみなくてはわかりません。巨人の藤田さんのようになりたい。

砂押監督の話 四年前の緒方が日鉱佐賀関入りするときもテストに立ち合ったがよいタマを持っていた。そのときに比べ体格がひと回りもふた回りも大きくなった。フォームがきれいすぎるほどの本格派で、すぐ一軍入りさせる。
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淡河弘

2016-04-25 21:28:14 | 日記
1961年

巨人では二十四日東洋高圧大牟田の淡河(おごう)弘捕手(22)の入団を発表した。同選手は二十一日に東洋高圧を退社、同日午後二時羽田空港着の日航機で上京、内堀スカウトにともなわれて多摩川の合宿入りした。巨人では同日付けで連盟に登録、背番号は60。同選手は久留米商から東圧入りしたもので、今夏の都市対抗でも活躍した強肩の持ち主。1㍍76、70㌔、右投げ右打ち

佐々木球団重役の話 淡河はとても素質のある捕手だ。研修制度が来年から実施されるが、淡河の場合すぐ登録したのでもちろんひっかからない。
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米山哲夫

2016-04-25 21:19:36 | 日記
1970年

西鉄・渡辺スカウトは十四日、東京・八重洲の西鉄球団東京事務所で、ドラフト五位指名の東芝・米山哲夫内野手(21)と六回目の入団交渉をした。交渉には父真一さん(54)母のぶ子さん(50)の両親が同席、契約金六百万円、年棒百二十万円(いずれも推定)で入団が決まった。西鉄がドラフトで指名した九人のうち佐伯豊南の塩月勝義投手(18)菅豊捕手(18)の両選手は進学の希望が強く交渉を断念するため、米山選手の入団決定で西鉄の指名選手との交渉は全部終了し、七人が入団した。米山選手は横浜高卒・専大を一年で中退したあと浜田産業(静岡)を経て四十三年、東芝に入社した。170㌢、70㌔と小柄だが、ノンプロ三年間の通算打率が3割を超えるしぶといタイプの選手。百㍍12秒と足も速く、ノンプロ通算50盗塁を記録している。ことしの産別大会には日立製作所の補強選手として後楽園に出場、二番を打った。小柄でがっちりとしたからだつきが黒江(巨)に似ているところから黒江二世といわれ、本人も黒江と高校時代の一年先輩の飯田(近)を目標にしているという。なお正式発表は十七日午後、福岡市の西鉄球団事務所で両親が同席して行われる。

米山選手の話 西鉄はこれから伸びていく若いチームだけに魅力がある。目標は早くプロの水になれることだ。なれさえすれば自分の努力しだいで力をつけることができると思う。
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